44.違う存在

「香さん」
「はい」
 名前を呼ばれて返事をし、振り返る。青い毛皮の犬のような顔をした妖精が佇んでいた。見慣れない人だ。
「僕です。文青です」
「あ、文青さんですか?」
 驚いて、改めてその顔を見つめてしまう。文青さんは、人間に変化できる妖精で、私が知っているのは人間の姿のときの顔だった。
「すみません。気が付かなくて」
「いえ。当然でしょう。この姿を見せるのは初めてですから」
 お茶を淹れて、椅子に座るようすすめる。椅子に座り、背筋を伸ばして姿勢よく待つ姿は、言われてみれば文青さんに似ているかもしれない。
「今日はどうされたんですか?」
「あなたに、改めてお礼を伝えたくて」
「私に?」
 そう言われたけれど、特に何かをした記憶はない。何度か話をしたことがあるだけで、お礼を言われるような仕事はしていなかったはずだ。
「僕は、いままで人間の中で暮らしていました。もう、80年ほどになります」
「そんなにですか」
 妖精だから、見た目は三十代ほどにしか見えなかった。
「はい。その間、いろいろなことがありました。そんなに長く、一か所にはいられないから、何度か場所を変えて、働いてきたんです」
「そうなんですね……」
 基本的には、妖精たちには館と繋がりのある場所に斡旋する。見た目は人と変わらなくても、戸籍や生い立ちなど、誤魔化せない部分は多い。その部分を、館……私たちが、カバーしている。
「ずっと、そうやって暮らしてきました。でも、風息の事件をきっかけに、それ以外の生き方もあるんじゃないかと気づいたんです」
 風息、と聞いてあの大樹を思い出す。无限大人が語ってくれたその壮絶な事件。それはきっと、妖精たちにとっても大きな衝撃があったはずだ。
「僕も木属性なんですよ」
 文青さんはそう言って、手のひらの種から蔦を伸ばして見せた。
「でも、人前ではこういうことはできない。それは、僕たちにとって走ることを禁じられるようなものなんです。当たり前にできることを、封じられる。ずっと、その息苦しさを感じていた」
 文青さんは、私の顔を見て微笑んだ。
「人間が嫌いなわけではないですよ。僕にも友人はできたし、会社の人にはよくしてもらっていました。でも、だからこそ余計に、彼らと僕は違う存在なんだということが明確になってしまった」
「違う存在……」
「でも、すぐにどうすればいいのかは思い浮かばなかった。館に戻ることも考えましたが……。そうしたら、あなたが人間の近づかない場所をまとめてくれたでしょう。それを見て、ある妖精が、ここに住みたいものを集めて一緒に住まないかと募集したんです。僕もそれを見て、決意しました。妖精が、妖精として暮らせる場所。そこが僕の求めていた場所かもしれないと」
 文青さんの語る口調に熱が入る。私は何も言えなくなった。確かに、妖精たちに活用してもらいたいと思ってまとめた情報だった。けれど、今、とても複雑な気持ちで彼の話を聞いている自分がいる。
「ありがとうございます。館にはたくさん世話になりました。これからは、僕たちでやってみようと思います」
 そう告げて、文青さんはお茶を飲み干すと、立ち去った。
 人間と妖精は違う存在。それはよくわかっている。それでも、うまく共に暮らせるんじゃないかと思っていた。人間社会で生活する妖精たちは、それに満足していると思っていた。自分の認識の甘さを痛感する。まだまだ、共生というにはほど遠いのかもしれない。
 文青さんのような妖精がたくさんいるということにショックを受けてしまっていた。彼らに私たちは、とても窮屈な思いをさせている。それを理解しているつもりだったけれど、全然だった。館のやり方は、このままでいいんだろうか。心が揺らぐ。私は間違えたのだろうか。妖精と人間は、共には暮らせないのだろうか。

|