10.二度目の手合わせ

「あ! 紅榴!」
 帰ってきた小黒は、紅榴さんを見てリュックを投げ捨てるとさっと戦う構えを取った。紅榴さんもにっと笑みを浮かべて構える。ここで戦いが始まったらどうしよう、と思ったとき、无限大人が二人の間に立ち、金属で頭をはたいた。
「いてっ」
「あたっ」
「二人とも。夕飯だ。手を洗ってきなさい」
「はーい!」
 二人は声を揃えて返事をして、競うように洗面所に飛び込んでいった。
「ふふ。みんな、食べることが大好きなところが同じですね」
「……それは、私も含んでいる?」
「あれ、違いましたか?」
 くすくす笑っていると、无限大人はいっしょくたにされたことを不服そうにしつつも反論できず口ごもった。
「手洗ってきたぞ! めし!」
「手洗ってきたよ! ご飯!」
 二人は先を争ってリビングに戻ってくると、ばたばたと椅子に座って期待に満ちた目をこちらに向けた。
「はいはい、いっぱいあるから、ゆっくり食べてね」
 テーブルにおかずを並べると、紅榴さんはすぐにお箸をとって食べようとしたけれど、小黒が手を合わせているのを見て手を止めた。
「何してんだ?」
「いただきますって言ってから食べるんだよ」
「へんな儀式だな」
 紅榴さんは无限大人と私もやっているのを見て、首を捻った。
「日本の習慣なんです」
「日本ってどこ?」
 私が答えると、紅榴さんはさらに首を横に倒す。
「大陸の海を隔てて東にある島国だよ」
 无限大人が引きとって教えてくれた。へえ、知らねえ、と紅榴さんはあまり興味を持たず、ご飯を食べ始める。勢いがいいので、小黒も負けじと急いでお箸を動かした。
「あ、美香は食べなくていいのか?」
 ベッドで寝ている美香のことを思い出し、私を見る紅榴さんに、また无限大人が驚いた顔をした。
「美香は起きてから食べますから。気遣ってくれてありがとうございます」
「美香はね、ご飯まだ食べれないんだよ。歯がないから」
 小黒が教えると、そういえば、と紅榴さんは思い出すように天井を見た。
「歯がなくてどうするんだ? 肉食えないのか?」
「お乳を飲むんですよ」
「乳? そんなんじゃ力つかないだろ」
「赤ちゃんはそれが一番の栄養なんです」
「そうなのか? 人間ってやっぱヘンだな」
 大きなお肉の塊を口に放り込んで、がつがつと噛みながら、理解できないと紅榴さんは首を振った。
「よし、小黒、手合わせしようぜ!」
 早々に食べ終わって、紅榴さんは椅子から降りると手を合わせてぽきぽきと鳴らす。小黒は急いでご飯を飲み込んで、立ちあがった。
「師父! 庭使ってもいい!?」
 今回は小黒もやめようとは言わなかった。以前、館で手合わせをしたと言っていたけれど、そのとき負けたのが悔しかったんだろう。无限大人はお茶を飲み、頷いた。
「いいだろう。私が見よう」
 皆、食べ終わるのが早い。私はまだ途中だったので、見に行きたいけどどうしよう、と迷った末、箸をおいた。あとでまた温めなおそう。
「二人とも、今日は能力はなしだ」
「わかった」
「いいよ」
 言われた通り、素直に二人は頷く。その目はお互いをしっかり捕えて、少しも離そうとしない。ぴりぴりした空気に、どきどきしてきた。二人とも、真剣だ。紅榴さんも、普段のだらりとした雰囲気ががらりと変わっている。
「始め!」
 无限大人の掛け声で、二人は目にも止まらぬ速さで打ち合い始めた。紅榴さんの方が大きいので、ほとんど動かず、飛び跳ねる小黒の蹴りを受け止めている。小黒は何倍も背がある紅榴さんに全然ひるまず、果敢に切り込んでいく。狭い庭だから大丈夫だろうかと心配していたけれど、二人とも回りに被害は出さず、互いだけをちゃんと狙っている。でもこれ、どうなったら勝敗がつくんだろう。どちらかが倒れるまで、なんてことになったら大変だ。二人とも強そうだけれど、傷つくところを見るのはいやだし……。でも、真剣にやり合っているのを止めることなんてできない。
「捕まえた!」
 紅榴さんが小黒の足を掴んだ。思わず声が漏れて、口を手のひらで覆う。
「何を!?」
 けれど小黒はぱっと抜け出し、一回転して着地すると、ふたたび紅榴さんに向かっていった。ばちばちと音がするくらい二人の拳がぶつかり合って、風圧すら感じる。二人の目がさらに熱を帯びてきた。じり、と熱さを肌に感じる。これは。二人の熱気だけじゃなく、霊質の……。
「そこまで!」
 无限大人が鋭く叫ぶと、二人はぴたっと動きを止めた。さすが、師父。あんなに熱中していたのに、ちゃんと无限大人の声は耳に届くんだ。
「紅榴、力は使うなと言っただろう」
「つい熱くなっちまった。いい動きするようになったじゃん」
「当然だ」
 无限大人に注意されても意に介さず、ぱっと大きな口を開けて笑う紅榴さんに、小黒はふんと鼻を鳴らす。
「二人とも、すごい……! 圧倒されちゃった」
 見ているうちに身体に力が入り、息をするのも忘れていたようで、ほっと力を抜いて大きく息を吸った。
「明日は館で本気でやろうぜ! 金属、使えるようになったんだろ?」
「いいよ。今度はぼくが勝つ!」
 瞳孔を細めて、好戦的な表情をする小黒の顔を見るのは初めてだ。无限大人と手合わせするときとも違う、戦って楽しい相手といった感じだ。二人が仲良くなって、よかった。最初は、无限大人が昔拾った妖精と、今弟子となっている妖精だと、お互い嫉妬したりして喧嘩しちゃうんじゃないかと思ったりもしたけれど、それは杞憂だった。
「よかったですね、无限大人」
「……そうだな」
 无限大人はしばし無言の間を開けた後、しょうがないというように苦笑した。
「あの子にも、いい影響になるといいんだが」
 やっぱり、紅榴さんのこと、気にかけてるんだ。自分が拾った相手のことを、案じないはずがない。ちょっと対応が塩だけれど。
「紅榴」
「なんだ」
 小黒とわいわいさきほどの手合わせについて話していた紅榴さんに、无限大人が声をかける。
「泊っていくか」
「そのつもりだ!」
「だろうな」
 まさか、无限大人から提案するとは思わなくて、驚いた。无限大人も、変わっているのかも。当然だと頷く紅榴さんに、困ったやつだと笑っている。その笑顔が優しくて、心が温かくなった。

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