ホワイト・コーヒー






気に食わない。


非常に、気に食わない。



最近大学生活の傍らでアルバイトを始めた。
バイト先は、家からも学校からも良い具合に近いカフェ。
雰囲気も静かで、店のマスターはすごく優しい。
シフトの融通もきかせてくれるし、時給は安くても文句のないバイト先。


ただひとつ、最近どうしても気になることがあった。




目線の先には、見慣れた常連客の姿。
逆立った白く輝く髪に、襟の高い黒服を着て、目元には目隠しのような黒い布。

その不審者じみた格好はさておき、私の頭はその客への不満でいっぱいだった。



「ここは、ブラックコーヒーが美味しいのに……!!!」



マスターが淹れて私が届けたコーヒーに、ぼとぼとと角砂糖を文字通り"掴み入れ"る常連客。
私が不満に感じていたのは、まさにそれだ。


いつもコーヒーを1杯頼んでは、カップの中身が倍になるほど角砂糖を放り込む。
それがどうしても気に食わなかった。

私はここのブラックコーヒーに惚れてバイト始めたのに……


「あんなのじゃホワイトコーヒーになっちゃうじゃん……」


そんな私の不満なんてつゆ知らず、彼は次の日も、その次の日も、ホワイトコーヒーを飲み干した。








「君、名前は?」

「……すみません、そういうのはちょっと。」


あれからちょうど1週間後、その日もコーヒーを彼のテーブルに届けた時の事だった。



「そういうのじゃないよ、嫌だなあ。」


頬杖をつきながら、彼がくすっと笑う。


「ずーっと僕を見つめてるから、そんなに僕のこと気になるのかと思って。」


「なっ……そういう、」


「うそうそ。そういうのじゃないって言ったでしょ」


からかって言うそいつにムカついて、「失礼します。」と雑に頭を下げる。
その後ろ姿に、また彼が声を掛けた。



「これ、気に食わない?」



彼がそう言って指差すのは、いつも通り砂糖をアホほどぶち込んだホワイトコーヒー。
はい、気に食いません。と言いかけて、いえいえと愛想笑いで返すと、彼は可笑しそうに笑ってひらひらと手を振る。


「あはは、じゃあそういう事にしとくよ。仕事のジャマしちゃってごめんね。」


邪魔って分かってるならほっといてよ。
まあ、向こうもほっといてって思ってるかもしれないけど。

結局その日も、彼はコーヒーを1杯口にして店を後にした。










やばいやばい。
閉店作業の後に店長と駄弁っていたら、すっかり遅くなってしまった。

さっむ。と呟いた声が夜に吸い込まれていく。
帰ったらメイク落として、お風呂入って、明日の準備して……
あー、考えるだけでめんどくさい。






ぼうっと考えていて、ふと気がついた。


「……?」

帰り道にある、道路下の小さなトンネル。
いつも通りの帰り道のはずだ。
でも、歩いても歩いても、出口が見えてこない。


これは、おかしい。

お化けの類なんて信じてないし信じたくないけど、これはおかしい。


こうなったら、戻ってみるか……?



そう思って振り返って、私は言葉を失った。




目の前には、カエルのような、ムカデのような、得体の知れない生き物。

それが、じっと私を見つめている。




その時、それがガバッと口を開けて、私は思わず飛び退いた。



「っうわ……!」


それでも足がすくむ。
気持ち悪い。食べられる。
そもそもあれは何なの?
生き物?お化け?

……呪い?



どうにか二歩、三歩と後ずさったその瞬間、背中を何か暖かいものに包まれた。





「へぇ……あれが見えるの。珍しいね、君。」


聞きなれた声にはっと顔を上げると、不審な目隠しに逆立った白い髪、そして黒ずくめの服。

彼は、





「ホワイトコーヒー!!!」


「あっははは!ホワイトコーヒー?なるほどね!」


咄嗟に叫んだ私に、彼が腹を抱えて笑いだした。
げらげらとひとしきり笑って、ふう、と息をつく。

ちょっと、こっちは必死なんですけど。


そもそも見えるって、あれの事?
あれって普通は見えないの?


「僕から離れないでね。不満かもしれないけど。」




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「あの、ありがとうございました。」

「いーよいーよ。気にしないで。」



あれから何が起きたのかは、よく分からなかった。
気付けばその化け物は縛られたように動かなくなって、その途端、ふわりと彼の片手で隠された私の両目。

……そして気づいた時には、全部が終わっていた。




「ええっと……」

お礼に「ホワイトコーヒーさん」はあまりにも失礼だから名前を……そこまで考えて、私が彼の名前を知らないことに気がつく。

言葉につまると、ふとその大きな手が、私の髪を撫でた。



「五条悟。君とはまた会うことになりそうだ、名前。」

「えっ、何で名前……」

「あっ、僕もう行かなくちゃ!
今度からマスターにもっと早く帰してもらえるように頼んどきなよ。またねー!」


気の抜けた声が、夜空を抜けていく。
じゃあ!と手を振った瞬間、彼は高く飛び上がって去っていった。

「あの!!!」


なんだかそれで終わりにしたくなくて、咄嗟に叫ぶ。


「なんで私を助けてくれたんですか!!」


その問に、彼がふっと笑った。


「美味しいコーヒーのためだよ。」








「……五条、悟……」

ぼそりと呟いた彼の名前に、思わず熱が籠っていたことに、私はまだ気づかない。





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