97.赤ちゃん

「ほら、入りなさい」
「う、うん」
无限大人に促されて、小黒は緊張気味に部屋に入ってきた。そして、私の腕の中で寝ている赤ちゃんを見て耳をぴんっと立て、立ち止まる。
「その子が……赤ちゃん……?」
「そうだよ。美香ちゃん」
「美香……」
无限大人に背中をそっと押されて、小黒はおずおずと側までやってきて、丸い目をさらに丸くして赤ちゃんを凝視した。
「ちっちゃい……」
「そうでしょ。触ってみて」
「う」
びくっと耳を揺らして、小黒は慎重に腕を伸ばしてくる。指先が触れそうになったところで赤ちゃんが身動ぎをしたので、驚いて手を引っ込めそうになったけれど、赤ちゃんはそのまままた大人しくなったので、そっと頬に触れた。
「わ……柔らかい……それに、あったかい……」
少し緊張が解けたようで、身を乗り出して、頭の匂いを嗅ぐ。
「なんか、不思議な匂いだね」
「赤ちゃんの匂いだよね」
くすぐったかったのか、赤ちゃんはもぞもぞと動いて声を上げた。小黒は赤ちゃんの動きをじっと眺め、笑みを浮かべた。
「元気そうだね! よかった。ちっちゃくて柔らかくて、かわいいなぁ」
「ふふ。ほんとに」
小黒はもう遠慮がなくなって、頭を撫でたり、手を摘んでみたりと、いろいろ試している。
「でも、ほんとにこの子が小香のお腹に入ってたの……?」
小黒は疑わしい目で私と赤ちゃんを見比べる。ついさっきまで、この子と私はへその緒で繋がっていたんだ。
「そうだよ。頑張って産んだんだから」
「すごいなぁ……。子供産むのって、たいへんなんだね……」
改めてしみじみと言うので、おかしくなってしまう。
「本当に大変だったんだよ」
无限大人は小黒の肩に手を置いて、厳かに言った。
「それを乗り越えた小香は、とてもすごいんだ」
「うん……すごい……!」
愛情の込もった无限大人の視線と、小黒のきらきらした瞳が向けられてむず痒い。ふいに、赤ちゃんが泣き出して小黒はびっくりして狼狽えた。
「ど、どうしたの!? どこか痛いのかな!?」
「たぶん、お腹が空いたんだよ。さっきおっぱいあげてからだいぶ経ったから」
何かを探すように顔を動かす赤ちゃんを支えながら、胸元をはだけて授乳する。小黒は不思議そうに眺めていた。
「そっか、動物の赤ちゃんみたいに、お乳を飲むんだ」
「そうだよ。まだ歯も生えてないからね」
「よく飲んでるな」
无限大人も、元気に吸い付く様子を嬉しそうに見守っている。
「美香。ぼく、小黒だよ。きみのお兄ちゃんだよ」
小黒は赤ちゃんの頭を撫でながら、優しく話しかける。
「ずっと会えるのを楽しみに待ってたんだ。早く退院して、うちに帰ろうね」
経過がよければ、すぐに退院できる予定だった。家のことは无限大人に任せ切りだ。家事はなんでもできるから、安心して任せられるけれど、やっぱり申し訳なく思う。
「无限大人、もうしばらくは家のこと、お願いします」
「当然だろう。小黒も手伝ってくれているよ」
「うん! あ、クリスマスは一緒に過ごせるよね?」
「そっか、もうそんな時期か」
すっかり忘れていたけれど、もう今年も終わりが近かった。
「そうだ、美香にプレゼントあげよう! 何が嬉しいかな」
小黒はいいことを思いついた、とぱっと笑う。
「小白にも早く会わせたいな」
「クリスマスパーティ、うちでするか、今年は」
「いいですね」
小黒が羅家にお邪魔することが多いから、たまにはうちにも呼びたい。无限大人の提案に、私も小黒も喜んで頷いた。
「じゃあ、ぼくたちで家を綺麗に飾っておくからね。帰ってきたらびっくりするよ!」
「ふふ! 楽しみだな」
楽しみね、と赤ちゃんにも声を掛ける。お腹がいっぱいになって、またすやすやと寝てしまった。
「小黒、そろそろ帰ろうか。小香を休ませてやろう」
「そうだね。すごく疲れてるみたいだし」
自分では思ったよりも元気なつもりだったけれど、二人は体調を気遣ってくれて、長居はせず帰って行った。腕の中の赤ちゃんと二人きりになって、じっとその顔を眺める。いくら見ても見飽きることはなさそうだった。
「美香。私のかわいい赤ちゃん。元気に生まれてくれてありがとうね」
愛する人と二人で授かったかわいくてかけがえのない命。頬擦りをして、匂いを嗅ぐ。偶然なのか、赤ちゃんもこちらに答えるように顔を動かしてくれて、なんだか泣きそうになってしまった。

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