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「无限大人、本当にありがとうございました。お陰で助かりました。またぜひお力添えを。では、失礼いたします」 「ああ。では」 現地の執行人や職員と別れ、帰路に就く。本来ならこのまま一度帰る予定だったが、連絡が入り、次の場所へ赴くことになった。しかし今夜はもう遅い。一晩は野宿することにした。人気のない森の中で、霊域に入る。ここは夜でも明るい。白い背景の中に浮かぶ生家へ足を運ぶと、小さく息が漏れた。お湯を沸かし、お茶を淹れ、備蓄していた食料を食べる。すぐに食べ終わってしまって、味気なく思いながらしばらくじっと座っていると、端末が震えた。 『无限大人!』 「小香」 小香からのビデオ通話だ。画面いっぱいに、愛しい人の笑顔が映る。その笑顔につられて、自然と頬が緩んだ。 『師父ー!』 その下から、弟子がひょこりと顔を出した。 「小黒も。元気か?」 『元気だよ! 今ごはん食べ終わったところ! おそば!』 『年越しそばです。无限大人も、ごはん食べましたか?』 「ああ。今食べたところだよ。だが、一人で食べるのは味気ないな」 先ほど感じていた物足りなさを正直に吐露する。二人の明るい姿を見て、心が和む。 『明日は初詣っていうのに行って、おせちっていうの食べるんだよ!』 「そうか。それはいいな」 『師父も一緒だったらよかったのにね』 小黒は耳をへたりと倒し、残念そうな顔をする。小香の正月休みに、二人は小香の実家へ帰省していた。私も一緒にいくつもりだったが、どうしても外せない任務があり、断念した。 『また次回、一緒に過ごしましょうね』 「うん。来年は必ず」 小香がそう言ってとりなしてくれて、私も強く頷く。 「小黒、小香のこと頼んだよ」 『まかせて!』 「ちゃんと言うことを聞くように。それから、修行も欠かさないように」 『わかってるって!』 小黒はそれ以上言わなくても、といった様子で言葉を被せてくる。わかっているならいいが、と後ろにいる小香に目を向けた。 「小香、小黒のことを頼む」 『はい。ちゃんと歯磨きもして、お風呂も入りますよ。ね』 『うん!』 「二人が帰国するころには、私も任務を終わらせて帰るから」 『任務頑張ってね、師父!』 『無茶はしないでくださいね。お気をつけて』 「ああ」 まだ名残惜しいが、そろそろ小黒は寝る時間だ。 「では、おやすみ」 『おやすみなさい!』 『おやすみなさい。良いお年を』 通話を切り、ふうと満ち足りた息を吐く。二人の笑顔を見るだけで、心が温まる。それにしても、おせちとはどんな料理だろう。食べてみたかった。次こそは、行けるといいが。年越しまで、あと数時間。小黒と出会うまでは、年越しも特に意識せず、いつも通り過ごしていた。今は、二人がどんなふうに過ごしているかを想像しながら、新しい年に向かって時間が過ぎていくのを感じる。二人と同じ場所で新たな年を迎えたかったが、仕方がない。確か、日本では年越し番組を見て新年を迎えていると小香が言っていた。きっと家族で見ているのだろう。小香の家族は暖かい。あんな家庭だからこそ、小香は優しくて素敵な女性に育ったのだということがよくわかる。私のことも受け入れてくれ、心地よく過ごさせてもらった。 そろそろだろうか、と端末の時刻を見守る。あと数分だ。珍しく、一分一分と表示が切り替わるのを心待ちにしてしまった。あと二分。あと一分。 時刻が切り替わるのと同時に、小香へ電話を掛けた。一コールしないうちに、繋がる。 「小香、新年好」 『无限大人! 新年好!』 やはりまだ起きていた。明るい声が耳に飛び込んできて、笑みが深まる。 「一番におめでとうと言いたくて」 『私も掛けようと思ってました』 耳元でふふふ、と笑うので、少しくすぐったい。小香の声が遠くなり、誰かと話す声が聞こえる。家族と話しているのだろう。 『みんなからも、无限大人におめでとうって、言ってます』 「私からもおめでとうと伝えてくれ」 『はい! 无限大人もおめでとうって!』 スピーカー越しに、大勢の声が聞こえてくる。日本語でおめでとうと言ってくれているようだ。 「君のお陰で、家族が増えたな」 『あはは、そうですね。賑やかですよ』 「うん。楽しいな。正月は、どんなことをして過ごすんだ?」 『初詣以外だと、親族への挨拶とか、あとは家でゆっくりしますよ』 「そうか。ゆっくり休んでくれ」 『无限大人も、任務が終わったらゆっくり休んでくださいね』 「そうするよ」 電話越しの声が優しくて、いつまでも聞きながらまどろみたくなる。このまま、いい夢を見られそうだった。 『无限大人。……会いたいです』 「私もだよ」 少し切なげに、甘えた声で言われて、胸が震える。いますぐ抱きしめられたらどんなにいいだろう。 「好きだよ、小香」 『私もです。大好きです』 伝える言葉に思いのすべてを込めて、音を紡ぐ。私の気持ちは、いったいどれほど君に伝わっているだろうか。本当にすべてが伝わっているか疑わしくなるほど、思いは大きく、深くなっていくばかりだ。 『それじゃ……明日に響きますから、ちゃんと寝てくださいね』 しばしの沈黙のあと、小香が気づかわしげに通話が長引かないよいう労わってくれる。もっと話していたいなんて、わがままも言っていられない。 「うん。晩安、小香」 『无限大人、晩安』 かわいらしい声が心地よく耳を撫でる。このまま目を閉じれば、夢での逢瀬が叶うかもしれない。小香の声が聞こえなくなった端末を懐にしまい、椅子から立ち上がる。霊域の中は静かで、新年を祝う爆竹の音も聞こえなかった。 ← | → |