66.龍遊民居苑

 雨桐と一緒に買いに行った漢服に袖を通し、鏡の前で入念に確認する。どこか間違ってないか、なんども身体を捻って背中も確認して、そうしていたら約束の時間が近いことに気付いて慌ててポーチを手に取る。これも漢服に併せて用意したものだ。遅刻しちゃう、そのことに意識を取られながら、駅まで足早に向かった。
「お待たせしました……っ」
 无限大人と小黒が、すでに待っていた。約束の時間ぎりぎりだ。
「すみません、遅くなって」
「いや、ぴったりだよ」
「小香、かわいいね!」
「ありがとう、小黒」
 呼吸を整えながら服の裾を直す。髪がばさばさになっていないといいんだけれど。
「行こうか」
 无限大人が小黒の手を引いて歩きだすのについていった。電車に乗って移動するけれど、漢服は思っていたより動きやすかった。なんだか特別な感じがして、気分が高まる。无限大人と小黒の漢服姿は館で見慣れていたけれど、外でそれを見るのは少し不思議な気持ちになった。
 今日は龍遊民居苑を見てから龍遊石窟に向かう予定だ。
 龍遊民居苑は、明代や清代の古民家がそのまま残されている場所だ。門に掲げられた牌坊をくぐり、中に入る。そこには昔の生活が残されていた。今もここに住んでいる人がいるそうだ。
 无限大人がその中を歩くと、明代の人だということが納得できた。それくらい、景色に馴染んでいる。私はどうだろう。そもそも外国人なのだけれど。
 ふと、視線が気になって後ろを振り返る。少し後ろを无限大人が歩いている。小黒は元気に先頭だ。後ろにいるのだから、私が視界に入るのは当然なのだけれど、なんだか気になってしまった。
「いい場所ですね」
「ああ」
 話しかけると、少し歩幅を広げて追い付いてきて、隣に並んでくれた。
「こんな感じの場所で、子供のころは、育ったんですか?」
「そうだな」
 无限大人は古民家を眺めて、微笑を浮かべる。その胸中には、どんな思い出が浮かび上がっているんだろう。
「いい場所だ」
 私の言葉を繰り返して、无限大人は小黒の方へ歩いて行った。つかず離れず歩いている間、无限大人と妙に目が合った。私は、无限大人と背景の古民家を目に映していたくてついつい无限大人を見てしまうのだけれど、見ようと思うとすでに无限大人がこちらを見ていて目が合ってしまう、ということが数回あった。どきりとしてすぐに目を逸らすけれど、无限大人はそのまま見つめていた。景色が見たいのかな、と思って速度を落とし、无限大人の後ろを通って反対側に行く。そうしてしばらく歩いていると、またこちらを見ている気配がした。
 また目が合って、今度は頑張って目を合わせる。
「何か、ついてますか?」
「うん?」
「こちらを、よく見ている気がするので……」
「ああ。うん」
 无限大人ははっきり答えない。髪型がへんになっているとか、服が着崩れしている、とかならちゃんと教えて欲しい。
「私、どこかおかしいですか?」
「いいや。綺麗だよ」
「えっ!!」
 思わず大きな声が出てしまった。こんなに静かな場所なのに、私の馬鹿みたいな声が響いてしまう。手で口を押えてももう遅かった。
「えっと……へんじゃないならいいんですけど……」
 そしてもじもじしてしまう。お世辞にしても、そう言われて嬉しくないはずがない。
「つい、目がそちらへいってしまうくらいに」
「え……」
 无限大人は謎めいた笑みを浮かべる。
 この姿、気に入ってくれているんだろうか。だとしたら、嬉しいどころの騒ぎじゃない。どうしよう。今日はまだ、龍遊石窟にも行く予定なのに、心が燃え尽きてしまいそう。
「小香、かわいいよね! 漢服、すごく似合ってるよ」
 小黒まで素直にそう言ってくれるので、私はただ照れて笑うことしかできなかった。

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