senyu | ナノ






手にした力は大きすぎた。正と負、相反する二つの力はボクの中でぐるぐると巡り、反発し、そして弾けた。
見慣れた牢の壁に、大きな穴が開いた。真っ黒なそれ。仲間である少女の使う魔法に似たそれは、彼女のものよりも大きい。闇が口を開けている。


行くな、と声がした。危ない、と声がした。名前を呼ばれた。腕を引かれた。だがボクは、大きな穴に向かって歩くことを止められなかった。




――思えばそれは、予感だったのかもしれない。




足を、踏み入れる。
闇はボクの足をいとも簡単に飲み込んで、そして笑う。


「ちょっと、行ってくる」


ボクの身を案じて声を張り上げる二人に軽く笑いかけ、大丈夫だよ、と囁いた。大丈夫だよ、ボクは、生きなければならないから。そう言ったところで伝わるはずもない。聞こえるはずもない。ボクは、笑う。


「アルバさん!」


声が、聞こえる。名前を呼ぶ。
ああ、そんなに心配しなくても、大丈夫。何故だか分からないけど、確信を持って言えた。振り返り、笑う。


「大丈夫だよ。すぐ戻ってくるから」


驚愕に見開かれた目。涙を溜めた大きな瞳。手を伸ばす二人。ボクの足を搦め捕る、黒。
意識が薄れゆく。ゆらゆら揺れる。足元が温かい。墜ちる。






しくしくとすすり泣く声がした。聞いてるだけで悲しくなるような声だった。胸が苦しくなる。泣き声の主は、寂しくてたまらないのだろう。
泣いているのは誰だろう。君はどうして泣いているの。泣きながら誰を呼んでいるの。声はどこから聞こえるのか。建物の奥から聞こえるような、すぐそこから聞こえるような。曖昧な音がボクを導いた。


名前を呼びたくても呼べないもどかしさ。ボクはこの声を知っているような気がするのに、その名前は喉の奥に引っかかって出てこない。ああ、だから、ほら。早く行ってあげなければ。行って、涙を拭って、頭を撫でてやらなければ。


「…パパ、ママ…」


膝を抱えて泣く少女がいた。小さな身体をもっと小さくして、細い肩を揺らしていた。建物の隅、誰も来ないような薄暗くて埃っぽい場所。少女はそこで、たった一人で泣いていた。


「どうしたの?」


声を掛ける。少女の肩がびくりと跳ね、恐る恐るこちらを振り返る。目にはいっぱいの涙。真っ赤になった目元。頬まで真っ赤にして泣く少女は、ボクの姿を見るなり、誰、と固い声を出した。


「…あー、」


少女はごしごしと服の袖で涙を拭った。無理矢理涙を消してしまった少女は、強い目でボクを睨み付ける。ああ、そんなに精一杯怖い顔をしなくてもいいのに。君には笑顔がよく似合うよ、だなんて。言わないけれど。


「ボクは、まほうつかい」


ボクは笑う。


「まほうつかい?」


少女はきょとんとする。


「そうだよ。ボクはまほうつかいなんだ」


内緒だよ、とボクは口元に指を添えて笑った。少女はぱあ、と顔を綻ばせる。こくこくと、何度も大きく頷く少女の横に腰を下ろして、少女と同じように膝を抱えてみた。まだまだ細くて頼りがない足だ。一丁前に傷だらけなのだけれど。


「ねえ、どうして泣いていたの?」


ボクがそう尋ねると、少女はまたじわりと目に涙を浮かべる。ボクはその綺麗な涙をそっと指で拭い取り、少女の髪を撫でてやる。堰を切ったように溢れ出す雫。少女は膝に顔を埋めて、静かに泣いた。


「パパとママが、いなくなっちゃった」


私、ひとりぼっちになっちゃったの。少女は泣くのを堪えるように目を伏せた。震える身体は小さい。まだまだ甘えたい盛りの年頃だろう少女が、ひとりぼっちだと泣く姿。上手くは言えないが、息が詰まりそうなほど苦しくなった。
浮かんでしまいそうな涙をぐっと堪える。ボクが泣いてどうするんだ。少女の桃色の髪を殊更優しく撫でる。少女は甘えるようにボクの手に擦り寄った。


「ひとりぼっちじゃないよ」


こんなに薄暗い場所で、ひとりで泣きながら。突然両親がいなくなった寂しさに耐えていたのだ。それでも必死に、自分に任せられた役割を全うしようと。幼い身で単身、遠くの世界までやってきて。


「…本当?」

「うん。ボクがいる」


はらはらと落ちる涙。それを拭いながら。ボクはそっと少女の両頬を手で包む。額を合わせ、笑う。


「だから、大丈夫だよ」


もう泣かないで。大丈夫だから。
小さな声で名前を呼ぶ。どうして名前を知っているの、少女の物言いたげな瞳に笑みを返して、最後に一粒落ちた涙を拾い上げた。


「もうすぐね、君にはたくさんの大切な人ができるよ」


それはほんの少し先の未来の話。ボクの知っている桃色の髪の少女は、本当に幸せそうに笑うのだ。だから大丈夫、君も。


「どうしてそう言えるの?」

「ボクはまほうつかいだからね」

「そっか」

「そうなんだ」


顔を見合わせて、くすりと笑う。ほら、やっぱり。君には笑顔が似合うよ。だなんて。口から零れてしまった言葉に、少女は恥ずかしそうにはにかんだ。


「ボクと出会うまで、」


生きてね。その言葉は届いたのだろうか。
黒がボクを捕える。驚く少女の肩をそっと押して、手を振った。


「またね」


ぱちん、と弾けて。また墜ちる。ゆらゆら、揺れる。






真っ赤な目と、ボクの目。かちりと合った。射抜かれるようなそれに身を竦ませて、ボクは笑う。きっと情けない顔をしている。
少年は傍らの剣に手を掛けた。すらりと抜かれ、切っ先はボクの喉元を狙う。ボクは引かない。両手を上げて、大丈夫だよ、と笑う。


「こんばんは」


まほうつかいです。少年の目が細められた。
顔色は悪い。目の下には濃い隈ができている。痩せ細った身体。ボクの知るその人よりも一回りも二回りも小さな彼は、それでも確かにボクの知る彼だった。


「…誰だ、」

「怪しいけど、怪しい者じゃないです」

「嘘つけ」

「ですよねー」


どうしたら信じてくれるんだろう。顎に手を当てて考える。
剣の切っ先なんて気にすることなく悩み始めたボクに、少年がぽかんとした。剣を下ろし、鞘に納める。溜め息をひとつ。


「変なヤツ」


少年は火の側に座り込み、ぼんやりと火を眺めていた。ボクは彼の隣に座って、先程と同じように膝を抱えた。不思議だった。少年よりもボクの方が大きい。なんだかくすぐったい。


「ひとり?」

「見れば分かるだろ」

「ずっと?」

「…うるさい」


こんなに小さな頃から彼はひとりで生きてきたのか。いつか見た夢。彼の過去。語り継がれる伝説。
少年はこんなにも小さくて、華奢で。そんな身体で、たくさんのことに耐えてきた。何年も、千年も。つん、と鼻の奥が痛む。


「…なんで泣くんだ」

「うん。なんでだろうね」


貼り付けたような無表情。それが少しだけ、見逃してしまいそうなくらい少しだけ。ゆるりと緩んだ。いつか見た、優しくて悲しげな表情。ボクは涙を拭う。


「まほうつかいが何の用なんだ?」


オレの願いでも叶えてくれるのか。そう自嘲気味に笑う少年の頭にゆっくりと手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。小さく悲鳴を上げる少年に、微笑んでみせた。


「そうだよ」


ボクが君の願いを叶えてあげる。見開かれる綺麗な赤い目。何かを言おうと口を開いた彼。ボクは少女にもしたように、内緒だよ、と口元に指を添えて言った。
少年は何も言わなかった。希望が、渇望が、瞳の中でぎらりと光って。だけど、それだけだった。


「必ず、ボクが君の願いを叶えるから」


少女のものより硬い髪を、ゆっくりあやすように撫でる。少年は変わらず何か言いたげだったけれど、結局その口から言葉が紡がれることはなかった。
されるがままの少年の目が、少しずつ閉じられる。綺麗な赤が瞼に隠されて、年相応の幼さが垣間見えた。


「次にボクと会うときまで、生きていてね」


それは果てしない、永遠とも呼べる時間が流れた後だけれど。きっと、きっとボクらは出会うから。だからそれまで、生きて。歩みを止めないで。何があっても、挫けないで。
ボクの声に、少年は目を閉じたままこくりと頷いた。約束だ、なんて笑うボクの声は、今にも夢の世界に旅立ちそうな彼に聞こえていたのだろうか。


「いい夢を」


髪を撫で、ボクは笑う。あどけない表情で眠る彼の目から、一粒だけ涙が落ちた。その跡を指で拭って、また会おうね、と囁いた。
君がいなきゃ、ボクらの物語は始まらないから。だから今は。どうか。夢の中でだけでも。しあわせに。


少年の髪を撫でていた手が、黒に染まる。引き寄せられて、ボクはもう一度だけ、彼を見る。


「おやすみ」


ゆらゆら揺れる。水の中にいるような、そんな感覚で。ボクは三度、黒の中に放り出された。






お気に入りのクマのぬいぐるみを抱いて、小さなボクがベッドに座りながら泣いていた。夜が怖くて泣いていた。ひとりが怖くて泣いていた。幼い頃からボクは弱虫で、泣き虫で、いつだって母の背中に隠れて怯えていた。
ああ、覚えている。ボクは、このとき。”まほうつかい”に会ったのだ。


「だれ?」

「ボクはまほうつかいだよ」


クマのぬいぐるみをこれでもかと言うほど強く抱き締めて、今にも上げてしまいそうな悲鳴を堪えて。涙でいっぱいの目で、ボクを見上げている。ボクは思わず笑ってしまった。どう見たって彼は、ボク自身であったから。


「ねえ、ひとつだけ、ボクと約束してくれる?」


きょとんと見上げる黒の瞳。月に照らされたその中には、微笑むボクの姿が映っている。ボクの目は、片方が赤い。
ぬいぐるみと共に、ボクはボクを抱き締めた。小さくて頼りなくて、それでも愛すべきボク自身。小さなボクはされるがまま。抵抗することなんか頭に無くて。そう、ボクはこのとき。どうしてまほうつかいはこんなに幸せそうなんだろうと、思ったのだ。


「いつか、君は旅をするだろう」


ここを出て、旅をするんだ。旅の中で出会うたくさんの人がいる。たくさんの人の中で、掛け替えのない仲間に出会うだろう。


「何があっても、君が信じた道を進むんだ」


それは正しい道だから。悩んだり、立ち止まったり。辺りを見回して、それでも進んで。そうして選び取った道は、ボクをボクとして形作るから。
とても大切な人たちと出会うから。とても大切なことを知るから。とても大切なものを守ることができるから。だから、どうか。どうか。君は君のままで、ボクはボクのままで。今を生きて。


「…うん!」


腕の中で小さなボクは笑った。約束する、なんて。意味も分からず告げた。まほうつかいが、あまりにも格好良かったから。ボクは、彼を信じたのだ。ボクはボクを信じたのだ。


「早くそいつがいなくても眠れるようになるんだぞ」


あいつに笑われるからな。そう言いながらやわらかい髪を少し乱暴に撫でてやった。小さなボクは不安げにボクとぬいぐるみを見比べて、やがて首を縦に振った。ボクはもう一度頭を撫でてやる。


「大丈夫だよ」


何も不安に思うことはない。ボクは、ボクの未来は、たくさんの幸福で満ちている。
悲しいことも、つらいことも、悩むことも、痛い思いをすることも。たくさんある。ボクが生きていく先にも、きっと多くの困難が待ち受けている。
だけどボクは知っている。そんなものを乗り越えて、今を幸福に生きる人を知っている。笑い合う未来を知っている。


未来は、幸福で満ちている。
だから大丈夫。ボクはボクのままで。歩いていけば。大丈夫。笑って、大切な人たちと笑い合って、未知を歩けば。大丈夫。


「じゃあな。また、いつか」


やわらかい闇が、口を開けた。真っ黒なそれは恐ろしくもなく、ただそこに、優しく佇んでいた。ボクはその中に、足を踏み入れる。墜ちる、墜ちる、墜ちる。


墜ちた先には、ただただ優しいひかりがあった。






目を開けると、見慣れた牢の壁があった。そこで膝を抱える二人がいて。ボクは少しだけ笑ってしまって。二人の前に膝をついて、彼らの頭に手を伸ばした。くしゃり、手の中で音がする。


「大丈夫だ、って言っただろ」


心配性だなあ、なんて言ってやったら、顔を上げた二人にこれでもかと言うほど罵倒された。馬鹿なんですか何考えてるの頭悪いんですかどうして一人で行っちゃうの馬鹿なんですね馬鹿なんだね。怒涛の勢いで紡がれるそれらを右から左に聞き流しながら、ボクは二人にぎゅうと抱き着いた。


「ボクね、まほうつかいに会ったことがあるんだ」


格好良かったんだよ。そう言ったら、くすりと笑う声が聞こえた。背中に回される手があたたかい。


「格好良くはなかったよ」

「格好良くはなかったですね」


異口同音に紡がれる言葉にがくりを肩を落として、ちぇ、だなんて口を尖らせた。それからじわじわと笑いが込み上げてきて、やっぱり格好良くはなかったかも、と言ってしまった。二人が笑う。


「約束、守りましたよ。”まほうつかい”さん」

「”まほうつかい”さんの言った通りだったね」


顔を見合わせて、三人でくすくすと笑い声を上げた。二人の笑顔を見ると胸の奥がぽかぽかと温かくなって、何かあたたかいものが込み上げてくる。
それが『愛しさ』だとか、そんな名前を付けられるものだから。ボクはまた笑うのだ。


ほらね。未来はうつくしい。






まほうつかいは夜を往く

(だからこれは、)
(ないしょのはなし。)







130413


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