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「そういえば、深緑さん、どうするか決まったんですよ」 「いい場所が見つかったのか?」 お茶を置きながら、无限大人が訊ねるので、首を振った。 「いえ。新しい湖へお引っ越しは、なしになりました。やっぱり、知らない場所に行くのは不安が強いみたいです。なので、このまま館に残るそうです」 「そうか」 无限大人は目を細めて、喜んでくれた。 「最初は、館のことも信用されてなかったから、居心地はよくなかったみたいなんですけど、お茶に誘われたり、いろいろ話すうちに、打ち解けて、このままいてもいいって思ってくれるようになったそうなんです。いい場所をご案内できなかったのは残念ですけど、深緑さんも居場所を見つけられたから、よかったのかなって」 「うん。いいことだと思う」 「ありがとうございます」 少し気恥ずかしくなりながら、深緑さんの言葉を思い返す。 「私が深緑さんの要求を受け止めて、探し続けていたから、深緑さんも館にいてもいいと思ってくれたみたいなんです。私は結局、お役には立てなかったですけど、まったくというわけではなかったのかなって」 「もちろん、そうだろう。館を信頼してくれたのは、君の存在が大きいよ」 「えへへ……そうなら嬉しいです」 无限大人がそう断言してくれると、心が温かくなり、自信が湧いてくる。 「こちらに来た意味を、結果を残せたかなって、思えました」 「うん。充分に仕事をしてくれたよ」 无限大人に褒められて、照れてしまった。 「来る前は、一年って長いと思っていましたけど、こうしてみると、あっという間ですね。もうすぐ終わりなんて」 「そうだな……」 「无限大人にとっては、もっと早いでしょうね」 「君に比べれば。しかし、いい時間を過ごせているよ」 過去形ではなく、現在形で言ってくれるのが嬉しい。まだ、終わりじゃない。もう少しだけ、こうしていられる。 食事を済ませ、店を出る。そして、いつものようにアパートまで送ってもらうことになった。道すがら、会話は少なかった。お店で話したからということもあるけど、なんだか話すよりも、並んで歩くこの時間を味わっていたかった。小黒がいないと、本当に静かだ。无限大人も、沈黙を心地よく思ってくれているだろうか。 お別れの時間はすぐに来て、もうアパートの前に着いてしまった。 「今日も、ありがとうございました。急なお誘いだったのに……」 「嬉しかったよ。また、誘ってほしい」 その言葉に舞い上がってしまう。勇気を出して誘ってよかった。 「でも、また君のカレーを食べたくなってしまったな」 「あはは。また、小黒と一緒に来てください」 「そうしよう」 言葉ひとつひとつが嬉しくて、心臓が鳴りやまない。まだ、離れてしまうのが惜しい。もう少しだけ、何か足を止めてもらえる会話はないだろうか。そう思いながら、視線を泳がせる。无限大人は、静かに私を見つめていた。まだ、帰らずにいてくれている。 「その、海、楽しかったですね」 「うん」 「また、どこか、行きたいですね」 「今度は、二人でどこか行こうか」 「あっ……はい……」 小黒も、と言う前に、そう切り出されて、どきりとする。 「私も探しておくが、君も行きたい場所があれば考えておいてくれ」 「はい……考えます……」 二人きりという言葉が脳内でぐるぐるする。わざわざ、二人でと言ってくれるなんて、どうして、と考えてしまう。まだ、无限大人は帰ろうとしない。私も、アパートの方へ向かえずにいる。向かい合ったまま、沈黙が続く。 もう少しだけ。もう少しだけ……。視線を无限大人の方へ向けると、見つめ返してくれた。目を逸らせなくて、そのまま、翡翠の瞳に魅入る。 「小香」 「……はい」 「……そろそろ、行くよ」 「はい……。お気をつけて」 そう言いつつ、无限大人は動かない。私が家に入るのを待っている。私は名残を惜しみながら階段を上がり、アパートの前を見る。无限大人は、まだそこに立って、見守ってくれていた。 ← | → |