93.西湖十景

 西湖の近くまでタクシーで向かい、西湖の南東に下りた。西湖は歩いて周るには広すぎるので、ここから屋形船に乗って周るルートに決めた。无限大人と小黒の二人なら歩いて一周できそうだけれど、たぶん私がもたない。公園のように整備されている道をしばらく歩いても、なかなか湖は見えてこない。けれど、吹く風が少しひんやりしてきたような気がした。
「湖、まだかな?」
「もう少しだよ」
 小黒もそわそわ首を伸ばしながら、きょろきょろして湖を探す。无限大人の言う通り、もう少し歩くと、木々の間に水面が見えてきた。
「あれそう!?」
「そうだ」
「でっかーい!」
 小黒はぱっと走り出す。湖のほとりまで近づいて、改めてその大きさに溜息が漏れた。
「想像以上に大きいですね……」
 対岸に緩い山の稜線がぼんやりと浮かび上がっている。水面にさざ波を立てて吹き渡る風が気持ちよかった。湖沿いに続く柳の道、西湖十景のひとつ柳浪聞鶯に入り、背の高い柳の木の間をゆっくりと歩く。途中には楼閣もあり、人々が思い思いに過ごしていた。柳並木を抜けてさらに進むと、屋形船の船着き場に到着した。チケットを買って、船に乗り込む。船にはガイドさんがいて、西湖にまつわる話をいろいろと聞かせてくれた。小黒を膝に乗せて座り、後ろから抱き込むようにして窓に顔を近づける。无限大人もこちらに身を寄せて、三人で外を眺めた。船は穏やかな水面の上をゆっくりゆらゆら進んでいく。
「あ、島が見えてきたよ」
「あれが三潭印月だ」
 西湖十景の二つ目だ。上から見ると、漢字の田の字型になっているそうだ。船が到着し、島に上陸する。島の中にも湖があり、その真ん中を十字の形に道が伸びていた。外周に沿って歩き、十字の道へ差し掛かる。水面の上に作られた細い道を歩いて行く。
「落ちたらどうしよう……」
「落ちないように見ているから、大丈夫だよ」
 ちょっと不安になって呟くと、无限大人が肩を揺らして笑った。さすがに落ちないとは思うけど、心強い。小黒は平気で、ぱたぱたと走って行く。時折立ち止まって水面を覗き込んだ。黒い魚の影がいくつか、すうっと通り過ぎて行った。明るい日差しが水面に反射して、木々の緑を鮮やかにしていた。十字を通り過ぎると、今度は竹に囲まれた道があった。竹林の中を進んでいく。どこかで楽器を演奏している音が聞こえてきた。それがまたこの雰囲気によく似合っている。「三潭印月」の名前が書かれた建物があった。そこを通り過ぎると、別の船着き場に到着した。そこからまた船に乗り、次は「花港観魚」に向かう。船は、湖の南から北へ伸びる蘇堤にある船着き場に着き、そこで私たちは下りた。「蘇堤春暁」といって、これも十景のひとつだ。その道は通らず、西へ進む。
「あ、鯉!」
 小黒が駆け出した先には人が大勢集まり、水面を覗こうと身を乗り出していた。何人かがパンくずを投げると、赤い水面がいっせいに揺れた。たくさんの鯉が集まっている。小黒は大人たちの足の間をぐいぐいと通り抜けて、前列まで行ってしまった。私と无限大人は少し離れた、人の少ないところからぱしゃぱしゃと跳ねる鯉たちを眺めた。小黒がふと気付いて顔を上げ、こちらに手を振ってくるので振り返す。
「鯉の餌、どこかで売っていたかな」
「そうかもしれませんね。でも、鯉はもう十分食べてそうに見えます」
「たくさんいるから、足りないようだよ」
「あはは。すごく元気ですね」
 優雅というよりは、少し騒がしいくらいだ。しばらくして小黒がこちらに走って戻ってきたので、また次の場所へ向かって移動することにした。

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