64.外灘

 外灘へは三輪タクシーを捕まえて行くことにした。その座席は大人二人が並んで座ると少し窮屈で、小黒は无限大人の膝に収まった。
「狭くないか?」
「大丈夫です……」
 右側がぴったりと无限大人に密着してしまい、心臓の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと心配になる。早く目的地に着いてくれないと、心臓がもたなそうだ。なるべく身を縮めているけれど、どうしても触れてしまう。早く解放されたい、と願ってあまり景色に目を向ける余裕がなかった。
 和平飯店の傍で下ろしてもらい、外灘を散策することになった。19世紀ごろに建てられた建物が並んでいて、先ほどの豫園よりは現代に近づいているけれど、レトロな雰囲気に浸れる場所だ。西洋風の建物の並びは、横浜を思いださせる。時計台や、一風変わったドームのついたビルなど、デザインが豊富で見ていて飽きない。その前に広がる遊歩道には、人がたくさんいた。ここから黄浦江を挟んで向こう側にある浦東の景色をみんなカメラに収めようと集まってきている。そこには近未来的な高層ビルがずらりと並んでいて、上海の発展を象徴している。人間社会の技術力と富の結晶だ。百数年の間に、人類は急速に発展した。妖精たちから見れば、瞬く合間の出来事だろう。人に変化できる妖精の中には人間社会に紛れて暮らしているものもいる。デジタル化していく文明に遅れず、適応してきている。それもひとつの生き方だろう。
 日が落ちてきて、薄暗くなってきた。しかし、人々はまだ帰らない。これからが本番だからだ。
「電気ついたよ!」
 小黒が指を差す。空が藍色に染まるころ、高層ビルの灯りが煌々と輝き始める。川を挟んだ向こう側が、別世界のように浮かび上がる。人々が一斉にカメラを向ける。私はしばらく肉眼でその光を眺めることにした。
「眩しいくらいですね」
「うん」
 ふいに背中を悪寒が走り、くしゃみが出た。気温が下がってきて、身体が冷えてしまったみたい。
「寒い?」
「いえ、大丈夫です」
 无限大人にそう答えたら、无限大人は自分のジャケットを脱いで私の肩に掛けてきた。驚いて肩を竦める。ジャケット越しに无限大人の手が私の肩に触れる。
「着ていなさい」
「あ……ありがとうございます……」
 身体の中から熱が吹き出して、熱くなった。ジャケットがなくてもこれなら寒くなさそうだけど、ジャケットがあったからこそ熱くなったわけで。どうしよう、嬉しい……。
 控えめにジャケットの襟をつまみ、ちょっと引き寄せる。无限大人のジャケットは大きくて、背中から肩をすっぽり包んでくれた。
 ジャケットは駅に着くまで借りていることになった。さっきまで羽織っていたジャケットを无限大人が腕を通すのを見るとへんな気持ちになった。
 家の最寄の駅まで着くと、无限大人はまた送ってくれると言って私のアパートまで一緒に行くことになった。
「小籠包、美味しかったね」
 小黒は眠そうにしながら无限大人に手を引かれるまま歩き、今日のことを振り返る。今日もとても楽しかった。帰ったら写真と一緒に何をしたか書き残しておこう。
「そういえば、龍遊の観光地とかは行ったことないです」
 足元より外に目を向けがちになってしまっていた。ここ龍遊にも観光スポットはある。
「確かに。龍遊石窟なんかに行ってもいいかもしれないな」
「じゃあそこに漢服着て行こう!」
 无限大人が言うと、小黒も賛成した。そういえばそんな話もしていた。せっかく買ったのだし、着る機会があるなら着て行けばいいか。
「また休みがわかったら連絡をするから」
「はい。お待ちしています」
 こうして次の約束をできるのが嬉しくて、くすぐったい。无限大人も、私と会うことを楽しみにしてくれているならとても嬉しい。空に浮かぶ月は半月だった。月が満ちるころにはまた会いたい。无限大人と小黒の姿が見えなくなってから、家に入った。

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