2.おせち

「おかえり! 師父!」
 インターホンが鳴るや、確認もせずに玄関に駆けて行って、小黒はドアを開けた。そこには、思った通り无限大人が佇んでいた。
「ただいま、小黒」
 无限大人が靴を脱ぐのも待たず、小黒は无限大人に飛び付き、无限大人も小黒を抱き上げる。そして片腕で小黒を抱えたまま、靴を脱いでスリッパに履き替えて、リビングの入口辺りで待っていた私に微笑んだ。
「ただいま、小香」
「おかえりなさい、无限大人。お疲れ様です」
「うん。二人にお土産を買ってきたよ」
「え! 何?」
 小黒は无限大人が持っている紙袋を見てぴくりと耳を動かすと、ぱっと飛び降りて袋を受け取り、中を覗き込んだ。
「西安市の特産品だ。あとで食べよう」
「へえー。いい匂いする。でも、ごはん用意してあるよ、師父!」
 小黒は无限大人の手を引っ張ると、テーブルの前へ連れて行った。无限大人はその上に並べられた料理に目を瞠る。
「これは?」
「おせちです。无限大人と一緒に食べたいねって、小黒と話して」
「ぼくも作るの手伝ったんだよ!」
「本当は、お重に入れるんですけど、用意できなかったからお皿で……」
 食材の一部はこちらでは入手できなかったから代用しているものもあるし、だいぶ雰囲気は変わってしまっているけれど、中身はちゃんと我が家のレシピで作ったおせちだ。きっと无限大人にも日本のお正月を味わってもらえると思う。
「嬉しいな。私も、食べたいと思っていたから」
 无限大人は笑みを浮かべて、お皿を眺める。
「まさか食べられるとは思わなかった」
「ふふ。ちょうどごはんの時間ですし、さっそく食べましょう」
 小黒が勇んでテーブルに座り、その隣に无限大人が座る。私は向かい側に座った。いつもの定位置だ。
「いただきまーす!」
 実家に帰った時、ちゃんと手を合わせる小黒に家族はみんな驚き、偉い偉いと褒めちぎったので、小黒は毎回元気に手を合わせるようになった。私もそれに倣って、しっかりと手を合わせる。すると、无限大人も手を合わせてくれた。なんだか、ちゃんと食事に向き合っている気分になれて、いいと思う。
「師父、これはねー」
 小黒はお皿にそれぞれ乗せられた料理をひとつひとつ示して、无限大人にどんな料理かを教える。无限大人は頷きながら聞いて、一口一口確かめるように味わっていく。
「美味しい?」
「うん。美味い」
「でもね、お雑煮も美味しかったよ。お餅が入ってるの」
「お雑煮……そんなものもあるのか」
 无限大人はまた自分が食べたことのない美味しいものがあると知って、少し悔しそうな顔をする。それがおかしくて笑ってしまった。
「おじさんと一緒にお餅ついたんだよ。できたてのお餅、すっごく美味しかった!」
「餅つきか」
「そしたらおばさんがあんこを作ってくれて、おばあちゃんが包んでくれて、すごく柔らかくていっぱい食べちゃった」
「そうか」
 日本であったことを楽しそうに話す小黒に、无限大人も表情を和らげる。二回目の帰省だけれど、小黒は少し遠慮が抜けて、最初のときよりも家族に馴染んで混じっていた。无限大人がいなくて寂しかっただろうけれど、その分家族がたくさんおもてなしをしてくれて、寂しいと思う時間はほとんどなかったんじゃないかと思う。
「よかったな」
「うん!」
 无限大人も語る小黒の表情や仕草からそれを感じ取ったのか、ほっとしたように目元を和ませてたくさん喋る小黒を見守っていた。
 小黒は離れていた時間を埋めるように、食べながらもずっと話し続けていた。お皿がどんどん空になっていき、たくさん作ったおせちはきれいに平らげられてしまった。小黒はお腹がいっぱいになると眠くなる。眠ってしまう前に无限大人とお風呂に入ってもらって、寝る仕度をしてお布団に入ってもらった。横になって布団を掛けると、もう安らかな寝息が聞こえてきた。
「ふふ、おやすみ、小黒」
 そっとドアを閉めて、お風呂に入る。髪を乾かしてリビングに戻ると、无限大人がソファで待ってくれていた。
「小香。おいで」
「はい」
 呼ばれて、嬉しくなっていそいそと近寄る。无限大人は手を広げて私を呼び寄せると、その腕の中に私の身体を抱きしめた。まさか抱きしめられるとは思わなくて、心臓が一気に跳ね上がる。
「……早くこうしたくて、たまらなかった」
「そ、れは……」
 優しく抱きしめられて、无限大人の膝の上に座る形になってしまう。无限大人はしばらくそのまま動かないので、大人しくじっと抱きしめられているしかなかった。離れている間、寂しい、早く会いたい、抱きしめてほしいと思っていたのは、私だけじゃなかったのだと、気付かされる。それがたまらなく幸せだった。
「……私も、ずっと、こうしてほしかったです」
 无限大人の胸に身体を預けて、目を閉じる。穏やかな呼吸と、暖かな体温が感じられて、ときめく気持ちと、落ち着く気持ちが両方あった。
「ふふ。甘えすぎですね」
「そんなことはないよ。もっと甘えてほしい」
「ええ、いいんですか? そんなこと言って……」
「我慢しなくていいよ」
「そんなにしてませんよ」
 我慢する前に、无限大人が与えてくれるから、いつだって満ち足りている。
「无限大人はいつだって、私の欲しいものをくれますから……」
「私も、君にはたくさんのものをもらっているよ」
「ほんとですか? でも、私の方がもらってると思います」
「そんなことはない」
 顔を上げて、言い返すと、无限大人もむっとして反論した。しばらく睨み合って、ふと、同時に吹き出す。何を競い合っているんだろう。
「改めて、今年もよろしく頼むよ」
「はい。お願いします」
「来年も、その次も、ずっと先も」
「はい……」
 指輪を嵌めた手を繋ぎ、指を絡め合う。
 永遠、とまでは欲張らないけれど。でも、できる限りの、永い時間を。
 見つめ合って、唇を重ねた。ずっとずっと、共にいたい。
 奇跡のように与えられたこの温もりを、ずっと感じていたい。
 祈りを込めて、愛を伝えた。

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