25.若水の拳

「无限ー!!」
 ぴょん、と木々を飛び越え、大きな尻尾をふわっと揺らしながら若水姐姐が无限大人の前に着地した。その後ろに、見覚えのない姿の男性が追いかけてくる。
「小香、どう? 楽しんでる?」
「はい、楽しいです! えっと……」
 若水姐姐に答えてから、その後ろの男性に目を向けると、彼は手を顎の下にやり、何かを撫でるような仕草をした。なんとなく、見たことのある仕草のような気がするけれど……。
「ちょっと、鳩老。小香の反応楽しんでないで、ちゃんと名乗りなさいよ」
「はっはっは。不思議そうな顔されるからついのう」
「えっ、鳩老?」
 目の前にいる男性はどこからどう見ても普通の人間だ。だけど、鳩老と言われれば、なんとなく声に聞き覚えがあるような気がする。
「アバターじゃよ。ちょいと作ってみたんじゃ。いかすじゃろ」
「ああ、なるほど! びっくりしました。かっこいいですね!」
 このゲームは、自分の見た目を変えられるんだった。私も无限大人も変えていないから、そのシステムを半ば忘れていた。若水姐姐もそのままだ。
「彼の様子はどうだ」
「ようやく事態が飲み込めてきたといったところじゃの」
 无限大人に訊ねられて、鳩老は答える。
「まだ半信半疑ではあるが、まだ子供じゃ。飲み込みは早い」
「このゲームでね、徐々に霊質を使えるようになった人間が現れてるのよ」
 若水姐姐がそう教えてくれた。衆生の門が作られた目的のひとつ。それは人間の中に眠っている霊質の力を呼び起こすこと。
「もう現れたんですね……! すごいな……」
 私はゲームの中でもそもそもたいしたことができていないので、現実でも使えるようになる日はまだまだ遠そうだ。いつかはできるようになりたい、と思っているけれど。そういう人間を見付けて、サポートするために執行人たちはあちこち出かけている。鳩老もそうなんだ。
「ね、この先に綺麗な花畑があるのよ! 一緒に行きましょ!」
 若水姐姐に手を引かれて、走り出す。ゲームの中では身体が軽くて、若水姐姐のスピードについていくことができる。風を切って地面を蹴り、ぐんぐん景色が変わっていくのが気持ちよかった。
「この先よ」
 若水姐姐が言うのと同時に木々が途切れ、視界が広がった。黄色い花がたくさん咲いて、風にゆらゆら揺れていた。甘い香りが辺り一帯を包んでいた。
「わぁ……」
 後ろからついてきた无限大人を振り返る。
「きれいですね、无限大人」
「うん」
 无限大人は微笑みかけたあと、何かに気付いたように表情を引き締め、前を向いた。若水姐姐が私から手を離し、私の前に立つ。
「おお、おでましじゃ」
 鳩老が見上げた先の木が揺れ、重々しい足音と共に、大きな獣が現れた。熊よりもずっと大きい。肌はサイのように分厚くて硬そうだった。
「小香、下がっていて」
「は、はい……」
 无限大人に手で下がるよう指示され、後退る。
「私に任せて!」
 若水姐姐がぴょんと飛び上がった。そのまま右の拳を突き出し、モンスターの脳天に一発打ち込む。モンスターは声も出さず巨体を地面に沈め、ぱっと消えてしまった。
「なんだ! 手応えないなあ」
 若水姐姐は殴った方の手をひらひらと振って、物足りなそうに唇を尖らせた。若水姐姐の戦う姿を見るのは初めてで、びっくりした。あんなに小さな身体なのに、攻撃はすごく重くて、強かった。
「若水姐姐、すごい……!」
「あははっ、これくらいたいしたことないわよ!」
 若水姐姐はそういいながらも、嬉しそうに笑った。
「いいとこ見せそこなったのう、无限」
 その後ろで、鳩老が无限大人ににやりと笑って見せる。无限大人は少しむっとした顔をした。
「ま、花畑が荒らされなくてよかった! ほら小香、見て見て」
 若水姐姐はころっと戦闘モードをとくと、また私の手を掴んで花畑の中へ入っていった。足に柔らかな花びらが触れてくすぐったかった。花の中で、振り返り、无限大人に笑いかける。无限大人も微笑み返してくれた。

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