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お前なんか嫌いだ。大嫌いだ。そう叫んだ言葉が跳ね返ってボクに突き刺さる。
彼は本当に一瞬、酷く傷付いたような顔をして、それからすぐにいつものような嘲笑を浮かべる。ほんの少しの表情の変化だけれど、それに気付かないほどボクは愚かではなかった。ぐさり、言葉が突き刺さる音が聞こえた。
大嫌いだ、と一度口から出てしまった言葉はもう取り返しがつかない。ボクにも彼にも突き刺さったまま、ぐらぐらと不安定に揺れている。あんな表情を見るくらいならば言わなければよかった、後から悔いることはいくらだってできるのに、放った言葉を無かったことにはできないのである。


彼はその後もいつものようにボクのことを揶揄って、いつものようにボクを殴り、いつものように端正な顔を歪めて笑った。そこにいつもは見えない何かを感じ取ってしまって、言葉を放ったボクの方が泣きそうになってしまった。
それからも彼は何事もなかったかのようにボクに接してくる。ボクはその度に傷口が膿むのを感じた。じくじくと、あの時放った言葉が、膿んだそこから深く深く侵入してくる。触れてはいけないところまで浸食しそうになったあの言葉は、いつだってボクのことを苦しめた。


どうしてなんだ、と叫びたかった。どうしてお前はいつも通りでいられるんだ。あんなに傷付いた顔をしていたくせに。どうしてお前は、まるでボクの言葉が無かったみたいに。何でもない風を装っていられるんだ。怒鳴り散らしてやりたかった。
泣いて縋りたかった。ごめんなさい、嫌いだなんて嘘だ。だから、だから。だから?
だから何だと言うのだ。どうしてボクが彼に向かって放った言葉がボク自身を傷付けているのだ。彼はボクの痛みを知りもしないで、ただただいつも通りであり続ける。謝ってどうするのだ。何に対して許しを請いたいのだ。ボクは彼に何と言ってほしいのだ。


先を行く彼の、ボクよりも随分と大きな背中を見て、いつの間にかボクは泣いていた。あの言葉を放ってから、十日目のことだった。
足を止めた。痛かった。突き刺さった言葉はもうボクの中の奥深くにまで至っている。触れてはいけない柔らかな部分に遠慮容赦なく、その鋭い切っ先を突き付けていた。
振り返った彼はボクの涙に大層驚いたようにその赤目を見開いて、それからまた傷付いたような顔をして、感情を消した。ボクはまた泣いて、喉の奥に突っ掛った言葉を吐き出そうともがいていた。


どうして泣くんですか、と彼はボクに問い掛ける。
ボクは言葉を知らぬ赤子のように首を振ることしかできない。
どこか痛いんですか、と彼はボクに問い掛ける。
痛いのはボクの一番柔らかな心の芯だ、言葉は出ない。
オレが嫌いですか、と彼はボクに問い掛ける。
ボクの目からは大粒の涙が溢れ出して、もう、彼の顔を見ることも出来なかった。


「馬鹿ですね」


呆れたような、愉快そうな、幼い子供に言い聞かせるような、今にも泣きそうな、そんな声で。彼はボクにそう言った。


「あなたは優しすぎるんですよ」


人を傷付けるための言葉で自分が傷付いていては、いくつ心があっても足りませんよ。もう少し自分を大切にしたらどうですか。彼はボクにそう言った。


「オレは大丈夫です」


何が大丈夫だというのか。そんな、涙の膜越しでも分かるような、そんな、寂しげな顔をしているくせに。何が、どこが、大丈夫だというのか。優しすぎるのは誰だ。馬鹿なのは誰だ。自分を大切にしなければいけないのは、ボクと彼、一体どちらの方なのか。


ボクの放った言葉は、ボクだけでなく、彼の柔らかな部分をも貫いて。抜くことも出来ず、ボクらはただただそいつの侵入を許し、日に日に膿んでいくそれを持ったまま、癒すこともなく。刺さった棘を、大事に大事に抱え込んでしまっていたのだ。
その棘は簡単に抜くことができたはずだし、傷は癒すことが出来たはずだ。ずくずくになったそこは、見るも無残になっていて。だけど、ボクらはその酷い傷の癒し方を、きっと知っているのである。


「ごめんなさい」


ぽろ、とひとつ、棘が抜け落ちて。


「大嫌いなんて嘘だ」


ふわり、膿んだそこを優しく包んで。


「ボクは、お前のことを、とても頼りにしているよ」


傷口を拭って、真新しい包帯を巻いて。


「だから、ねえ、ロス」


温かな息を吹きかけて、涙をひとつ、落とすだけ。


「そんな、泣きそうな顔、するなよ」


ボクは久しぶりに笑顔を作った。涙や鼻水や、そんなものでどろどろになった顔で、笑う。もう棘は無い。傷口は痛まない。真っ白な包帯で手当てをされたそこから、血が滲むこともない。
彼は本当に一瞬、酷く嬉しそうな顔をして、それからすぐにいつものような嘲笑を浮かべる。ほんの少しの表情の変化だけれど、それに気付かないほどボクは愚かではなかった。彼がボクに手を伸ばす。


「いつまでそこに座ってるんですか」


行きますよ、と彼はボクに手を伸ばす。ボクはその手を取って、立ち上がる。立ち上がった拍子に、抜け落ちた棘が、足元に転がった。ボクはそれを遠くへ遠くへ蹴り飛ばす。蹴り飛ばしたそれは、もう見えない。
ボクは彼の隣に並ぶ。彼はそんなボクをちらりと見て、小さな声で、ごめんなさい、と言った。あんな言葉を言わせてごめんなさい、傷付けてごめんなさい、そんな簡単な言葉も言えなくてごめんなさい。彼の言葉は小さく短いものだったけれど、その中のたくさんの言葉をボクはしっかりと聞いた。


ボクは笑う。彼は笑う。




ハート・ハートに花が咲く




130605


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