34.登校準備

 赤いスカーフを首に巻き、きゅ、と結ぶ。よし、と肩をぽんと叩いて、ちょっと離れて全身を眺めた。
「わあ! かわいい!」
「これで全部なの?」
 小黒は背負ったリュックを揺すってみたり、スカーフを引っ張ってみたり、落ち着かない様子だ。昼間、羅さんと小白ちゃんと一緒に買い物に行き、いろいろと必要なものを揃えた。入学までもう数日しかない。
「そうだよ。羅さんに教えてもらったものは全部買ったから大丈夫だよ。実際行って、足りないものがあったらすぐ言ってね」
「うん」
 小黒は少し緊張した面持ちで頷いた。
「慣れないところで、勉強していかなきゃいけないからたいへんだと思うけど、それだけじゃなくて楽しいこともきっとあるからね」
「うん。小白が学校についていろいろ教えてくれた。授業中は椅子に座ってなくちゃいけないけど、休み時間は校庭に出て遊ぶんだって」
「うんうん。いっぱい勉強して、いっぱい遊んでおいで」
「うん」
 ぎゅ、とリュックの肩紐を握る手は不安だけはなく、期待に力が入っているようだった。
「館での講習はもう終わりだっけ」
「終わったよ。金属操っちゃだめとか、目の前で変化しちゃだめとか、わかってることも言われた」
 あまり社会で過ごすためのルール講習は楽しいものではなかったようで、小黒はむすっとした顔をする。でも、大事なことだから、きちんと受けてくれてよかった。せっかく学校に行けるようになったのだから、何か問題が起きてしまってはたいへんだ。できる限りそういうことがないように気を付けることが大切だ。そのあたりは、事情を知っている小白ちゃんもフォローしてくれるだろうから安心できる。
 小黒がリュックを下ろすので、赤いスカーフを解いてやる。丁寧に畳んで、衣装ダンスの引き出しの一番上にしまった。
「じゃあ、私は夕飯作るから、その間は勉強だね」
「うん。ちゃんと文字読めるようにならないと」
 小黒は机に座り、ノートを開く。学校に通うことになってから、自主的に勉強をするようになった。まだ簡単な文字しか読めないから、小学校五年生にしては勉強が遅れてしまっている。今からついていくのはたいへんだろうけれど、小黒はやる気だ。无限大人との修行でもすごい集中力を見せていたから、小黒はできる子だ。鉛筆を握る背中を頼もしく思いながら、音を立てないようにドアを閉めた。
 夕飯が出来上がって、七時ごろになっても、无限大人は帰ってこなかった。今日は少し遅れると連絡があったので、先にお風呂に入って、帰りを待つことにした。任務から帰ってきてから、小黒は一人でお風呂に入るようになった。成長したんだと思うとじんとしてしまうけれど、少し寂しい。そして、それとは別に、やっぱりシャワーだけというのは味気ない。浴槽が欲しいなと思いつつお風呂から上がる。髪を乾かしていると、インターホンが鳴って、小黒が出迎える声が聞こえた。无限大人が帰ってきたんだ。
「おかえりなさい、无限大人」
「ただいま、小香」
 いままでも何度も交わした言葉だけれど、改めてこの家で交わすと、改めて家族になれたことを実感して、胸がいっぱいになる。
 ご飯を食べる間、小黒は買い物に行った時のことをいろいろと无限大人に話して聞かせていた。
「漢字の勉強もね、だいぶ進んだよ! 読める字も増えたんだ」
「それはえらいな。学校へ行く準備は万端だね」
「うん! もう明日にでも行けるよ!」
「あはは。楽しみだね」
「楽しみ!」
「友達、いっぱいできるといいね」
「うん……そうだね」
 友達、と言って、小黒は少し迷うように声のトーンを落とした。人間の友達の小白ちゃんができたけれど、他の子たちと接することを考えると、まだ不安があるみたいだ。
「学校にはいろいろな子がいる。その子たちとどう付き合うかも学びのうちだよ」
 无限大人が優しく声を掛けると、小黒は耳をちょっとへたりとさせて无限大人を見上げる。
「いろいろ……どんな子がいるかな……」
「勉強ができる子、運動が得意な子、絵を描くのが好きな子。どの子がどんな子なのか、ちゃんと見て、声を掛ければいい。話してみれば、妖精たちと変わらないことがわかるよ」
「そうなのかな……。ぼく、仲良くなれるかな」
「小白ちゃんと仲良くなれたんだもん。大丈夫だよ」
「うん……そうだよね」
 小黒を励まして、手を拳に握ってみせる。小黒の耳がぴょこんと元どおりにまっすぐになった。
「ぼく、やってみる」
 新しい環境に進むにあたって、勇気を奮い起こす小黒を、无限大人と微笑ましく見守る。ご飯を食べ終わると、もう遅い時間だ。小黒はぴょんと椅子から下りて、決意したように手を挙げた。
「今日はぼく、一人で寝るから!」
「そうか?」
「うん! おやすみ師父! 小香!」
「おやすみ、小黒」
 笑みを浮かべる无限大人に力強く頷き、小黒は自分の部屋へ走って行った。
「ふふ。寂しいですか?」
「少しね」
 无限大人は素直にそう言って、私の方を見る。
「私たちも、寝ようか?」
「まだ、少し早くないですか?」
 子供の小黒にはちょうどいい時間だけれど、大人の私たちには少し早い時間だ。と思ったら、无限大人の腕が腰に回されて、引き寄せられた。无限大人の胸元に手をついて、その顔を見上げる。
「早いかな」
「えっと……まだ、眠くないですから……」
 その眼差しに、頬が熱くなる。目を伏せても、見つめられているのが感じられる。无限大人の服をぎゅ、と握って、その腕に身体を委ねた。
「……一緒に、いたいです」
 无限大人は笑みを深めて、私を寝室に誘った。

|