91.五か月目

7月に入り、妊娠から5ヶ月が経って、彼女の腹が少し膨らんできた。彼女の胎内で子が成長している証拠だ。その分、彼女の肉体にも変化があるだろう。体調に変わりはないかと訊ねると、そのたびに彼女は元気ですよと笑ってみせる。つわりもそれほどひどくなく、今日まで健やかに過ごせているのは奇跡のようだ。今の時代、医療の発達は勿論のこと、栄養も豊富に取れ、住処も快適さが保たれている。母子の身体が守られていることに安堵する。昔はお産は命懸けのことだった。もちろん、今でも危険があることには変わりない。だが、不幸をかなり減らせている。そんな環境にいられることを得がたく感じた。
私ができることならなんでもしようと、色々と本を読み、気をつけるべきことを学び、可能な限り彼女を支えたいと思う。できればもう仕事を休んで家にいてほしかったが、彼女は動ける間は働くつもりのようだった。任務の間、何か起こりはしないかと、常に心の片隅に緊張感が張り詰めている。家に帰り、変わらない彼女の笑顔に迎えられて、ようやく肩の力を抜くことができた。
定期検診のため車で病院に向かう。やはり免許を取ってよかった。彼女を安全に、自分の手で運んでやれる。検査の結果は良好だった。超音波で見る我が子は、かなり人の形がはっきりしてきて、動いていることが確認できた。
「見てください、指、しゃぶってますよ」
小香は涙を浮かべながら、嬉しそうに言う。私はその手を握り締め、熱い思いが湧き上がってくるのを感じた。
「ああ。こんなに小さいが、ちゃんと人だ」
「ふふ。かわいい」
妊娠をしてから、彼女の表情が変わった。芯が強くなり、かわいらしい笑みに頼もしい深みが見える。以前なら、いつか来る別れを強く悲しんでいたのに、今はそれを受けれられたかのようだ。私の方が慰められてしまった。それが母の強さなのだろうか。
「男の子かな、女の子かな」
「もう少ししたらわかりますよ」
声を弾ませる彼女に、医者も明るい声音で教えてくれる。
「そろそろ、名前を考えてもいいかもしれませんね。候補はありますか?」
そう言われて、顔を見合わせる。まだはっきりとは考えていなかった。
「无限大人、どうですか?」
「そうだな……。君は、希望はある?」
これといって、浮かんでくるものがない。なので訊ね返すと、実は、と彼女は要望を口にした。
「二人の名前から一字取ったらいいかなって。男の子なら无限大人から、女の子なら私から」
「なるほど。それなら、限と香を使う、ということか」
「はい。どうでしょう」
「いいと思うよ。どんな名前がいいか、また考えよう」
「はい!」
検査を終えて、また車に乗り込む。帰りにカフェに寄ることにした。コーヒーなどは控えた方がいいのかと思うが、それでストレスを溜めてもいけない。医者も一杯くらいなら問題ないと言っていた。私はつい心配なあまり彼女の行動を制限しようとするところがあると医者に注意されてしまった。彼女の身を案じてとはいえ、それで彼女を苦しめては元も子もない。
「このケーキ美味しそう! どれにしようか迷うなぁ」
メニューを眺める彼女の笑顔は幸せそうだ。連れてきてよかった。
「私の分も選んでくれるか。そうすれば二種類食べられるだろう」
「え、いいですよ! 无限大人、好きなものを選んでください」
「君が選んでくれたのを食べたい」
「むー、そういわれると選ぶしかなくなるじゃないですか」
彼女は不服そうな顔をしたものの、すぐに笑顔になって、じゃあこれとこれ! と決めた。最近、遠慮がなくなってきたように思う。より彼女が私に心を許して、甘えてくれているのを感じて嬉しかった。私も、ずいぶん彼女に甘えるようになってしまったと思う。彼女が嬉しそうに受け入れて応えてくれるから、歯止めが効かない。もちろん今は、頼られるべく、甘やかす体勢でいる。
二つケーキが運ばれてきて、ぱっと彼女の顔が輝く。外でなければ食べさせてやりたいところだったが、拒否されるだろうからやめておいた。
「ん、あまーい」
一口食べて、頬に手を当て、蕩けた笑みを浮かべる。それを見て私の頬も緩んだ。
「无限大人も食べてください」
一口食べたケーキの方をこちらにくれるのかと思ったら、彼女は一口分すくって、フォークをこちらに向けてきた。
「はい、どうぞ」
驚いたが、指摘はせず喜んでいただく。少し身を乗り出して口を開け、ケーキを頬張った。
「うん、甘い」
「ふふ。いつも助けてもらってますから、お礼です!」
お礼なんて気にしなくていいが、なんであれこういうことをしてもらえるのは歓迎だった。もう一つの方も、と待っていると、彼女は笑った。
「だめです。一回だけです」
「そう言わず……」
「もうしませーん」
ねだってみたが、すげなく断られる。彼女はこういうところは頑なだ。
「残念だ」
大人しく自分でケーキを食べる私を見て、そんなに残念ですか、と彼女はおかしそうに言う。
「残念だよ」
なので重ねて言うと、しょうがないですねと呆れ混じりに彼女は笑った。
「じゃあまた今度、してもいいですよ」
「その言葉、忘れないように」
「ふふ。わかりました」
胸がくすぐったいような暖かさにじんわりと包まれる。こんなに幸せな日常がこれからも続くのだと思うと、誰かに感謝したくなる。
ありがとう、小香。
私のそばにいてくれて。

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