18.たくさんのはじめて

 最近、香香は離乳食を食べ始めた。まだ母乳も飲むけれど、徐々に新しい食べ物に慣れ始めている。誰に似たのか、よく食べる子だった。
「はい、あーん」
「あぶ、あぶ」
 まだ意味のある単語にはならないけれど、しきりに声を出すようになってきた。
「ぶー」
 離乳食を口に入れようとしたら吹いてしまって、よだれかけが汚れた。
「ごはんぶーしないの、もぐもぐ、あーん」
 口元を拭いて、もう一口食べさせる。今度はちゃんと食べてくれた。
「ごはんおいしいね、いっぱい食べようね」
 香香は本当に美味しかったのか、楽しそうに笑って手を叩いた。その拍子にお皿が揺れて、中身が溢れそうになるので慌てて抑える。
「あぶない……ふぅ」
 毎食、こんな感じだ。何度かお皿がひっくり返ってしまったこともある。大人しく食べてくれることは滅多にない。一度だけ、无限大人が作ってくれた離乳食がとても美味しかったのか、夢中で食べたことがあった。その後再現してみたけれど、どうも何かが違うようで、なかなか同じように食べてもらえない。无限大人に教わったとおりに作っているのに、不思議だ。无限大人が同じように作っても、やはりだめだった。味ではなくて、他の要因があったのだろうか。香香の反応を確かめながら、手探りでやっていくしかない。
 なんとかすべて食べ終わって、片付けをする。香香はお腹がいっぱいになってご機嫌だった。座れるようになったので、手をあちこちに伸ばして何かしら掴もうとする。これで、歩き回れるようになったら一体何をするだろうかと心配になる。
 そのとき、玄関が開いた。まだ小黒は学校の時間だから、无限大人だろう。
「おかえりなさい、早かったですね」
「うん。早めに上がらせてもらった」
「何かありましたか?」
「いや。帰りたかっただけだよ」
「あはは。任務、忙しくないならなによりです」
「ああ。ただいま、香香」
 无限大人は手を洗ったあと香香の頭を撫でた。香香は満面の笑みで无限大人を迎える。
「お昼は食べました?」
「いや。何か作るよ。君は?」
「今香香に食べさせたところで、私はこれからです」
「ならちょうどよかった。何が食べたい?」
「私も手伝います」
「いいよ。休んでいなさい」
「でも、无限大人も帰ってきたばかりなのに」
「いいから。あと、呼び方」
「はい、限哥」
 そう答えると、无限大人は満足そうに頷いた。限哥、限お兄ちゃん、といった意味だ。こう呼ぶのは、やっぱり甘えてる感じでなんだかいいのかなと心配になる。この前も、もっと頼ってほしいと言われたし、甘えられた方が嬉しいのかもしれないけれど。どうもなかなか呼びなれない。
 无限大人がキッチンで調理する音を聞きながら、香香の様子を見守る。穏やかで、幸せな時間だった。
「できたよ」
 やがていい匂いが漂ってきて、无限大人が湯気の立つお皿を持ってきた。
「わ、すごく美味しそうです!」
「食べよう」
 その匂いを嗅いで初めて、結構お腹が空いていたことに気づく。もうお昼はだいぶ過ぎていた。
「いただきます」
 きちんと手を合わせてから、お箸を持つ。无限大人の料理はもう私のより美味しくなった。
「やっぱり限哥のご飯が一番です」
「ふふ。一番は君だよ。こうして食べてもらえるようになったのはとても喜ばしいけれどね」
 无限大人は謙遜する。謙遜というか、本心なんだろう。それがわかって、くすぐったくなる。
「私にとっての一番です」
「そうか? なら……」
 そう言いながらも、納得いかないような顔をする。
「お互いがお互いの一番ということで」
 なので譲歩案を出してみると、うん、と渋々頷くので面白かった。无限大人は変なところで頑固だ。
「ここで、香香を見ながらキッチンの音を聞いていたら、无限大人が私のために作ってくれてるんだなぁって、嬉しくなっちゃいました」
「君の為なら、いくらでも作るよ」
「ふふ。ありがとうございます」
 いつもなら、无限大人も私の料理を食べたいとか、そんなことを言ってくれるけれど、たぶん今は、香香のお世話があるから遠慮してくれているんだと思う。任務で家を空けることが多い分、なるべく家事を請け負ってくれている。お陰ですごく助かっていた。
「あう、あー!」
 香香が手を伸ばして、无限大人に呼びかける。无限大人が抱っこすると、その手を掴んで、はむはむと指を咥えた。
「小さな口だな。しかし、以前より噛む力が強まったか」
「そうですね。そういえば、最近は何かしら噛みたがっているかも」
 前は口に入れるだけだったのが、歯のない口で噛む仕草をすることが増えていた。
「ん?」
 无限大人は何かに気づき、香香の口を開けさせる。じっと見ていたかと思うと、ふと笑みを溢した。
「ああ、生えているね」
「え! ほんとですか?」
 无限大人がほら、と見せてくれたので口を覗くと、上の歯茎に小さな突起が見えていた。
「わあ、気づかなかった」
「まだほとんど見えないからね。しかし、触れるとわかるよ」
「どれどれ」
 ちょっと指を入れて確かめると、香香は私の指を噛んだ。痛くはない。生暖かくて、柔らかい中に、確かにちょこっと硬いものがあった。
「もう歯が生えるんですね」
 だいたい何ヶ月のときにどんな成長を見せるか、お医者さんに教えてもらっていたし、本なんかで勉強もしていた。けれど、いざ何もなかったところに歯が生えているのを見ると、不思議な気がした。
「これからもっといろんなものが食べられるようになるね」
 最初に生えた歯を写真に撮っておきたかったけれど、生えている部分が隠れていてうまく撮れなかったので、无限大人と香香と私でスリーショットを撮って、キャプションをつけておくことにした。
 これまでもいくつもの初めてを写真や動画に撮ってきた。撮れなかったこともたくさんある。香香が生まれてそろそろ半年だ。体重もずいぶん増えた。
「今回は初めてを見られたな」
 いつも一緒にいる私が気づけなかったのは悔しいけれど、今回はパパに譲ろう。これからも、初めてを見逃さないようにしなきゃ。

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