10.賑やかな夕飯

「无限ー!!」
 館に小黒を迎えに行き、帰ろうとしたところ、気配を感じて足を止めたら同時に大きな声が私を呼んだ。見つかってしまったか、と肩を落とす。
「仕事終わったか?」
「もう帰るところだ」
「私もだ! そうだろうと思って探してたんだよ!」
 紅榴は牙を見せて笑った。
「ご飯食べようぜ」
「悪いが、先約があるんだ」
「先約? じゃあ私も一緒に行く!」
「なぜそうなる」
 彼女は本当に物事にこだわりがない。自分の欲求が満たされるなら、どんなことも些事だとでも言いたげだった。
「師父、知り合い?」
 小黒が私の服の裾をひっぱり、訊ねてくる。紅榴は自分の都合ばかり主張してくるから、いつも紹介する暇がない。
「ああ。紅榴という」
「ん? なんだ、そのちっこいの」
 紅榴はようやく私の足元にいる小黒に気付いて、ぱっとしゃがみ込むとその顔を覗き込んだ。人との距離感の掴み方が相変わらず乱暴だった。
「ぼく、小黒だよ」
「ほおん。耳かわいいな!」
 紅榴はにかっと笑うと小黒の頭をがしがしと撫でる。小黒は子供扱いをされてむっとして、ばさばさになった髪を手で撫でつけた。
「じゃ、行こうぜ!」
「どこに」
「ご飯食べに行くんだろ?」
「お前は誘っていないが」
「すっげー久しぶりだからさ! 話したいことたくさんあるんだ!」
 紅榴は私の話を聞かず、さっさと歩き出す。どこに向かうのかもわかっていないのに。こうなると彼女はまったく私の話を聞かない。いや、どんなときも、ほとんど私の話は聞かないが。仕方なく、小香に連絡を入れて、人数が増えることを伝えた。小香はそれが紅榴だとわかると、『もちろん、歓迎ですよ! せっかく久しぶりに会えたんですもんね』などと、呑気なことを言って承諾してくれた。紅榴が彼女の家に上がって、失礼なことをしなければいいが、恐らく叶わぬ願いだろう。何かしでかすという前提で、動かなければならない。通話を切って、思わず溜息を漏らした。せっかく彼女の家に行くというのに、こんなに足が進まないとは。
「お帰りなさい、无限大人、小黒。いらっしゃい、紅榴さん」
 玄関を開けて、彼女は暖かな笑顔で私たちを出迎えてくれた。奥からいい匂いが漂ってきて、空腹を意識する。ここで靴を履き替え、明るい部屋の中へ上がると、肩から力が抜けて、ほっとする。帰る場所があるというのは、こんなにもいいものなのかと、改めて噛みしめた。
「狭い部屋だな」
 紅榴は天井に頭をぶつけないように腰を屈めながら、無遠慮に部屋の中を見渡している。彼女にとってみれば、人間の住む家はたいていどこも狭いだろう。小香の家が特別狭いということはない。
「紅榴。言っておくが、彼女の家で粗相をすることは看過できない。大人しくするように」
「大丈夫大丈夫! 私だって成長してるんだぜ」
 自信満々に頷いて見せる彼女の言葉が微塵も信用できなかった。行儀よく、は望めないにしても、せめて少しでも大人しくしてくれたらいいのだが。
「なあ、腹減ったよ。早く食べさせてくれ」
 紅榴は小香にそう言いながら、椅子にどかりと座る。小香は今用意しますね、とにこにこしながら準備をしてくれる。四人掛けのテーブルは、三人のときはちょうどいい大きさだったが、一人増えただけでずいぶん窮屈に感じた。紅榴が座ったのは、いつも私が座っている椅子だった。その隣が小黒の椅子だ。小黒は迷いつつも、いつもの場所に座ったので、私は空いている小香の隣に座ることになった。
「連絡もらったのがご飯作り始めたタイミングだったので、あんまり量が作れなかったんですけど……」
 小香は申し訳なさそうに弁明しながら、おかずを並べる。今日も美味しそうだ。ふと見ると、小香の皿に乗っている分が少なく見える。
「小香、それでは足りないだろう」
「私はいいんです。紅榴さんも、たくさん食べるんじゃないかと思って。だって、无限大人のお弟子さん……あ、違うんでしたっけ?」
 小香はしまった、というように口を押える。それくらいのことで紅榴は機嫌を損ねたりはしない。しかし、小黒の方がぴくりと耳を動かして反応した。
「師父の弟子なの!?」
「師父って……お前、まさか无限の弟子なのか!?」
 二人は椅子の上で身体を捻り、驚きを込めて向かい合ってまじまじとお互いの顔を見つめ合った。
「私はだめなのに、このちっこいのはいいのか!?」
 紅榴はだん、とテーブルを叩いてこちらを睨みつけてくる。
「この子は金属性と空間属性だからな」
 私は冷めないうちに、と食べ始めながら答えた。
「あー! そういうことかあ! やっぱ属性あわないとだめだよなあ」
 すると紅榴はころっと納得し、しみじみと言った。こういう、こだわらず切り替えの早いところは彼女のいいところだ。隣で小香もすわ喧嘩かと緊張していたが、紅榴の態度を見て拍子抜けしたようになっている。小黒も紅榴が怒っていないのを見て、混乱しているような顔をしていた。
「紅榴は、弟子じゃ……ないの?」
「違うよ。街で暴れてたところをとっ捕まって、館に連れてかれたんだ」
「暴れてたの?」
「楽しかったからな!」
 どうしてそんなことを、と訝しむ小黒に、紅榴はあっけらかんと答えながら箸と茶碗を手に取り、食事に取り掛かった。
「でも、无限と手合わせする方がもっと楽しかった。館には、他にも強い妖精がたくさんいたからな。今はいろんな館を点々としてるんだ」
「そうなんだ……」
 紅榴の存在は強烈なのだろう、小黒はあっけにとられたようにしている。
「小黒も、食べないと冷めちゃうよ」
 小香に促され、小黒はまだ食べていなかったことに今気づいたような顔で、箸を手に取った。紅榴は勢いよく白米をかきこんで、おかずを平らげる。その勢いを見て、負けられないとばかりに小黒も白米を頬張った。
「二人とも、ゆっくり食べなさい」
 そんな私の言葉は、二人の耳に届かない。小香が肩を揺らして笑った。彼女が隣に座っているから、その顔は見えないけれど、椅子が隣り合っているから、身体が揺れたのが伝わってくる。表情が見られないのは寂しいが、この距離も悪くない、と思った。

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