92.修行三、龍井蝦仁

「小香」
 優しい声に呼ばれて、意識が浮上する。目をゆっくりと開けて、ぼんやりとしたまま首を巡らせると、そばに无限大人がいた。
「あ……おかえりなさい」
 目をこすり、髪を整えながら起き上がる。小黒と遊んだあと、横になっていたら一緒にお昼寝してしまっていたらしい。隣を見ると、小黒は猫の姿で丸くなったまままだ眠っている。
「もう夕方ですね。ご飯の準備しなきゃ」
「うん。今日も教えてくれ」
 小黒をおこさないように小声で話しながらそっと起き上がる。
「今日は龍井蝦仁を作りましょう。簡単ですよ。油を使いますけど」
 エプロンを取り出して身に着け、髪をまとめていると、視線を感じた。
「なんですか?」
「いや。いいものだなと思って」
「……?」
 何かはわからないけれど、いいものでも見付けたように无限大人は一人笑っている。よくわらかないけれど、とにかく準備を始めることにした。
「まずは海老の背わたを取りましょう」
「背わた?」
「はい。こうして、竹ぐしで刺して、こうすると、黒い紐みたいなものが出てくるんです。これを取り除きます」
「わかった」
 无限大人は見ただけですぐにコツを掴んで、手早く抜いていく。
「そうしたら、片栗粉と塩を振って、よく揉みます」
「手間がかかるんだな」
「こうした方が美味しくなりますからね」
 海老を綺麗にしたら、次は味付けだ。調味料を分量通りに量り、海老を入れたボウルに入れ、无限大人に揉んでもらう。私はもう一つ、味付け用の龍井茶に少量のお湯を注いでおく。
「次は海老を油通しします」
 鍋に入れた低温の油に、海老を入れる。くぐらせるだけでいいので、30秒ほどで引きあげる。
「こちらに来てから油通しって知りましたけど、確かにこうすると野菜もお肉もずっと美味しくなるんですよね」
「なるほど」
 无限大人は頷き、ひとつひとつを忘れないようにというように真剣な顔で作業を進めていく。
「最後は鍋で調味料と合せて炒めて完成です! 火を点けてください」
「よし」
 无限大人がコンロのつまみを回す。勢いよく火が吹き上がる。それを无限大人は少しずつ小さくする。
「これくらいか?」
「まだ、もうちょっと小さく」
「これくらいか」
「もうちょっとです」
 なんとかちょうどいい強さに調節してもらい、調味料を加える。
「どれくらい炒めればいい?」
「味が染みるくらいに……そろそろ頃合いですね」
 火を止めて、できあがったものをお皿に移す。お茶の香りがよく立っていて、見た目もぷりぷりに仕上がった。
「やった、成功です!」
「ふぅ」
「できたの?」
 ちょうど小黒が起きてきて、鼻をひくひくさせながらテーブルに乗ってくる。
「どうだ?」
「おいしそう! さすが小香だね!」
「私も頑張ったんだが……」
「師父はまだまだ」
 小黒は意地悪に笑って見せて、テーブルから下り、人の姿になった。
「ごはん、ごはん!」
 たっぷり寝てお腹が空いたのだろう、いそいそと食器を準備する。作り置きの他のおかずを暖めて、テーブルに並べ、食卓についた。
「いただきます!」
 待ちきれないように小黒が手を合わせ、すぐにお箸を持つとさっそく龍井蝦仁を口に放り込んだ。
「おいしいっ」
「ふふ、よかった」
「うん。あれだけ手をかけただけあるな」
 无限大人も頬張りながら頷いた。
「ねえねえ、またどこか行こうよ。お弁当持って!」
 口にあれこれ突っ込みながら、小黒が要望を上げる。
「そうだね。私、あそこに行ってみたいんです。西湖」
「西湖か。あそこはいいところだよ」
「どんなとこ?」
「とても大きな湖だ。杭州でも随一の景観だよ。夏は蓮の花が見事だ」
「へえー! じゃあそこ行こう!」
「雪の景色も美しいそうですね。いろんな季節に行ってみたいな」
 もう少ししたら、紅葉が見られるだろうか。中国十大美景の一つとうたわれる景色に期待が膨らんだ。

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