80.繁忙期

 年度末は仕事が立て込む。前の館よりもこちらのほうが規模が大きいから、その分仕事も多い。目の前の仕事を終わらせる前に次が舞い込み、息つく暇もなかった。幸いなのは、この忙しさが終わる時期がわかっていることだ。そこまでなら、と奮起して、踏ん張る。家に帰る時間が遅くなり、小黒の夕飯が遅れてしまうのが申し訳なかった。執行人のみんなもそれぞれ忙しいらしく、館全体が慌ただしい空気に飲まれていた。
「小香、これ終わってる?」
 同僚に訊ねられて反射的に終わってる、と答えようとして嫌な予感がし、恐る恐る確認して、呻いた。
「ごめん……! まだだった!」
「あー、抜けがあるのはしょうがないよ……でも、後回しにするわけには……」
 理解を示してくれつつも、眉を寄せて困る同僚に、すぐに答える。
「今日絶対終わらせます! 小黒に帰り遅くなるって連絡入れてくる!」
「ごめん。頼むよ」
 慌ただしく小黒に電話で謝罪して、今手元にある分を終わらせようと集中する。まずはこれを終わらせて、次を片付けて、あとは……。頭の中で順序立てて計画し、手を動かす。あとはもうやりきるだけだ。
 気がつけば残っているのは上司と私だけで、上司も私が終わるのを待っている状態だった。
「小香、いけそう?」
「あとこれだけです……もう少し……はい! 終わりました!」
 書類を最終チェックし、データを確認して、問題ない、とほっと息をついてパソコンの電源を切る。
「お疲れ様! さあ、帰ろう、帰ろう」
「はい。すみません、こんな時間まで……あっ、小黒!」
 時計を見ると、終わりたいと思っていた時刻より一時間オーバーしてしまっていた。帰り道を急ぎながら小黒に連絡し、ひたすら謝って家に向かう。ほとんど小走りになりながら階段を駆け上がり、ドアを開けた。
「小黒ただいま! ごめんね、遅くなって!」
「おかえり、小香」
 返ってきた声は小黒のものではなく、鞄を玄関先に置いたところで立ち尽くしてしまう。
「无限……大人!? 帰ってきてたんですか?」
「うん。少し早く帰れたから」
 その声を聞いて、そこに立つ人が確かに无限大人だと理解して、肩の力が抜け、疲れを忘れてしまった。
「おかえりなさい! 嬉しいです、今会えると思わなかったから……っ」
 思わず駆け寄って、飛びつきそうになってから既のところで自制する。
「あっ、すみません……っ」
「どうして止める?」
 无限大人は笑みを零しながらこちらに手を広げるので、恥ずかしくなってしまったけれど、おずおずとその胸に飛び込んだ。无限大人は腕をぎゅっと引き寄せて、私を抱き寄せてくれる。
「遅くまで、大変だったな。お疲れ様」
「いえっ……、无限大人こそ、長期の任務、お疲れ様でした」
 无限大人の労いになれば、と思いながら、その身体を抱き締め返す。无限大人だ。无限大人がここにいる。任務に時間がかかってしまうのは仕方ないとわかってはいるけれど、やっぱりどうしても寂しいという気持ちは湧いてしまう。
「小黒はご飯を食べたらすぐ眠ってしまったよ」
「ありがとうございます。よかった。小黒、ご飯遅くなっちゃうって申し訳なかったから……あれ、でも、ご飯って……!」
「買ってきたものだよ」
 君の分もある、とテーブルを示すので、ほっとした。无限大人との料理修行は、まだまだ始まったばかりだ。
「食べて、お風呂に入って、ゆっくり休むといい」
「はい。でも、あの……」
 背中に回した手を離し難くて、もじもじしながら无限大人の顔を伺う。
「もう少しだけ、こうしていたいです……」
 そうしたら、耳元で私もだ、と囁かれ、腰に回された腕に、ぎゅ、と力が入った。

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