16.小黒の任務

 二人が修行に取り組み、三人で出かけることが少なくなると、時間の方もあっという間に過ぎていった。この前までは春だったのに、もう夏が近づいている。館では、衆生の門について正式に詳細が発表された。もうじき発売されるという。今後起こりうることについて、職員たちは情報を共有し、対策を立てることになった。これから、社会が大きく変わるんじゃないかという予感がして、胸が騒ぐ。何か悪いことが起こらず、人間と妖精の関係を進めるためのいいきっかけになればいいと願っている。ゲームの予約状況は好調だそうだ。限定版は五千万本も用意されている。それだけの人間が霊質に触れることになると思うと、どんなことが起こるか想像がつかない。たくさんの妖精と人間の職員が、想定外のことに対処できるよう、様々な手を打っている。あとは来るべき日を待つだけだ。
「小香」
 館の食堂で休んでいるとき、小黒に声を掛けられた。久しぶりに会った小黒は、なんだか雰囲気が変わったように感じる。
「小黒。背が伸びた?」
「ちょっとね。ねえ、小香。決まったよ」
 小黒は背筋を伸ばし、私をまっすぐに見て言った。
「明日から、任務に行く」
「任務……って」
 小黒の決意を込めた表情を見て、どきりとする。
「執行人になるためのテストだよ」
「本当に……? でも、まだ……」
「師父が、今がそのときだろうって」
「无限大人が……」
 背が伸びたといっても、まだまだ私より小さい。小柄な身体だ。
「任務って、何をするの?」
「老君のところに行って、天明珠をもらってくるんだ」
「老君って、あの? ものを、もらってくるだけ?」
「だから心配しないで」
 思っていたよりも簡単そうな内容に、ほっとする。小黒は強いとはいっても、无限大人のように戦いの中に飛び込んでいくとなったら、不安で仕方がなくなるところだった。
「でも、少しかかるかも。任務は、それで終わりじゃないし……」
「そうなのね。わかった。頑張って。小黒が執行人になれるように、応援しているから」
 私も心を決めて、小黒に向き直る。小黒は瑞々しい緑の瞳に私を映し、笑ってみせた。
「小香が攫われたとき、すごく苦しかった。今のぼくじゃ、助けられないかもって。そのとき、ぼくも師父みたいに、人を助けられる執行人になりたいって強く思ったんだ。改めて」
「小黒……」
「だから、頑張るよ」
「……うん。頑張ってね」
 もう一度心を込めて伝えると、小黒は力強く頷いて、背を向けて歩き出した。一人で歩いて行こうとする背中が頼もしくて、寂しい。そう急がなくてもいいと、言ってやりたくなる。でも、小黒は決めたんだ。やり遂げると。无限大人と共に戦えるように。
「小香」
「无限大人」
 そこに、无限大人が現れた。私は不安な顔をしていただろう。无限大人は笑みを浮かべて、一歩傍へと寄った。
「小黒と話せたか?」
「はい。頑張ってと、伝えました。でも……」
 何も起こらなければいい、と思うけれど、不安はどうしても拭えない。たった一人で、外に出るなんて。
「本当に、大丈夫ですか? 危険なことは、ありませんか? あの子は、どうしても今やらなくちゃいけないんでしょうか」
「あの子が決めたことだよ。まったく安全とは言えない。それでは任務の意味がないから。しかし、これを乗り越えられたら、あの子にとってとても大きなものになるだろう」
「乗り越える……」
 小黒は今、試練に向かっている。それを、私なんかに止めることはできない。小黒自身がやるべきだと決意したのだ。ただあの子の無事な帰りを待つばかりだ。
「この数か月で、彼はさらに成長した。大丈夫だ」
「はい……」
 无限大人の頼もしい言葉になんとか頷く。小黒のことを、信じよう。立派にやり遂げることを、祈っていよう。无限大人は私にただ静かに微笑みかけた。

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