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ごろごろ、と遠くの空で鳴る音があった。きっと音が鳴っているだろう場所の空は真っ黒で、ああ、これはもうすぐ降ってくるな、と呑気に思った。隣の彼を見上げると、彼も同じ方角を見ている。


「戦士、夕立が来るかもしれないね」

「そうですね。早めに宿に入りますか」


幸いにももう既に街の中だ。先程道を聞いた限りでは、宿までそう距離もない。急げば降ってくる前に部屋に入れるだろう。ごろごろ、と再びどこかで音が鳴る。
少し急ごうか、と呼びかけようと後ろの少女を振り返って、はて、と首を傾げた。いつも元気な少女の顔色が良くない。唇を噛んで、何かに耐えているような表情をしていた。


「ルキ?」

「ひゃっ!」


ボクが少女に呼びかけた正にそのタイミングで、ごろごろ、と空が鳴った。先程よりもずっと近い位置で鳴く空。ボクに返事をしようとしたのだろう、口を開けていた少女はそのまま、小さな悲鳴を上げた。
ああ、そうか。雷が怖いのか。合点がいったボクは、とりあえず早く室内に入らなければ、と少女に手を差し出す。きつく目を閉じている少女はその手に気付かない。


「ルキ、来い」


来い、と言いながら、少女の意志を聞く気のない彼の手が、少女の小さな身体を掬い上げた。人の体温に安心したのか、少女は抱き上げた彼の胸元に猫のように擦り寄る。
ぽつり、頬に当たる雨粒。ああ、やっぱり。ボクは一歩駆け出して、横を同じ速度で彼が駆け出した。少女は小さくなって耳を塞いでいる。少しだけ震えているのが見えた。


「勇者さん、先に行って部屋を取っててください」

「分かった!ルキをお願いね」


宿の軒先で雫を払い、ボクは部屋の手配をするためにカウンターへ向かう。こういうことは彼に任せっきりであまり得意ではないのだけれど、今はそう言っている場合ではない。
部屋の有無を問う。空いている部屋は一つだけだと店主は申し訳なさそうにするが、三人で一部屋ということには慣れている。大丈夫です、と返事をすると、店主は少しだけ値引きしてくれた。いい店主でよかった、ほっと息を吐く。


「お待たせ!部屋に行こう、ルキ」


少女は小さく頷いて、今度は差し出したボクの手を握った。タオル貰ってきます、と言った彼の声を背に、ボクは少女の手を引きながら階段を上る。ごろごろ、近くの空が、また鳴いた。


部屋に入り、窓へ向かう。向こうの空は、もう明るい。やはり夕立のようだ。しばらくすれば雨も雷も収まるだろう。カーテンを閉め、ボクは少女に向き直る。
ベッドの向こう、耳を塞いで小さな身体をもっと小さくして。少女は震えている。ああ、彼女にも苦手なものがあるのか、と妙に安心してしまった。いつも元気で強い少女も、やはり年相応の少女だったのだな、なんて。


「勇者さん、ルキ。タオル貰ってきました」


部屋に入ってきた彼から放られた数枚のタオル。受け取って、少女の頭を拭いてやる。本降りになる前に宿に到着したので、それほど濡れてはいない。放っておけばすぐ乾くだろう。
ごろごろ、一際大きな音で空が鳴く。びくり、大きく身体を跳ねさせて、もうやだ、と少女は頼りない声で呟いた。ごろごろ、今度は近い。


「うわあっ!」


素っ頓狂な悲鳴を上げたボクを、彼と少女が驚いたように見た。ボクは大袈裟に耳を塞いで、目を瞑った。手の隙間から雷の音が響く度、ボクは身体を揺らす。揺らして、少女の手を取った。


「…勇者さん、雷が怖いんですか?」


彼の声に大きく頷く。本当はそんなことはないし、むしろわくわくするくらいだ。雷は嫌いじゃない。だけど、一人で震えている少女があまりにも小さくて。一緒になって震えていたら、少女は少しくらい安心するのではないかと。そう思って。


「アルバさんも、雷怖いの?」

「うん。実はね。だから、ルキ。手、握ってていい?」


へら、と笑ってみせる。少女はその強張った顔を少しだけ緩めて、頷いた。ボクは少女の小さな手を握る。


カーテンの向こう、空が泣く。震える少女の手を握り、頭を抱え込んで、耳を塞いでやる。少女はボクの手に縋り、固く目を瞑る。早く、通り過ぎてしまえばいい。


ぎし、と床が軋んだ。目を開けて音のした方を見ると、彼が何だか複雑そうな顔をしてボクらを見ていた。どうしたの、声を出さずにそう尋ねると、彼はまたむすっとして、一歩、ボクらに近付く。
どさり、彼はボクらの隣に腰を下ろした。珍しいこともあるものだ。ボクは少女の耳を塞いだまま、また目を閉じる。


「…どうしたの、戦士?」


隣に寄り添うぬくもり。目を閉じて、小さな声で尋ねる。彼の大きな手が、ボクの頭を一撫でする。ボクの腕の中で震えている少女の頭も、同じように一撫で。ボクらは揃って目を開けて、彼を見た。彼は窓を見る。


「今日は七夕らしいですね」


まだまだ小さなボクらを一抱えに、彼は語る。七夕、と少女はぽつりと零した。そう、七夕です、と彼は答える。


「空には天の川という星の川が流れているんだそうです」


仲睦まじい夫婦であった織姫と彦星。二人はある事情で川の両岸に離れ離れにされてしまう。七夕というのは、その二人が一年に一度だけ出会える日なのだ、と彼は語った。


「初めて聞いたなあ」

「この辺りの地域で信仰されてる話なんでしょう」

「織姫と彦星、せっかく会えるのに雨降っちゃったね」

「雨が降ったら川が氾濫して出会えないんじゃないか?」

「さあ。どうなんでしょう」


ごろごろ、泣いている空。もしかしたら、織姫と彦星が泣いているのかもしれない。そんなことを考えていたら、同じことを腕の中の少女が言った。彼はくつり、と笑う。


「さっきまで晴れてたから大丈夫だろ」


どうせこれも夕立だ、すぐに止む。彼はボクと少女の背を軽く叩く。普段はそんなことは思わないけれど、こういうときは、ああ、彼は大人だなあ、と思う。背を叩く彼の手、そのリズムに、くすぐったくなる。


「そうそう。七夕には、願い事を紙に書いて笹に吊るすらしいです」

「そうなの?」

「はい。願いが叶うと言われているようですよ」

「どうしてお願いが叶うんだろうね?」

「織姫と彦星が出会えるめでたい日だからな。神様だか星だか織姫と彦星だかが、機嫌よく願いを叶えてくれると思ってるんじゃないか?」


なにそれ、ボクと少女が笑う。彼も笑ったのが気配で分かった。ごろごろ、遠ざかっていく泣き声。雨音も止んだ。
でも、もう少し。手離し難いこのぬくもりを、腕の中に。カーテンの隙間から差し込むのはやわらかな夕陽。ほら、やっぱり。夕立だった。雨上がり、甘くてやさしい、かおり。


ボクらは三人、寄り添って。耳を塞いで、目を閉じて。傍にいる幸福を、感じている。織姫と彦星には悪いけど、やっぱり大切な人には、すぐそばにいてほしいから。ボクらは揃って、小さく笑った。


「雨が止んだら、宿の人に紙を貰おうか」

「お願い事書くんだね!」

「近くに笹が生えている場所があると言ってましたよ」

「へえ。じゃあ、小さな笹も取りに行こうか」

「うん!雨が止んだら!」

「そうだね。雨が止んだら」

「雨が止んだら、行きましょうか」


雨が止むまで、もう少し。ボクと少女と彼と、三人。耳を塞いで、目を閉じて。ぬくもりを分け合って。ボクらだけの世界に、閉じ籠ろうか。


カーテンの向こうには、きっと大きな虹が出ている。織姫と彦星も、一年ぶりの逢瀬に心を躍らせていることだろう。この様子だと、きっと今年は無事に会える。
ご機嫌なお星さま。どうかボクらの願いも叶えてください。目を閉じる。今日の夜空を飾る星々を、星の川を、織姫と彦星を、思い浮かべて、願う。どうか。






神鳴、友達、星の空に願う
(かみなり、ゆうだち、過ぎればぼくらの世界。)






130707


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