30.桃の木の中で

 執行人たちの中に小黒の姿が見えないと思ったら、別のグループのところへ遊びに行っていた。小黒には知り合いがたくさんいるようだ。无限大人がいない間館にいるから、そのときにいろいろな妖精と知り合いになるらしい。私は无限大人の隣に座り、みんなの笑い声を聞きながら、心地よく酔っていた。
「小香」
 もう一杯飲もうかどうしようか悩んでいたら、无限大人に名前を呼ばれた。无限大人は会話に耳は傾けているけれど、あまり参加せず、ただ静かに飲んでいる。二人でいるときはもう少し話してくれていたと思う。でも、私が話しかけることの方が多かったかも。なんて思っていたら、无限大人は立ち上がった。
「少し歩かないか」
「はい」
 歩けないほど酔ってはいない。无限大人を追いかけて立ち上がり、桃の木の間を歩く。花はちょうど満開で、香りが満ちて、花びらがときおり風に舞った。
「綺麗ですね」
「うん」
 去年は桜を見に行った。あのときは无限大人への好きの気持ちをどうすればいいかわからなくて、戸惑ってばかりだった。今はきっと、あのときより気持ちが大きくなっている。でも、もう抱え込んでいる必要はない。ちゃんと、伝えられるし、受け止めてもらえる。
「无限大人」
 立ち止まって、彼を見上げる。彼も立ち止まって、振り返った。
 そのとき、瞼の裏に光景が浮かび上がってきて、視界に二重に重なった。いつか見た夢の記憶だ。桃の木が咲き乱れる中、私と无限大人の二人きりで、私は湧き上がる思いを口にせずいられなくなり、伝えて、そして、断られるところで目が覚めた。あのときの絶望感は、今もまだ覚えている。現実にならなくて本当によかった。こういうのを、逆夢というのかもしれない。
「小香」
 現実の无限大人が微笑み、夢の光景は消えてしまう。
「好きだよ」
 その言葉に、涙が浮かびそうになる。桃の花びらが舞い散る幻想的な景色の中、確かにその言葉は真実だった。
「私も。大好きです」
 涙を拭って、笑顔を向ける。どちらからともなく手を握って、また静かに歩き始めた。桃の並木はどこまでも続いていそうだった。甘い香りとお酒の酔いがほどよく混じり、くらくらとする。でもとても気分がよくて、少し足元が覚束ないのも楽しみながら歩いていた。
「今日はよく飲んでいたね」
「ふふ。美味しかったので……。みんなが勧めてくれるし」
 お祝いだから、とみんなが私の杯にお酒を注いでくれた。无限大人も一緒に、顔色ひとつ変えず飲んでいた。
「ああやって、改めて紹介されるの、照れますけど、でも、嬉しかったです。みんな、認めてくれて、お似合いって言ってもらえて」
「そうだな」
「无限大人の……恋人に、なれたんだなあって」
「はは。そんなに感慨深そうにしなくても」
「だって。いまだに信じられないくらいなんですもん」
「夢かもしれないって疑ってる?」
「ちょっとだ」
 け、というところで唇を塞がれた。驚いて閉じた目をそっと開けると、いたずらっぽく笑う无限大人の顔がすぐそばにあった。
「これでも?」
「……っ、リアルすぎます……」
「うん。こうして、触れられる」
「温かいです」
 握った手を口元に寄せて、无限大人は目を細め、私を見つめた。桃色の背景に翡翠色がよく映えて、美しくて目が離せなかった。
 またゆっくりと歩いて花と香りを楽しみながら、みんなの元へ戻っていった。

|