19.衆生の門

 小黒が任務に出て一ヶ月ほどが経ち、八月に入って衆生の門も発売された。
 いまのところ、まだ問題は起きていない。大人気ゲームのひとつとして、たくさんのプレイヤーを集めているのは確かだけれど、まだみんな手探りでプレイし始めているところで、その本質は明かになっていない。ゲーム用の掲示板を見せてもらったけれど、次々に新しいトピックが立ち、たくさんのプレイヤーがゲームを攻略しようと情報を持ち寄って、知恵を集めようとしていた。
 私もひとつ、数量限定版のゲームソフトと専用のハードをもらった。テレビにつなぐのではなく、ゴーグルを着けて遊ぶタイプで、始めて遊ぶタイプのものだった。
「これを着けると、どこかにある霊域に分身が作られて、そこがゲームフィールドとなって遊べる……んだっけ」
 みんながこれで遊んでいると思うと、私もそわそわしてしまったけれど、无限大人が一緒のときにプレイすると約束をしているので、一人ではできない。无限大人が来てくれるのは三日後だ。ゲームが発売されて、私のところまではまだ影響が出ていないけれど、无限大人は忙しいんじゃないだろうかと思う。
 そして三日が経ち、无限大人がうちを訊ねて来た。
「おかえりなさい、无限大人」
「ただいま、小香」
 このやりとりが嬉しい。无限大人を迎え入れて、さっそくリビングに向かう。テーブルの上には、ゲームの未開封の箱を置いていた。
「これ一台で四人まで遊べるんだ」
 无限大人は箱を開けると、中身を取り出して、セットアップをする。それはすぐに済んで、ゴーグルをひとつ手渡された。
「これをつけている間は、眠っているような状態になって、無防備になる。それを忘れないように」
「はい」
 どきどきしながらそれを受け取る。无限大人は私にその場に横になるように言って、自分もゴーグルを手に取った。仰向けになって、ゴーグルを被る。いよいよ、ゲームが始まる。无限大人がゴーグルの横にあるボタンを押してくれる感覚があり、ふと気が付くと真っ暗な空間にぽつんと立っていた。
「えっ……、えっ、なにここ? 何も見えない……!」
「ようこそ。衆生の門へ」
「えっ誰!?」
「小香様。すでにご登録はすんでおります。どうぞご利用ください」
「へ? すんでる? はい……?」
 よくわからないまま、どこからか聞こえる謎の声に答えていたら、周りが開ける感覚があった。
「小香」
「无限大人!」
 暗闇ばかりのところから不意に无限大人が姿を現し、その笑みを見てほっとして駆け寄る。无限大人は私の手を掴んで、安心させるようにそっと握ってくれた。
「君のアカウントは事前に用意しておいた」
「そうなんですね。ありがとうございます」
 さっき謎の声に登録済みだと言われたのは、无限大人が手配してくれていたということみたいだ。
「ここがゲームの中だよ」
「不思議です……本当に触れてる感覚があります。こんなにリアルなんですね」
「ああ。行こうか」
 无限大人が一歩踏み出すと、明るい光が前方から広がり、世界が顕かになった。
「わあ……」
 そこは森林だった。どこからか小鳥の鳴き声もする。美しい場所だ。空気も澄んでいて、心地いい。
「すごい……これがゲームの中ですか?」
「霊域の中だよ」
 无限大人は私の手を引いて歩き出す。草を踏む感覚も本物だ。霊域の中、といっても、无限大人のものよりずっと大きい。ここには私たちだけではなく、数千万のプレイヤーが集まる。それは途方もない広さだろう。
「小黒も、ゲームに参加するよ。任務として」
「そうなんですか?」
「人間の友達と一緒にね」
「人間の……。小黒を拾ってくれた子ですか?」
「そうだよ」
 その言葉に、胸がいっぱいになる。任務とはいえ、小黒は、友達とゲームをするようになったんだと思うと、感無量だった。无限大人も、館の知り合いもいたけれど、やっぱりどこか寂しそうだった。あの子には、同い年の一緒に遊んでくれる友達が必要だった。それが、今叶ったのかと思うと、それ以上のことがあるだろうか。
「よかったです……」
 涙ぐみながら、なんとかそれだけを言う。无限大人の微笑みも喜びが滲み出ていた。
 森を抜け、小川が流れる少し開けた場所に出た。无限大人は繋いでいた手を離し、後ろ手に組むと、改めて私に向き直った。
「さて、君は、ここで何をしてみたい?」
「あ、水を操ってみたいです!」
「……金属じゃなくて?」
 无限大人は不意を突かれたような顔をした。なんだか、金属について教える気満々だったような様子だ。私は髪を弄りながら弁明する。
「だって、金属は難しそうですし……」
「そんなことはないが……私が教えるのだし……」
「水がいいです!」
「……そうか……?」
 无限大人は不服そうだったけれど、やっぱり、水を操れたら便利そうだ。
「髪をすぐ乾かせたり、服をすぐ乾かせたり。掃除も楽になりそうですし。无限大人を見てたら、便利そうで羨ましくなりました」
 そんなことを言うと、无限大人は不満そうな顔を崩し、肩を揺らして笑った。
「ははは。君らしいな。いいだろう。では、そこからはじめようか」
「はい! よろしくお願いします、師父!」
「……君にそう呼ばれるのは、不思議な感じだな……」
 无限大人はくすぐったそうに眉を下げた。

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