64.未来に向けて

「ただいま」
「わっ、あ、おかえりなさい!」
ベッドで本を読んでいたから、突然ドアが開いて驚いてしまった。そうだ、今日は遅くなるからって連絡があったんだ。
「何を読んでいるの?」
コートを脱いでハンガーに掛けながら无限大人は訊ねる。すでに表紙が見えていたのだろう。隠すものでもないのだけれど、ちょっと気まずくなりながら私は本を見せる。
「妊娠と出産について、ちゃんと勉強しておかないとな、と思って……」
今日、本屋さんに寄って一冊買ってみたのだった。日本の本も電子書籍で何冊か買ってある。
「そうだな。私も後で読んでおこう」
无限大人は真面目に頷く。身体の変化と、対処について、もちろん无限大人にも知っておいてもらった方がいいだろう。本を読んでみると、具体的に書いてあるから漠然と子供が欲しいと考えていたときよりずっとリアルに感じてくる。
「なんだか、考えられないですね。この身体に、新しい命を産む力があるなんて」
自分のお腹を服の上から手で撫でてみる。この中に、小さいとはいえ、立派な一人の人間が宿るというのだからすごい。无限大人は私の隣に来て、肩に腕を回して抱き寄せた。
「すごい力だよ。女性にしか成せない素晴らしいことだ」
そんなすごいことを、本当に私にできるだろうか。
自分の子供を、なんて、无限大人に出会わなければ求めなかったかもしれない。无限大人の子供だからこそ、欲しいと望んだんだ。この身体で、无限大人の血を引く子を育むと思えば、楽しみで仕方がなくなる。不安なことはたくさんあるけれど、无限大人がいてくれるから大丈夫だと思える。
「あ、夕飯用意しますね。先にシャワー浴びますか?」
「そうしよう」
本を置いてベッドを降り、台所に向かった。子供を作るために、最初にやるべきこと。新しい生活に慣れるまでは、と今までは避妊していた。でも、小黒も楽しそうに学校に通っているし、私も少しずつ気持ちがそちらに向いてきた。そろそろ、いいのかもしれない。
そんなことを考えてしまって、无限大人の存在を意識してしまった。もう、何度も肌を合わせているのに、やっぱり恥ずかしくなってしまう。
ご飯を温めて、おかずを準備する。今日、言ってみようか。でも、任務帰りで疲れてるかもしれない。そわそわしながら、テーブルに食器を並べていると、无限大人が戻ってきた。髪を下ろして、部屋着に着替えた无限大人の姿を見て心臓がどくんと疼く。毎日見たって見慣れない。まるで初めて会った時のように、なんて美しい人なんだろうと感嘆する。
「私と小黒は先にいただきましたから」
「うん。小黒はもう寝ている?」
「そうだと思います」
最近は宿題を終えたあともベッドで何か熱心に本を読んでいた。この短い期間で、かなり文字を読めるようになったそうだ。目標が定まったからか、環境がいいのか、小黒はどんどん知識を吸収している。
「賢い子だとはわかっていたが、目を見張るものがあるな」
「はい。毎日頑張っていて、本当にえらいです」
无限大人は食べ終わった食器を自分で洗ってくれる。无限大人の方が家にいる時間が短いから私が基本的には家事をしているけれど、休みの日には掃除をしてくれるし、洗濯もできるし、この上料理までできるようになったら完璧になってしまう。人によっては家のことを全くしない夫もいるそうだけれど、无限大人については積極的にしてくれるから、育児に関しても同じだろうと信頼があって、本当にそういう意味では不安はない。ただ自分がちゃんとできるだろうかという心配だけだ。その点はどうにも簡単には拭えない。
寝室に戻ってから、今度は无限大人と一緒に買ってきた本を読んだ。二人でどんな準備をするべきか確認しながら、疑問に思ったことを話し合い、どんな風にその日を迎えればいいかを学んだ。本には何が起こるか具体的に書かれていて、またその対処も併記されているから、想像がしやすかった。ベッドの上で无限大人の肩に頭を凭れさせ、頭の横に无限大人の吐息を感じながら、いつかこの腕に我が子を抱くときをイメージする。
「不安はあるけど……それ以上に、早く会いたい、という気持ちです」
无限大人は私の腰に手を添えて、髪に口付けをする。
「私もだ。君の身体が心配ではあるが、元気な子を産んでほしいと思うよ」
かっと身体に血が巡る。身体を離して、无限大人の顔を見つめた。无限大人は微笑を浮かべて、私の目を見つめ返す。
「无限大人……今夜、は」
きゅ、と彼の手を握り、自分からキスをした。无限大人は熱の籠った瞳で私をじっと見つめる。とくんとくんと高鳴る心臓の鼓動を意識しながら、その瞳に決意を込めた視線で返した。无限大人は少し表情を崩して、甘く、情熱を秘めた笑みで深く唇を重ねた。
「ようやく、本当に君に触れられる」
「……っ」
「愛しているよ」
優しく、掠れた声で囁かれ、深い愛の海の中へと沈められた。ゆっくりと目を閉じて、寄せる波にすべてを委ねた。

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