6.お兄ちゃんとお姉ちゃん

 春節も終わって、いつもの日常が戻ってくる。我が家には新たに美香が加わって、いままでとは違う一年を迎えた。美香はよく飲み、よく眠り、よく泣く。一日中とても元気で、お世話をするのは大変だけど、それも嬉しい悲鳴だった。
 目は少しずつ見えてきているようで、最近は何かをじっと見つめたり、動くものを目で追いかけたり、笑いかけられると笑い返したりするようになった。昨日までできなかったことが、今日はもうできている。少し目を離しただけで、ぐんと成長している。无限大人が目を離したくないというのもよくわかった。
 あいにく、无限大人はしばらく任務だ。ここのところ多めにお休みをもらえていたので、その分しっかり働かなければ、と无限大人は言って、けれど美香と離れるのは名残惜しそうで、私にも無理しないよう念を押して出掛けていった。
 小黒も学校に行ってしまって、家は静まり返っている。
「美香ちゃん、今日はよく晴れてるから、少しお庭に行こうか」
 暖かなおくるみでしっかり包んで、寒くないようにしてから、美香を抱いて庭に出る。風が穏やかで、日差しの下は暖かかった。
「寒くない?」
 美香の様子を見ながら、ゆっくり庭を歩く。美香は空を見上げていた。青い空には、雲ひとつない。空の色が、美香の丸い瞳に映り込んでいる。
「あれは空だよ。ずっとずっと高いところ。パパに高い高いしてもらっても届かないの。あ、空を飛べば近づけるけど……」
 何度か、空の上へ連れて行ってもらったことを思い出す。初めて飛んだのは、无限大人と想いが通じたときだった。少し怖かったけれど、无限大人がしっかり支えてくれていたから、大丈夫だった。
「美香ちゃんも、そのうち空へ連れて行ってもらおうね」
 そういえば、美香は无限大人のように、霊質が扱えるようになるだろうか。今のところ、まだその様子はない。无限大人は7歳ごろにそれに気づいたそうだ。だから、まだわからない。美香も力が使えれば、小黒と一緒に无限大人と、修行ができるかもしれない。そう考えるのは楽しかった。美香は、妖精たちとどんなふうに関われるだろう。小黒を兄として育つことになる。私も妖精の存在は身近だったけれど、家族と同じくらい近しい存在はいなかった。美香にはできれば私たちの仕事を継いでほしいという思いはある。でも、興味がどこに向くかはわからない。美香がやりたいと思ったことなら、どんなことでも応援してあげたいという気持ちが一番だ。実際、私の弟や妹は妖精に関わらず、普通の企業に勤めている。美香はどんな子に育つだろう。何が好きで、どんなことを楽しむだろうか。自分の意志で何かを選ぶ姿を早く見たい。そう思う一方で、今の小さな赤ちゃんの姿も、できるだけ長く見せてほしいとも思う。お医者さんには、手のかかる時期は、一生の中で見ればとても短いと教えられた。だから、大事に過ごしてほしいと。
 美香は青空から、私の顔に視線を向けていた。私はにこりと笑いかける。すると美香も嬉しそうに笑った。笑い声とまではいかないけれど、アーアーと声を発している。
「お外気持ちよかったね。青空がきれいで。冷えちゃうから、そろそろ戻ろうか」
 部屋の中に戻ろうとすると、美香は首を捻ってまた青空を見上げた。あの青色が、美香にも見えているんだろうか。

「小香、美香、ただいま!」
 夕方になって、小黒がぱたぱたと帰ってきた。
「お邪魔します!」
「小香さん、こんにちは!」
 小黒の後ろには、小白ちゃんと山新ちゃんがついてきていた。
「ふたりとも、いらっしゃい。美香ちゃんに会いに来てくれたの?」
「うん! 私、お姉ちゃんだから!」
「あ、ずるい。私もお姉ちゃんになりたい」
 小白ちゃんが元気に言うと、山新ちゃんが羨ましがって、お姉ちゃんぽい笑みを作って美香を覗き込んだ。
「美香、私にお姉ちゃんになってほしいよね?」
「あはは、脅してるみたい!」
 遠慮なく思ったままを言う小白ちゃんに、山新ちゃんは心外そうに口の端をぴくりとさせた。
「ふふ。いっぱいお姉ちゃんがいて嬉しいね、美香ちゃん」
 美香は手をばたつかせ、声を上げる。賑やかになったからか、嬉しそうだ。
「ほら、喜んでる!」
 山新ちゃんもそれを見て、頬を上気させて目を輝かせた。
「美香ちゃん、こっちにもお姉ちゃんいるよ!」
 小白ちゃんは山新ちゃんの反対側から美香の顔を覗き込み、顔の横で手をひらひらさせる。美香はじっとその動きを見つめた。
「お姉ちゃんはこっちよ!」
 山新ちゃんは自分のツインテールを摘むと、おもちゃのように振って美香の興味を引こうとする。美香は今度はそちらに気を取られた。そうすると、また小白ちゃんが手をひらひらさせるので、顔をそちらに向ける。山新ちゃんが美香の視線を取り戻そうと、指を鳴らして音で注意を引く。二人にひっきりなしに迫られて、美香は忙しく首を振る。どちらにも同じくらい興味をそそられるようだった。
「二人とも、それくらいにして。美香が困ってるよ」
 様子を見守っていたら、小黒がストップをかけた。
「ちょっとやりすぎたね、ごめんね、美香ちゃん」
 小白はすぐに反省して、山新ちゃんもごめんごめん、と謝った。
「もうすっかりお兄ちゃんじゃん」
 そんな小黒を、山新ちゃんは肘で小突く。小黒はへへへ、と嬉しそうに笑った。
「師父に守ってあげなさいって言われたけど、でも、それとは関係なく、顔を見てると、自然と、ぼくが守らなくちゃって気持ちになるんだ」
「わかる!」
「確かに」
 真面目な調子で話す小黒に、小白ちゃんも山新ちゃんもうんうんと頷いた。
「すごくちっちゃいもんね。まだ、自分で歩けないし」
「喋れないし、歯もないもんね」
「助けてあげなきゃって、思うよね」
 皆が自然と、年上としての自覚を持って、美香と接しようとしてくれているのがありがたいし、とてもえらい子たちだと思う。
 そのとき、美香が泣き出したので、途端に皆不安そうな顔になった。
「どうしたのかな?」
「どこか痛いのかな」
「私たち、驚かせちゃった?」
「大丈夫。そろそろお腹が空く頃かな」
 美香を抱き上げて、授乳すると、美香は泣き止んでごくごくとおっぱいを飲み始めた。
「わ、ほんとだ」
「泣き止んだ……」
 二人とも感心して、美香の表情を確かめる。
「すごいな。やっぱり、ママにはかなわないや」
 小黒は眉を下げて笑ってみせる。お兄ちゃんとして気負った矢先、対処できなかったのが悔しかったみたい。
「ぼくだと、泣き止ませてあげられないもん」
「そんなことないよ。守ってくれて、たくさん遊んでくれるお兄ちゃんのこと、美香ちゃんは大好きだよ」
「そうかな……」
 小黒は照れたように頬をかいた。
「これからも、お願いね」
「うん!」
 お腹がいっぱいになったら、美香はお昼寝の時間だ。お兄ちゃんとお姉ちゃんとして振る舞うのはいったんお休みして、三人は宿題を片付けに取り掛かった。
「美香は寝るのが仕事。ぼくたちは勉強するのが仕事!」
 妙に重々しく言うので、笑いそうになりながら訊ねる。
「小黒、どこでそんな言葉覚えたの?」
「へへ! 頑張るよ!」
 小黒は肩を竦めて笑ってみせる。小白ちゃんと山新ちゃんもくすくす笑った。
「じゃあ、おやつ用意しておくね」
「やったー!」
 三人は無邪気に手を上げて喜び、おやつを楽しみに、勉強に集中した。

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