82.誘拐

「終わったー!」
「お疲れ〜」
 解放感に満たされながら両腕をぐっと伸ばす。繁忙期は今日で最後だ。みんなも次々仕事を終えて、ようやく終わったと笑みを浮かべている。
「今日は小黒来てないんだっけ? ご飯行く?」
「うん。今は无限大人と一緒にいるから……。でも今日は買い物しないとだから、ご飯また今度でいい?」
「おっけー。気を付けて帰りなよ」
「はーい。お先です」
 鞄を持って、足取り軽く館を出る。街に繋がる扉を開けて、ビルの中に出る。ビルを通り抜けて、街に下りて、駅に向かった。この時間なら、最寄り駅のスーパーの閉店時間に間に合うだろう。しばらくは无限大人も小黒も来ない予定だから、一人分の食料を買う。八月も終わり、昼間はまだ暑いけれど朝と夜は涼しくなってきた。冷房の効いた電車を降りて、駅前を歩く。まだ人通りはあるけれど、もう暗くなっていた。ついこの間まではもう少し日が長かったような気がするのに、季節の移り変わりは早い。九月に入ったらもう少し落ち着くから、无限大人の任務の状況によるけれど、また出かけられるだろう。お互い忙しい日が続いていて、なかなかゆっくりできる時間が取れなかった。数週間そうなるだけで、もうたまらなくなっている。この前うちに来てくれたときには、本当に嬉しかった。无限大人も会いたいと思ってくれていると思うと、胸がきゅんと疼く。今度はどこへ遊びに行こう。
 閉店時間ぎりぎりに買い物を終えて、帰路につく。人は疎らで、静かだった。牛乳や調味料をまとめ買いしたので、袋が重い。角を曲がって、薄暗い通りを歩く。以前、出会ったばかりのころに无限大人が帰り道を心配して、家まで送ってもらったことを思い出した。あのとき住んでいた家は引き払ってしまったので今は同じ街の別の家に住んでいる。无限大人たちと一緒に暮らせるようになるのは、いつごろになるだろうか。无限大人が忙しくて不在がちなことは変わらないだろうけれど、同じ場所から仕事に向かい、同じ場所に帰ってくるということが重要だ。小黒も、自分の部屋が持てたら落ち着いてきっといい影響があるだろう。みんなの帰る場所。それを想うだけで、胸が温かくなった。どんな家がいいだろう――
 ふと、気配を感じて顔を上げる。街灯と街灯の間の、暗く沈んだところに誰かがいる。立ち止まって、こちらを見ているようだった。
 ――妖精?
 明かに人ではない。こんなところに妖精がいると思わず、目を見開く。
「小香か」
「え」
 思わず立ち止まったら、すぐ後ろから声が聞こえた。振り返ろうとした瞬間、身体に衝撃が走る。身体が動かなくなり、声が出なくなる。指が痙攣して、持っていたビニール袋が落下した。
 それが地面に落ちる音を聞く前に、私の意識は遠のいた。

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