藤の花を見に行く話 |
今回の行先はちょっと遠い。電車で2時間半ほど掛かる。それでも、この時期にしか見られない光景があるから、私たちは出かける準備をした。目的地に近づくと、電車の本数自体が減ってしまって、乗り換えの時間が数十分空いた。でも、おしゃべりをしていたら、気にならなかった。次第に外の景色に山が増えてきて、いよいよなんだと実感する。一緒に電車に乗っている人も、恐らく同じ目的地だろうといった装いの人が多かった。ようやく目的の駅について、手を繋いで下りる。曇りなのが残念だけれど、暖かいし、雨じゃなくてよかったと思うことにした。でも、ズボンじゃなくてスカートにすればよかったかな。 チケットを買って園内に入る。途端に、視界は花で満たされた。 「わあ」 満開の躑躅と藤と、他にも色とりどりの花が咲き乱れている。今年は開花が例年よりも早いそうで、ちょうどいい時期に来れたようだ。 「本当に、花でいっぱいですね」 「どこを見ても花だな」 さっそくカメラを用意して、写真を撮りながら、目でも風景を楽しむ。カメラをどこに向けても、花が映りこまないことはない。そこまで人も多くなかったので、好きなだけゆっくり眺められるのもよかった。躑躅の海に佇む无限大人から少し離れて、レンズを向ける。无限大人の視線は躑躅に向けられていて、少し目を伏せた表情がより美しく映えた。 「无限大人、きれい」 思わずぽつりと呟く。いつもきれいだけれど、こういう光景を見ると、本当にあの人は人でないんじゃないかというような気持ちになってくる。无限大人は顔を上げて私に気付くと、にこりと笑ってくれる。无限大人が私の隣にいてくれることが、改めて不思議に思えて、その奇跡に感謝した。 躑躅の中に、白い藤や紫の藤が混じって咲いている。色の濃い躑躅とのコントラストがまた綺麗で、より藤の淡い雨だれのような花房が際立っていた。白い藤、紫の藤、両方を背景に无限大人をそれぞれ撮る。 「どっちもいいですけど、やっぱり紫が似合いますね」 「君は白が似合うね」 「ふふ」 そんなことを言い合いながら、花の中をゆっくり歩く。花を見ているうちに気が付けば无限大人にピントが合ってしまう。しばらく見つめていると、无限大人はこちらを見て微笑む。花の中にいる无限大人は、何度見てもきれいでいくらでも見惚れてしまった。 進んでいくと、休憩所についた。 「あそこで食べ物を売ってるよ」 「あ! 私食べたいものがあるんです」 少し休憩することにして、売店でアイスを買った。藤の色をしたソフトクリームだ。 「さっぱりした甘さで美味しい!」 バニラに比べてすっきりした味だ。でもちゃんと甘くて、ほのかに藤の香りがあるような気がする。ここに来たら、いつもこれを食べることにしていた。ここに来るのは三回目だけれど、无限大人と来れてよかった。一緒に眺める花の美しさは別格だ。 二人でソフトを食べ終わって、また花の海の中へ入っていく。ようやくここの目玉の藤の大棚に辿り着いた。 「わあ、頭上が全部藤の花だ」 棚の下に入ると、爽やかな藤の花の香りに包まれた。无限大人も頭上を見上げて、ほうと息を吐く。この景色を見たくて、ここまで来たんだ。幻想的で美しくて、うっとりしてしまう。 「大きな樹だ」 「ほんとに」 藤の柔らかな紫が无限大人の髪の色によく映える。藤の色に彼が飲まれてしまいそうで、なぜか嫉妬心が湧いた。 「どうした?」 「无限大人、藤の花が似合いすぎます」 「そうか? 君の可憐さの方がよく引き立っているよ」 「私はいいんです」 「よくはない」 前もこんなやりとりをした気がする。だって、どんな花も无限大人に似合うんだもん。あ、でも薔薇はどうだろう。ちょっとイメージ違うかな。 次は薄紅色の藤の橋をくぐった。夢の世界へ続いていそうだ。无限大人と二人でならどこへ行っても大丈夫だと思う。彼が手を繋いでいてくれるこの場所が私にとっての現実だ。 「こちらの色の方が君に似合うな」 「そうかな……えへへ」 无限大人は私の方を見て、満足そうに微笑む。嬉しかったので、今は素直に褒められておくことにした。 黄色い藤もあるけれど、今は咲いていなかった。紫と薄紅が満開で、白い藤はこれから満開になりそうな気配。一度にすべての花が満開なのを見られるのは本当に一瞬なのかもしれない。 また躑躅の海を抜けて、八重藤の棚に辿り着いた。八重藤は紫の色が濃くて、花が大きいからまるで葡萄がなっているように見えた。 「なんだか美味しそうだな」 「お腹減ってますか?」 「そうだな……」 ソフトだけじゃ足りないだろう。あとでまた美味しいものを食べることにして、先に進んだ。今度は3メートルほどの壁が作られ、そこに藤が絡まって滝のようになっていた。その前には池が作られていて、リフレクションが美しい。白い藤の滝と紫の藤の滝があった。それを眺めながら少し歩くと、道に藤の枝が飛び出していて、藤の枝の中に潜り込めるようになっていた。今は周りに人気がない。无限大人と中に入ってみることにした。視野が薄暗くなり、むっとした香りに包まれる。 「香りがとても強いですね」 話しかけたけれど返事がなく、振り返ると目の前に顔があって、思わず目を閉じた。唇が下りてきて、少しの間重ね合された。 「花に微笑む君を見ていたら、触れたくなってしまって、機会を待っていた」 「もう……」 そんなことを言って微笑まれるので、胸がきゅんと疼いてしまう。无限大人の手が頬に触れて、もう一度唇を吸われた。藤の蜜を求める蜂のようなその動きに、身体の力が抜けそうになる。无限大人はとろりとしている私の顔を見つめた後、手を握りなおして、藤の中から外へ出た。明るい日の中に出て目が眩む。頭がぼーっとするのは強い花の香りのせいだけじゃない。忘れられない思い出になった。 ひととおり園内を周り終わったので、ご飯を食べて休憩をしてから帰ることになった。もうこの夢のひとときが終わってしまうのが名残惜しい。 「来年も来よう」 「はい! 今度は晴れるといいですね」 花に癒されたせいか、帰りはそれほど疲労を感じず電車に心地よく揺られた。胸いっぱいに花の香りを嗅いだせいか、しばらくは消えなさそうだ。ふと、隣に座っていた无限大人が私の髪に鼻を近づけた。 「花の匂いが移っているね」 「ほんとですか?」 自分でも髪を触ってみたけれどよくわからないので无限大人の首元に鼻を寄せてみた。心なしか甘い香りがした気がする。少し頭がくらくらした。この香りに抱きしめてほしいけれど、今はまだそれはかなわない。 「あとで、お願いしたいことがあります……」 「うん。聞くよ」 なので、約束をしておくことにした。ちょっと恥ずかしいけれど、私だって、无限大人に触れたいと思うことはある。いつも无限大人は優しく笑って、私を受け入れてくれる。大好きな人。彼の肩に頭を持たせかけて、まどろんでいるうちに、電車は私を帰り道まで運んでくれた。 ← | → |