62.風邪 三

次の日も小香の体調はよくならなかった。熱に魘されながら、苦しそうに咳き込んでいる。私に出来ることは少ない。苦しむ彼女を前にただ案じてやることしかできない自分に歯噛みした。任務も、これ以上休むわけにはいかない。できる限り早く帰って来れるよう、簡単なものを回してくれるよう頼んだ。
彼女が寝込んでいる間は家事も私がした。小黒も手伝ってくれた。二人で外に食べに行くのも悪くなかったが、やはり自分で作ってやれるようにならねばと改めて決意した。
「小香、粥を買ってきたが、食べるか?」
「はい。いただきます」
ベッドに身を起こした小香にそのままでいるように伝えて、飲み物と粥を運んでくる。器を手に取って、スプーンで粥をすくい、口元に運ぶと、小香は苦笑した。
「もう、食べれるって言ってるのに」
「いいから。今は甘えて」
「大袈裟なんだから。……あーん」
小香は観念して口を開けた。そこに、そっとスプーンを差し込む。小香は口を閉じて、粥を頬張る。
「んん」
「熱いか?」
水を取ってくるべきかと思ったが、彼女は首を振って、粥を飲み下した。
「大丈夫です、ちょうどいいです」
「そうか」
器が空になるまで粥を彼女の口に運んで、彼女が食後のお茶を飲むのを見守る。
「食欲はあるようだな」
「はい。喉が痛いので固形物は辛いですけど」
辛いことに変わりはないが、重症、ということはなくてほっとする。これから急変しないとも限らないから気は抜けないが。
「汗かいたので、着替えたいです……」
小香は寝巻きの襟元を引っ張りながら言う。風呂に入れないから、不快だろう。
「お湯とタオルを用意するよ」
洗面器にお湯を張り、タオルを濡らす。彼女のぐったりした身体を起こして服を脱がせ、手早く身体を拭いてやった。新しい寝巻きに着替え終わり、心持ち彼女の表情はすっきりしたようだ。
「他にしてほしいことは?」
「大丈夫です。少し寝ようかな……」
「それがいいよ。おやすみ」
小香が寝入るまで見守って、リビングに戻る。宿題をしていた小黒は顔を上げて心配そうに訊ねた。
「小香、どう?」
「大丈夫だよ。夕飯を食べて、今は寝ている」
「そっか……。なかなかよくならないね」
「医者は、数日かかると言っていた」
「数日も……かわいそう」
「そうだな……」
もうずっと、寝ている姿ばかり見ている気がする。以前、風邪を引いたときはもう少し早く回復していたと思う。
「ちゃんと、よくなるよね?」
「ああ。今は医療も衛生も栄養も充足している。治るよ」
昔とは環境が違う。悪化することはそうそうないだろう。そうは思うが、心配は拭えなかった。
「なんか、小香いないと寂しいね」
「……ああ」
小黒の宿題を見てやって、小黒が寝に行ってから寝室に戻ると、小香は布団に沈むように寝入っていた。その熱を少しでも冷ましてやれたらと願いながら身体を抱き寄せて、私も眠った。
数日して、ようやく小香の熱が下がった。
「平熱か。だがまだ咳が出るね」
「ちょっとだるいですけど……ようやく仕事行けます!」
「まだダメだよ」
「えっ、大丈夫ですよ!」
やらないといけないことが、と言う彼女の口を閉じさせて、その日もベッドに縫い付ける。
「まだだるいんだろう? 数日寝ていたんだ。体力が戻っていないうちに無理をしたらぶり返してしまう」
「う……。でも、ちょっとは動いても大丈夫ですよ?」
「せめて今日一日は寝ていなさい」
「うう……寝るの飽きました……」
小香は布団の中でぐずぐずとする。顔色がよくなって、口調もはっきりしてきて、確かに快方に向かっていることに笑みが零れる。
「あと一日だから。いいね?」
「……はい……」
優しく言い聞かせると、彼女はしぶしぶ頷いた。
「よかった。頬に血の色が戻った」
「あは。そんなに顔色悪かったですか」
「うん。辛そうで、見ている方も辛かった」
「ご迷惑おかけしました……」
「いや。気にするな。むしろ、こうして世話ができてよかったよ」
「なんか、だいぶ甘やかされた気がします……」
「ふふ。甘やかしたね」
「もー……」
布団を口元まで引っ張って、照れるのを隠すようにする彼女の、ころころ変わる表情が愛おしい。また、この表情が見られることが、とても嬉しかった。
「愛しているよ」
「!? い、今言うタイミングでした!?」
「言いたくなったから」
「……っ!! 私も、大好きです……っ!」
布団から顔を出して、恥ずかしがりながらも答えてくれる唇に吻をした。
「では、私は任務に行ってくるから。ちゃんと寝ているんだよ」
「はぁい」
「起きて何かしたり、出かけたりしないように」
「しませんってば」
くすくす笑う彼女の様子を見ているとどうも怪しかったが、信じることにして、家を出た。晴れた空は明るく、久しぶりに清々しい気持ちだった。

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