38.かわいいこと

「何か考えている?」
 瞬きをしたら、至近距離に无限大人の顔があって、のけ反った。
「わっ」
 手に持っていたコップをひっくり返しそうになって、ぎりぎりで持ち堪える。今は休憩中。館に顔を出していた无限大人とお茶をしていたところだ。話をしている間、ぼうっとしてしまったらしい。
「いえ、すみません」
「最近、忙しいのか」
「そんなことないですよ」
 私は笑ってごまかすけれど、无限大人はじっと私の顔を見つめて探ってくる。確かに、いろいろと考え込んでしまっていることはある。でもまだ、自分の中でまとまっていないし、こんなところで話すことでもないし。
「また、お休みの日におでかけしたいですね」
「そうだな。どこか行きたいところはある?」
「そうですねえ……」
 最近、少しずつ暖かくなってきた。冬が終わって、外に出て行きたい気持ちが湧き上がってくる。
「あまり南の方に行ったことがないから、南の方はどうですか?」
「南か。それだと……」
 无限大人は懐から端末を取り出して、検索し始める。私も端末のスリープモードを解除して、ブラウザで調べてみることにした。
「小黒も遊べるところがいいですよね」
 无限大人が端末から目を上げて、こちらを見て、微笑を浮かべた。
「二人きりのつもりだったが」
「あっ……で、でも、いいじゃないですか。三人で行きましょうよ」
 ぽっと頬が染まってしまって、照れ隠しに少し声が大きく、早口になる。
「その方が楽しいですよ」
 无限大人は微笑を浮かべたまま、調べ続ける。二人でいたい気持ちもあるけれど、やっぱり小黒に寂しい思いをしてほしくない。こうして、たまに二人で過ごせる時間があれば十分だ。
「杭州市に行ってみるか」
「浙江省の省都ですね」
「茶葉博物館というものがあるよ」
「わあ、面白そうです!」
 一緒に无限大人の検索した画面を見て、行先を決める。次の休みがとても楽しみになった。
「小黒のこと、気を使わせてすまない」
 話がまとまったあとで、无限大人は申し訳なさそうにそんなことをいうので、私は笑って首を振る。
「違いますよ。私が一緒がいいって思ってるんです! 小黒も、私と遊ぶこと楽しみにしてくれているし」
「それはもちろん」
「ふふ。でも、その、たまには……二人でも、でかけたい、ですね」
 肩を竦めて、ためらいながらもなんとか伝える。无限大人は顔を手で覆った。
「ど、どうしました?」
「そうやって、かわいいことを言うんだから、君は」
「ええっ……」
 そんなことを言って嬉しそうに微笑んでくれる无限大人の方がずっとずるいと思います。そんなに、愛しいと思ってるみたいな瞳を向けられて、平静でいられるはずがない。ここが外でなかったら、抱き着けたのに。
「あの、じゃあ、そろそろ戻ります……」
「うん。仕事、無理しすぎないように」
「はい。无限大人もお気をつけて」
 恥ずかしいのを誤魔化しつつ、お茶も飲み終わってしまったので惜しみながらも立ち上がる。職場に戻る道を、途中まで无限大人も一緒に歩いてくれた。少しでも長く一緒にいたいと思って、つい足がゆっくりになる。
「そういえば、明俊さんが館にエレベーターをつけてほしいって言ってました。乗ってみたいんですって」
「エレベーターか。あれば便利だろうな」
 階段を下りているときに、ふと思い出したことを話題に出す。
「難しいでしょうけど……」
「はは。館長に言うだけ言ってみよう」
「お願いします」
 笑ながらそう言って、立ち止まる。今度こそお別れだ。じゃあ、また。そう告げて、それぞれ歩き出した。

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