柔らかな茨 前編
やばい。確定やばい。
こんなの圧倒的に不利だ。
ビルの合間を縫って、人目を掻い潜り、必死に逃げる。
「ああもう、一級呪術師とか聞いてませんけど……!?」
術式もまともにまだ扱えず呪いとしての力に振り回されてばかりの私が、何を間違えてこんな呪術師たちに追われているのか。
それは他でもない、この手の中の"特級呪物"のせい。
闕所貫(けっしょかん)と言われる鈍色の釘のような形のそれは、使用した相手の感覚ひとつを奪い、ひとつを与えることが出来るという呪物。
夏油の命令で私はたった今これを高専管理下から盗み出してきたところだ。
こんなところで祓われる訳にはいかない。
この闕所貫を何としてでも持ち帰らなければ。
そう思い宙に飛び上がった、その時だった。
「っぐ、!」
首を掴まれ、浮いていたはずの身体が裏路地の壁に押し付けられる。
くそ、誰が、いつの間に……!!
1度咄嗟に瞑った目を開くと、空を流し込んだような青い瞳がこちらをじっと見つめていた。
こいつは……!!
「五条悟……っ、」
「いやぁ、逃げ足の早い厄介な呪霊がいるから助けてくれと言われて来てみれば。
なぁんだ、ちっちゃくて可愛い子じゃない。」
ふふ、と穏やかに笑ったソイツに、身の毛がよだつ。
目の前のこいつに、殺意でも憎しみでも怨みでもない、何かおかしな感情を読み取ったからだ。
嫌だ、怖い。何なんだ、こいつ。
その私の心情を辿るように、そいつの指が腿からつうっと腰まで辿る。
「や、めろ、」
思わず震えた声にそいつはまた可笑しそうに笑って、私の手の中の闕所貫を手に取った。
「へぇ……これが闕所貫ってやつ?初めて見た。」
「っくそ、返してよ!!」
「口が悪いな、モテないよ?」
私の首を押えるビクともしない腕を掴んで怒鳴ると、五条悟は、小首を傾げた。
ぞくっ
私を見下ろすその瞳に、全身がうるさい程の警鐘を鳴らす。
その視線はまるで……愛おしくて堪らないとでも言うような。
「ねえ……助けて欲しい?」
がたがたと震える肩を、闕所貫の先でそいつがなぞる。
「だったらさ。僕の名前、呼んでよ。悟って。」
「だ……誰が、呼ぶか……!!」
絞り出した声が情けなく裏返る。
祓われる。ここで終わるのか。
「名前を呼んでくれたらさ、助けてあげるよ。
なんか僕、君のことが可愛くて仕方ないみたい。」
場違いな、甘い声色。
ついに声が詰まって、どうしようもなくて首をぶんぶんと横に振る。
それが、失敗だった。
「だったら、君に声なんて要らないね。」
「えっ?」
ざく。
視線を下ろすと、腿に突き刺さった闕所貫。
「汝、声に代え、痛みを受けん。」
その瞬間、呪物の突き刺さったそこから身を裂くような痛みが広がって、私の意識は途絶えた。
「……あ、この子の名前を聞くの、忘れてた。」