senyu | ナノ






右も左もない。そんな真白な空間に、オレはぽつりと浮いていた。過去も未来もないオレは、ただただこの場所のように真白に、ぽつりと、そこに居た。


「こんにちは」


ふと、彼は気付けばそこにいた。柔らかそうな茶の髪、色の異なる両の瞳。その顔に砂糖菓子のように甘い笑みを浮かべて、そこに居た。


「誰ですか」

「ボクは誰でもないよ」

「オレは誰ですか」

「君も、"まだ"、誰でもない」

「ここはどこですか」

「さあ?強いて言うなら"はじまり"かな?」

「頭おかしいんですか」

「辛辣!」


そう言いながら彼は楽しそうに笑い、色の異なる瞳をそっと伏せた。赤と黒が瞼の奥に隠れた。


「未来と過去のどちらかひとつを選べるとしたら、どっちがいい?」


彼はオレにそう訊ねた。どっちがいい、と言われて選べるものだろうか。オレにはどちらもない。真白だ。何もない。
彼はひたすらに微笑んでいる。オレの言葉を待っている。過去と、未来。どちらも大切で、どちらも必要で。どちらを選ぶ?どちらを選べばいい?


「過去をください」


悩んで悩んで、オレはそう答えた。強い人より優しい人になれるよう。過去を選んだ。
思い出が何か分かるよう。過去を知ればきっと、真白な己に色が付く。赤にも黒にもなる。優しさを知ることができる。彼のように微笑むことが、きっとできる。


「…そっか、」


彼は目を伏せたまま笑った。笑った、のだと思う。オレには、彼が浮かべるそれが、笑みなのかは分からなかった。


「じゃあ、腕も足も口も耳も目も、二つずつ付けてあげる。いいでしょ?」


そう微笑む彼は、愉快そうに両手を広げた。くるり、と彼が回れば、そこには真っ黒な花が咲く。くるり、くるり、と、彼は真っ黒な花を咲かせる。真白に浮かぶ、吸い込まれそうな、黒の花。


「口は一つだけでいいです」


口は一つで充分だ。一人で喧嘩などしたくない。誰かに伝えたい言葉を伝えるには。一つの口があれば、それでいい。


ふふ、と彼は笑う。とろけそうな甘い笑み。どこかで見たことがある。そんな気がするけれど、オレは思い出すための過去も、思いを馳せるための未来も、持ってはいなかった。


あるはずのない頭や、胸や、ココロというものまで、酷く痛む。疼く。不快でいて、心地いい。揺れる、彼は笑う、真白に墜ちる。


「一番大事な心臓は両胸に付けてあげるよ。いいでしょ?」


心臓が二つあれば、簡単には死なないよね。微笑みながら彼は言ったが、オレは首を横に振った。彼は少しだけ不機嫌そうに眉を寄せる。


「心臓が二つもあったら、煩くて敵いませんよ」


煩くて、煩くて、大事な人の声も、心音も、聞こえなくなるでしょう。


この両腕で、大切な人を掻き抱いて。その時に初めて、二つの音が聞こえればいい。
左はオレの、右にはあの人の。どくり、どくり、と。生を訴えるその音が。両の耳に届くといい。
一人では駄目なのだと。二人でなければ駄目なのだと。思い知って、二人、支えながら、縋りながら、そうして隣で生きればいいのだ。




忘れようと思った。勝手にいなくなったあの人のことなど、忘れてしまえばよかったのだ。
あの人の声も、姿も、瞳の色も、全てをすくい上げた強い手も、砂糖菓子のように甘い笑みだって。忘れてしまえばよかった。

忘れられるはずがなかった。分かりきっていたのに。


胸が騒がしい。懐かしい。こんな思いを何と呼ぶのだろう。
その答えを、オレは、持っていない。


「そう言えば最後にもう一つだけ。涙もオプションで付けようか?」


無くても困らないし、涙は面倒だって、付けない人もいる。あったって使わないかもしれないね。使わなくたっていい。使ってもいい。涙は自由だ。どうする?彼は唄う。


「付けてください」


誰かのために、自分のために、何かのために、すべてを想って、泣くことのできる、あの人のような、優しい人になれるよう。あの人が、安心して笑えるよう。


「涙の味はどうする?」

「どうでもいいです」

「えー、味だよ。大事だろ」

「じゃあ貴方は何味が好きなんですか」

「ボク?そうだなあ。甘い方が好きかな」

「じゃあそれで」

「お前、それでボクを恨むなよ…」

「さあ。それはどうでしょう」


彼が笑うから。オレも笑う。いつだってそうだ。


いつだってそうなのだ。いつだって、いつだって。 オレの大切なものをすくい上げ、隣で笑い、臆病なオレの手を引き、オレを赦した、あの人。愛しくて仕方なかった日々を照らす光。無くてはならないもの。


いつだって、いつだって。あの人が居たから。オレが世界の果てで泣くことは、なかったのである。


「ほら。望み通りすべてが、叶えられているだろう?」


オレは過去を手に入れた。あの人の居る過去。
大切なことを伝える口は一つだけ。生を刻む心臓は一つだけ。大事なものを捕まえるための腕も、真っ直ぐに立つための足も、世界を見るための目も、名前を呼ぶ声を聞くための耳も。すべて、全て。
あの人の望んだ"涙"も、今度はちゃんと手に入れた。


彼は、笑う。笑う。


「だからね。涙に暮れるその顔を、誇らしげに見せてくれよ」


笑う。


「さあ、これで君は"キミ"という存在だ。キミはここから始まって、キミが終わるとき、キミはまた選ぶことになる」


過去か、未来か。思い出か、未知か。これまでか、これからか。


「ボクが手伝えるのはここまでだ」


くるり、と彼が回る。再び花が咲いて、その花の回りで、きらきらと何かが輝いた。朝露のようなそれは、うつくしかった。


彼は笑う。笑っているのに、泣いていた。砂糖菓子はどろどろに溶けて、多くの砂糖を溶かされた水は濁っていた。


どこかが痛かった。何かが酷く痛んだ。苦しくて苦しくて、オレは彼に、あの人に、何かを伝えなければいけない、気がするのに。思い出せない。分からない。苦しい。ただ、息を、吐く。


「いってらっしゃい」


彼がオレの背を押した。ゆっくりと。一緒に行こうと、手を伸ばしてくれ。こんなところじゃなくて、隣で、歩いてくれよ。言えなかった。


オレは彼のことを、"知らない"のだ。


「最後に一つだけいいですか?」


足を止め、振り返る。彼が、笑う。


「どこかでお会いしたことが、ありますか?」


笑う。


彼はただただ、微笑むばかりだった。首を振ることも、口を開くこともなく、ただ、砂糖菓子のように甘い笑みを浮かべて、オレの背を、強く押した。それだけだった。


「また会おう」


彼の笑みが消える、その瞬間。
はじけたせかいの中で。


オレは確かに、彼の、あの人の名前を、思い出した。口に出した。叫ぶ。呼んだ。彼は、泣いた。




忘れるものか。
今度こそ、あの場所で。あの人の名前を呼んで、手を引くのだ。いつだって、いつだって。笑ってオレを送り出す彼に、一緒に行こうと、このたった一つの口で、伝えて。心臓が奏でる音を、あの人に、聞かせて。涙に暮れるその顔を、誇らしげに、見せるのだ。

だから、二度と、忘れない。




生まれ落ちたその時に、オレは、確かにあの場所で呼んだはずの、あの人の名前を、覚えてはいなかった。






真白な空間に、オレはぽつりと浮いていた。過去も未来もないオレは、ただただこの場所のように真白に、ぽつりと、そこに居た。


「こんにちは」


ふと、彼は気付けばそこにいた。砂糖菓子のように甘い笑みを浮かべて、ただ、そこに居た。

胸が騒がしい。でも懐かしい。こんな想いを何と呼ぶのか。
オレは答えを持っていたはずだ。分からないはずがないのだ。知っていた。持っていた。答えは、あの人に、いつか、教えてもらったのだから。

それでもオレには分からない。真白なオレには分からない。苦しい。息を吸って、大きく、吐いた。


「未来と過去のどちらかひとつを選べるとしたら、どっちがいい?」


彼はそう訊ねた。砂糖菓子のようにどろどろに甘い笑みを浮かべて、彼は泣いていた。頬を伝う、うつくしい雫。ぱたり、足元にできる水溜まり。彼の足元にも、オレの足元にも、広がる。透明に、透き通った、流れ出た想いの、かけら。


「…過去を、」


この想いの名前を知るために。あの人の名前を知るために。


「過去をください」


彼は笑う。笑う。笑う。


笑って、オレの、名前を、






生と死と輪廻を、何度繰り返しても、オレは、彼の、あの人の、あの頃のような、太陽のような笑みを、見ることは叶わない。

ただただ、彼は、あの人は、どろどろに溶けた砂糖菓子のような笑みを浮かべて、ただただ、涙を流すだけ。






さよなら、何度も聞いたあの人の声を、聞かないように耳を塞いだ。






オーダーメイド

(強い人より優しい人になれるように、なれますように)
(『大切』ってなんだか分かるように)







SONG by RADWIMPS


130626〜130627/130629


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