senyu | ナノ



(アルストロメリアの後日談)



勇者クレアシオンの旅は終わりだと、あの人は笑った。
勇者さんのくせに生意気だ、とか、何かっこつけてんですか、とか。言いたいことはたくさんあったけれど、それを言ってしまうと同時に柄にもない言葉まで飛び出してしまいそうで。口を噤んで、少しだけ口元を緩めた。


踵を返す。面倒なのに捕まる前に行ってしまえ、と、ようやく並んで歩くことが叶った親友の腕を引く。もう行くの、だなんてとぼけたことを言うそいつの頭を軽く殴って、一歩を踏み出して。


「あ!」


あの人が上げた短くも大きな声に、踏み出した足を止めた。振り返る。


「ちょっとだけ、待ってよ!」


そう言いながらあの人は小さな魔王に何事かを囁いた。魔王は満面の笑みを浮かべて、彼女の魔法を発動させる。宙に浮く真っ黒な穴に、親友はただただ目を丸めた。
魔王がそこから取り出したのは一冊のノート。それを見て、笑ってしまった。あの人を見ると、あの人も同じように笑っている。


どんなことがあろうとも欠かさなかった交換日記。ノートの真ん中辺りを開いて、差し込まれたペンを手に取って。あの人はノートを地面に置いて、字を綴る。
あの人が書き終わると、ノートは魔王の手に渡った。普段は長い袖に隠れている魔王の小さな手がペンを握る。あの人よりも短い時間で書き上げた魔王は、そのノートをあの人に返す。あの人がオレを見る。


「はい」

「どうも」


旅立ってしまえばそう頻繁に会うこともできないだろう。そう思ってノートを開こうとすると、あの人は慌ててオレの手を掴んだ。待って、と焦ったように紡がれる言葉。
一体何なのだ、と訝しんであの人を見ると、あの人は視線をあちらこちらに泳がせながら、照れたように頬を掻く。


「えーっと…、そうだ!二人が旅に出て、最初に野宿をした日に読んでよ」


どうせ読むのだから今読んでもいいではないか、と言おうとしたところであの人がそう言った。視線は泳いだままである。


「そんなに目の前で読まれると都合の悪いことでも書いてあるんですか?」

「そんなわけないだろ。ちょっと恥ずかしいだけだって」

「アルバさん、すごいクサイこと書いてたもんね!」

「ひどいっ!」


そういうことなら仕方ない。喧しい声も近付いてきている。これ以上問答している時間はないかと、再び親友の手を引いた。出来ることならあの人の目の前で日記を読んでからかってやりたかったのだけれど。


「気が向いたら城宛てにでも送りますよ」

「うん、待ってる」


珍しく素直なお互いの言葉。照れ臭そうに笑うあの人の腹を一発殴って、呻く姿に満足する。そうだ、オレたちはこうでなければ。魔王が口元を袖で隠しながらくすくすと笑い声を上げた。


「行くぞ、クレア」

「ま、待ってよシーたん!」


何が何だか分からない様子の親友に声を掛けて、今度こそ一歩を踏み出した。三度目の旅立ち。どの旅立ちよりも満ち足りた、幸福な一歩。


「いってらっしゃい、シオン、クレアさん!」

「気を付けてねー!」


あの人と魔王の声を背に、オレは今度こそ笑う。オレの横に並んだ親友も、そんなオレの表情に嬉しそうに笑う。
喧しい声が遠ざかる。あの人と魔王が手を振る姿も小さくなる。手の中のノートは、変わらずそこにある。




そうやって、オレの三度目の旅は始まった。




それから数日。宛てもなく、風の吹くまま気の向くままに歩いて。世界を見て、千年前の思い出を語って、あの人と魔王との旅の話をして。
何でもない風景にもいちいちはしゃぐ親友を見て笑い、時には殴りながら、あの人がすくった世界をオレたちは歩く。ノートの中は、まだ見ていない。


珍しい蝶を追いかけて走り出したあいつを追い掛けて、やっとのことで捕まえて、強引に連れ戻して。その時には既に本来ならば歩くはずだった街道を大きく逸れてしまっていて。
そんな事情で、その日は三度目の旅での初めての野宿だった。もちろん親友のことはこれでもかというほど殴っておいた。今回のことはさすがに反省したのか、親友は黙って殴られていた。


火を起こす。近くの森から拾って来させた木の実や山菜、森を流れる川で釣って来させた魚。それらを火で炙り、最低限持ち歩いている調味料で軽く味付けをする。本日の夕飯は野宿にしては豪勢だった。
オレにとっては食べ慣れた食事でも、親友はすげーすげーと目を輝かせていた。何がすごいんだ、と呆れて食事の手を止めてしまったが、気を抜くとオレの分まで食べそうなそいつに危機感を覚え、とりあえず殴っておく。


「そういえばシーたん。ノート、見ないの?」


ノートについては道中で話してある。あの人が持ち掛けてきた交換日記。何だかんだと続けてきたそれ。魔王が加わってからは賑やかになったそれ。あの人との約束を律儀に守っていたことは癪だが、それでも中を見ることなく、今日まで歩いてきた。


「…そうだな」


最初の野宿の日に見てくれ、とあの人は言った。城からは遠く離れたこの場所。どんなに可笑しくてもどんなに殴りたくなっても、殴れる場所にあの人はいないのだ。悔しいような、それはそれでよかったような。


荷物の中から一冊のノートを取り出した。その真ん中辺り。ペンが差し込まれたページを開く。踊る、見慣れたあの人と魔王の字。




『○月×日
 今日はとてもいい日だ。ボクが旅立ってからの日々の中で一番いい日だ。ボクはとても幸せだ。
 頑張ってきて良かった。前に進んできて良かった。大丈夫だ、何とかなると信じてきて良かった。だって、本当に何とかなったんだから。
 ボクはとても幸せだ。本当に、本当に!

 ルキへ。
 いつも支えてくれてありがとう。ルキがいたから頑張ってこれた。本当にありがとう。

 シオンへ。
 なあ、ボク、お前と友達になれたって、思ってもいいかな?』

『今日は本当にいい日だね!私もしあわせ!

 アルバさんへ。
 アルバさんと一緒に旅ができてよかった。パパとママを、シオンさんを、助けてくれてありがとう!

 シオンさんへ。
 シオンさん、私も、シオンさんと友だちになりたい!』




思わずノートを取り落とし、両手で顔を覆ってしまった。ふざけんな、と悪態を吐いて、ノートを握りしめる。何だこれ、ふざけんな、何だこれ。そんな言葉しか出てこない。何だこれ。
親友がノートを覗き込む。まだ字は読めないだろうに、そいつは何故だか上機嫌に笑い、オレの肩を叩いた。腹が立ったので殴っておいた。


「いてて…。…で、シーたん。なんて返事するの?」


にやにや。性懲りもなく笑うそいつをもう一発殴って、それでもめげないそいつに問われた。本当は字が読めているのではないかと思うような問い掛け。昔から無駄に勘だけはいい奴だ。腹立たしい。


「…知るか」

「シーたん愛されてるねぇ」


いいなあ、とそいつは呟いた。そしてすぐに、嬉しいなあ、と笑った。遠い昔にされていたようにがしがしと頭を掻き回される。そしてそいつは集めた薪の一本を手に取って、オレを見た。


「ねー、シーたん。『ありがとう』ってどうやって書くの?」


顔を上げる。にこにこと笑う親友。ああくそ、もう一度吐き捨てて、そいつが持っている木の枝を奪い取る。きっと、まだ顔は赤いままだ。
真っ赤な顔を顰めて、オレは地面に字を書いた。書き慣れないその文字列。本当は伝えなければならないその言葉。
親友は何度も何度もその言葉を地面に書いた。こう書くの、こうで合ってるよね。何度も何度もオレに確認しながら、書き慣れない文字を必死に綴るその姿。その姿がいつかの誰かに重なって、頭に浮かんだ姿を首を振ることによって追い払った。


「よし!」


意気込んでペンを取るそいつ。しっかりとペンを握り、地面を埋め尽くさんばかりに書かれた言葉を、一つひとつ確認しながら。丁寧に、見たこともないくらい慎重に、ノートに綴る。


「できたー!どう、シーたんどう!?」

「どうもこうもねぇだろ」

「えー。こんなにうまく書けたのにー」


真っ白なページのど真ん中に、大きく書かれた『ありがとう』の文字。それを何度も見て、何度も読み返して、親友は満足気に頷いた。


「じゃあオレ、先に寝てるね。おやすみ、シーたん」


気を遣ったつもりなのか、ノートをオレに渡すとそいつは早々に地面に横になった。星が綺麗だ、なんて呑気に笑うそいつの頭を弱くはない力で殴って眠りに就かせる。ざまあみろ。


静かな夜。薪の爆ぜる音がする。ぱちん、と、ひとつ。弾けた。


何を書けばいいんだ。こんな、こんな。
最後に見たあの二人の顔を思い浮かべる。浮かべて、頭を抱えた。どんなことを書いたって、きっとあの二人はあのときのように、ゆるりと頬を緩ませるのだろうから。


悩んで、悩んで。悩みに悩んで。焚火に放り込む薪が底を尽きるまで悩んで。そうして書いたのは、いつも通りの短い言葉だった。




『勇者さん。ルキ。ご自由にどうぞ。』




これを見た二人はどんな表情をするだろうか。絶対笑うだろう。それも、飛び切り幸せそうに笑うに違いない。オレの名前を呼んで、子犬のようにじゃれついて。笑う。容易に想像がついて、思わず笑い声が漏れた。ああ、案外悪くない。

次の街で城宛てに送ってやるか、と思いながら、そっとノートを閉じた。空はまだ暗いまま。あと少ししたら親友を叩き起こして見張りの交代をして。次に起きた時にはもう朝だ。また一日が始まって。


はらり、荷物の中に仕舞おうと手に取ったノートの隙間から、何かが落ちた。落ちてきたのは紙切れ。拾って、また顔を覆った。
堪えきれない笑いが声に出て、あの日のように声を押し殺して。腹を抱えて、涙が出るまで、笑った。




『ボクは小さい頃からずっと、勇者クレアシオンに憧れていた。いつか必ずクレアシオンみたいな勇者になるんだって思ってた。
 まさか伝説の勇者がこんなドSだとは思わなかったけどな!

 伝説の勇者(元)様。
 ボクはあなたみたいな勇者になれましたか?』




笑った拍子に、ズボンのポケットからくしゃりと音がした。ああ、そうだ。取り出したのは、ぼろぼろでところどころが破けている紙。何度も繰り返し読んで、もう内容は覚えてしまった。

あの人とオレの、初めての交換日記。あの人は知らないけれど。




『△月○日
けがをした。体がいたい。
それよりもくやしい。よわい自分がなさけない。
つよくなりたい。つよくなりたい。つよくなりたい。
せんしに追いつきたい。同じものを見たい。
なにを考えてるのか知りたい。
どうしていつもかなしそうなんだ。
ボクはよわい。とてもよわい。
つよくなったら、あいつはボクとはなしてくれるかな。

ボクはせんしと友だちになりたいです。』

『ありがとうございます。』




紙切れを裏返して、一度はノートに挟んだペンを再び握る。さて、何と返事をしようか。






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