21.翌朝

 ここ半年は、小黒との修行に集中していた。衆生の門の完成も近く、任務を与えるなら夏ごろだと決めていた。それまでに、あの子を少しでも鍛えたかった。その分、彼女と一緒にいる時間が減ってしまった。彼女は理解してくれ、嫌な顔ひとつせず、私たちを応援し、美味しいご飯を用意してくれていた。何度か、寂しいからと甘えてきたけれど、それも節度を弁えた程度で、いじらしかった。
 とうとう小黒を任務に行かせる日が来て、それを小黒から知らされた彼女はひどく不安そうな顔をしていた。彼女にとっては、小黒は幼く守られるべき子供だ。その子がひとりで外に出て行くのは、とても心配だったろう。それでも、小黒の決意を受け止め、笑顔で送り出してくれた。今日まで、支えてくれたことを、小黒も私も、感謝している。彼女のお陰で、修行に集中することができた。
 あの子は想像以上に強くなった。任務でも、きっと期待以上の成果を見せてくれるだろう。だが、あの子はここで挫折を知ることになる。あの子なら、現実を知ったうえで、受け止め、立ち向かっていけるだろうと信じている。
 天明珠を手に入れるところまではよかったが、変化できないほどの怪我を負うことになり、その身を案じた。だが、あの子は帰ることを選ばず、一人で耐えようとした。あの子が折れないなら、私は手を出せない。そんなとき、一人の少女があの子を見付けてくれた。小黒も次第に少女に心を開いた。彼女なら、小黒のよき友達になってくれるだろうと、そう思った。思ったとおり、小黒は彼女に正体を明かし、彼女はそれを受け入れ、本当の友達になった。あの子が私の元へ戻ることを選ばず、彼女たちと楽しく過ごしている日々を見ることは、想像以上に心を満たした。このために、私はあの子に任務を課した。あの子は自力で信頼できる友達を見付けた。あの子は大丈夫だ。そう思えた。
 衆生の門も発売し、一息つけるようになると、いままで押さえていた分がより戻してきたかのように、小香のことで胸がいっぱいになってしまった。まだ計画は始まったばかりだ。気を抜いてはいけないが、しかし、彼女には寂しい思いをさせてしまった。もしかしたら、私の存在が彼女の中で薄れてしまったかもしれない。そんな不安まで過ぎった。紅榴に彼女のどこを好きなのかを聞かれて、ああどんなに言葉を尽くしてもいい表せないな、と苦笑するほど思いが溢れた。子供を見にまた来る、と言われたときに、強く意識するようになってしまった。小黒がいるから、と口付け以上をしようとしなかった彼女に、私も想いを押さえてきた。いつかは、と思っていたが、そのときはまだ先だろう、と感じていた。
 しかし、押さえていた力がひとたび緩むと、俄然欲求は勢力を増し、私の中で膨らんでいった。まだ子供を儲ける環境は整っていない。だから、とまた苦労して抑えようとしたが、だが、そのときふと気付いた。必ずしも子供を設ける必要はないのではないかということに。その行為は子を成すためのものだという意識が強かった。その観念に囚われていた。だから、それに気付いたとき道が開けた気がした。
 彼女を抱きたい。
 それが素直な願いだった。

「……おはよう」
 うっすらと目を明けた彼女に、待ちきれず声を掛ける。彼女はまだぼんやりとしていて、小さくあくびをすると、ふと驚いたようにぱっと目を明けた。
「う、无限大人……!」
 その拍子に、布団がはだけて肩があらわになる。彼女は気付いていない様子だったので、布団を引き上げた。
「あ、お、おはようございます……」
 彼女は布団を自分の方に引き寄せると、おずおずと挨拶を返してくれた。頬を染め、こちらへ目を向けられないでいる彼女の頬に手を伸ばす。彼女の顔を上向かせて、吻をした。
「先に、起きてましたよね。私、ずっと寝ちゃって……」
 服を着ている私に気付いて、彼女はもごもごという。いつもの習慣で日が昇るころには目が醒めた。軽く体を動かし、お茶を飲んで、結局またベッドに戻った。二人で眠るには少し窮屈な彼女のベッド。彼女はまだ安らかに眠っていて、その穏やかな呼吸を聞いているだけで愛おしさがこみ上げてきた。普段二度寝はしないのだが、彼女の隣にもう一度横になって、その寝顔を眺めるうちに、少しまどろんでいた。外が明るくなってきたころ、彼女は静謐の眠りから目覚め、私の元へ戻ってきてくれた。
「君と横になっていると、眠くなってしまうようだ」
「そうですか……?」
「よく眠れた?」
「……はい……」
 彼女は真っ赤になって俯く。けれどその伏せられた瞳は満ち足りていた。
「朝ご飯、作りますね」
 そうは言うが、彼女はなかなか起きようとしない。どうしたんだろうと思うと彼女は私を見上げて困ったように言った。
「あの、着替えるので……」
「うん」
「リビングで……待っていてもらえますか?」
「ああ」
 見られているのは恥ずかしいらしいとようやく気付いて、起き上がる。もう、いまさらのような気がするが、やはり明るい日差しの中だとまた違うのだろう。離れるのを名残惜しみながら、ドアを閉める。ソファに座ると、寝室から微かに物音が聞こえてきた。昨夜、彼女は私にすべてを与えてくれ、私は彼女にすべてを捧げた。そのことを噛みしめる。無理に抑えていた想いが蓋を外され充満し、身体中を満たしている。朝の清々しい光さえ見違えて見えた。
「おはようございます」
 服を着て、髪を簡単に整えた彼女がはにかみながら出てきて、改めて挨拶をした。
「おはよう」
「すぐ顔を洗って、お料理作るので、待っててくださいね」
「ゆっくりでいいよ。いや、私も手伝おう」
「ふふ。じゃあ、一緒に作りましょう」
 顔を洗い、エプロンをする彼女の所作ひとつひとつが愛おしい。料理を作り始める前に、リボンを結び終わった彼女の腰を引き寄せ、吻をした。唇を離すと、どちらともなく笑みが零れた。
「无限大人」
「小香」
「大好きです」
「私もだ」
 これからはずっとこんな日々が続いていく。それはあまりにも幸せに満ちた未来だった。

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