34.刀削麺

「刀削麺を食べたことはあるか」
 確か、生地を専用の包丁で削って沸騰したお湯に入れる麺料理だったかと思う。首を振ると、彼はいい店があると言って歩き出した。ここは故宮博物院から少し離れたところにある西四大街だ。レストランがずらりと並んでいる。その中から、无限大人はひとつを目指して進む。いつも、歩く足運びに迷いがないな、と思う。長年の経験がそういう振る舞いに繋がるのだろうか。私は周囲の景色に気を取られながら、逸れないように後をついていく。
 入ったのは杏園餐庁というお店だった。无限大人お勧めの刀削麺を頼んでもらう。煮込んだお肉の乗せられた刀削麺だった。それから席に着く。いかにも地元の食堂といった内装だった。
「麺削ってるとこ見てみたいな」
 調理場の方へ首を捻ってみると、无限大人は淡々とした声で残念なことを言う。
「ここは機械で削ってる」
「ええ……」
 お勧めというから、本格的なお店かと思ったのに……。麺より、乗ってるお肉の方が目当てなのかしら。とはいえ、初めて食べるので違いはわからない。運ばれてきた料理は美味しくいただけた。
「龍遊の館長とはここで会ったんだ」
「潘靖さんですか?」
 窓の外に目をやりながら、无限大人が昔話の続きをし始めた。
「当時、彼は燕国の国司だった」
「それは、人間の下で働いていたってことですか?」
「そうだな。そういう妖精はたまにいたよ」
 日本でも、人にうまく変化できる妖精が人間に紛れて暮らしていたことはある。でも、あの館長がそうだったと聞くのはなんだか意外だった。
「興国の建国の式典が行われる日に、仲間と共に皇帝に仇なそうとしたが、老君に止められた」
「老君が」
 もちろん、名前は知っている。そもそも、館のシステムの創設者だ。
「私が老君と会ったのもそのときが初めてといっていいかな」
「老君とお会いしたことあるんですね」
「うん。玄離という神獣を連れていて、腕比べをした」
「神獣と……!?」
 神獣といったら、ものすごく強いんじゃないだろうか。それなのに、さらっと腕比べなんて言って。
「ちなみにどちらが勝ったんですか?」
「………………」
 好奇心で聞いてみたら、无限大人は窓から目を逸らさず沈黙を貫いた。……聞いちゃいけなかったかな?
「こほん。私ができる話は、これくらいかな」
「ありがとうございます。すごく勉強になりました」
 思っていた以上に、无限大人個人のことも知ることができた。こんなに話してもらえると思わなくて、すごくありがたい。
「暗くなるといけない。そろそろ帰ろうか」
「はい」
 またタクシーに乗って、館まで戻り、転送門を通って龍遊に戻ることになった。今日はすごく楽しくて、ここから離れるのがすごく惜しい。まだ、もう少しだけ、一緒にいられたらいいのに。でも、次にまた出かける約束はもうしてる。桜を一緒に見られるんだから、楽しみにせずにはいられない。だから、辛くない。でも、寂しい。
 結局、アピールらしいことはできなかったけど、无限大人のことをいろいろと知れたから、それでよかったと思う。アピール、なんて考えたら、狭い車内で隣に黙って座っている无限大人の存在をやけに意識してしまった。本当に、二人だけで一緒に過ごしたんだ、と思うと顔が熱くなってしまう。向こうにとっては、異邦人を観光案内した、くらいのものなのだろうけれど。私にとっては大いに実りのある一日だった。
 タクシーはすぐに館についてしまって、転送門をくぐればもうそこは龍遊だった。まだここに来て半年も経っていないけれど、帰ってきた、という気持ちがわく。
「本当に一瞬で移動できて、すごく便利ですね」
「そうだな。また必要があれば借りればいい」
「そうします」
 浮かれた気分はひとまず終わりにして、仕事に戻ろう。深緑さんに気に入ってもらえるといいんだけれど。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ。楽しかったよ」
 では、と去っていく後ろ姿に、胸が高鳴る。楽しんでいたのは、私だけじゃなかった。そんなふうに言われると、期待してしまう。もしかしたら……なんて、愚かな考えを、抱いてしまう。

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