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四月なのに夏みたいに暑い日だった。半袖に、念のため薄手の上着を持っていく。无限大人も半袖で涼し気だった。今日は公園に桜を見に行くのが目的だ。すでにソメイヨシノは散っているけれど、他の品種は残っている。 「この駅の近くに、以前にちょっとだけ住んでたんです」 久しぶりにこの駅を訪れて、少し懐かしい気分になる。でも、数年経ってしまうともうよそよそしい感じがした。駅を出て、バスに乗る。このバスも、以前はよく利用していた。窓の向こうを見覚えのある景色が流れていく。 「あのスーパー、よく利用してました」 私が思い出を語るのを、无限大人は静かに聞いてくれる。住宅街を抜けて、公園の傍の停車駅で下りる。手を繋いで、公園に入った。 咲いているのは椿だろうか、赤い花が目に入った。その奥に桜の木が数本咲いていた。そこに小鳥が飛んできて、花を啄む姿が愛らしかった。 「こっちに日本庭園がありますよ」 「入ろうか」 大きな公園なので、いろいろなものがある。バラ園もあるけれど、今はまだ開いていない。また薔薇の季節に来たいな。无限大人の手を引いて、庭園に入る。よく晴れていて気持ちいい天気だ。 「鯉が泳いでいるよ」 二人で池の傍に佇んで、ひんやりとした水面を眺める。赤や金の鯉がくるくると滑るように泳いでいるのが目にも鮮やかだ。 庭園を一周して、湖に出る。湖には白鳥のボートがたくさん浮いていた。 『ボートご利用の方にお知らせです。現在並んでいる方で本日は終了とさせていただきます』 ちょうど流れたアナウンスに、顔を見合わせる。 「あら、人気なんですね」 「また今度だな」 「ふふ」 无限大人、本当に乗りたかったのかな。でも、それも楽しいかも。 湖に掛かった橋を渡って、広場に向かう。桜の木がたくさん植えられているけれど、ほとんどが散っていた。 「もう少し早かったら、散るところが見れましたかね」 「そうだな。綺麗に落ちてしまっているね」 桜吹雪が見られなかったのは残念だけれど、奥の方へ行くと八重桜や山桜が満開だった。特に、大きい桜の木があり、周囲に囲いがあって、その周辺に座って人々がお花見を楽しんでいた。 「无限大人! あそこ、きれいですよ!」 手を解いて、桜の元へ走り出す。无限大人も笑って小走りでついてきた。 「わあっ……。圧巻……」 「見事だね」 追い付いた无限大人が私の隣に立ち、肩に腕を回した。私は无限大人の肩に頭を凭せかけて、桜を見上げる。息を飲む幻想的な光景だ。風に吹かれて、ときおりひらひらと花びらが散って行く。 あと何回、一緒に桜を見られるだろう。これからの時間は長いようで、あっという間に過ぎ去ってしまうような気もする。无限大人を残して、先に私の時間が終わるだろう。そのあと、无限大人は一人で桜を見るのだろうか。ついそんなことを考えてしまって、寂しくなった。 せっかく一緒にいるのに、暗い顔をしていてはいけない。考えても仕方ないことだ。 「写真撮りましょう!」 愛用のデジカメを構えて、无限大人にポーズを取ってもらう。桜の薄紅と青空と緑の芝生のコントラストがとても美しい。 「私も君を撮りたい」 気が済むまで撮らせてもらって、交代する。无限大人も、私にいろいろなポーズを取らせ、いろいろなアングルでシャッターを切った。 「きれいに撮れたよ」 「背景が綺麗ですからね」 「ほら、この表情。よく撮れてるだろう」 「わあ」 无限大人の腕がいいんだろう。写真の中の私は透き通った雰囲気を纏っている。 「无限大人もきれいに撮れてますよ」 私は画像を表示して、張り合う。その画像を見て、无限大人は勝ち誇った顔をした。 「私の方がよく撮れているな」 「む。負けません!」 なんの勝負かよくわからないけれど、小さなことで張り合うこのやりとりが楽しくてしょうがない。少し歩くと、人気のないところに咲いている桜と椿があった。木の幹に触れると、ごつごつとしていて生命を感じた。木の幹に背を預けて見上げると、頭上に広がる桜の花に包まれるようだった。 「きれーい……」 なんだかこのまま、別世界に引き込まれそうだ。傍には大好きな人がいてくれて、その手を握ると、ちゃんと身体がここにあることが実感できる。 「小香」 「はい」 名前を呼ばれたので返事をしたら、そのまま顔が近づいてきて、唇が触れた。 「……っ」 ぱっと頬に熱が集まり、脳内で火花が散る。慌てて周囲を確認して、人がいないのでほっと胸を撫でおろした。 「急に来るのは、反則です……」 「ふふ。触れたくなって、つい」 まるで反省していない笑顔で无限大人はまた顔を近づけてくる。今度は準備ができていたので、顎を上げて唇を受け止めた。外で触れ合うのはあまり経験がなくて、余計にどきどきしてしまう。誰かに見られていないか、恥ずかしいけれど、触れたいと思ってくれる気持ちが嬉しくて、私も触れたくなってしまう。 「大好きです……」 今私の頬は桜より赤くなっているかもしれない。无限大人の指が私の髪をなぞる。周囲の音が遠くなって、世界に二人きりになってしまったみたい。ふと雑踏が戻ってきて、私たちは桜の世界を後にすることにした。 公園を出て、今度は駅まで歩いて行く。 「あの高校、私の妹が通っていたんです。でも、文化祭とか行く機会がなかったな」 「学校か」 无限大人のときには学校なんてなかったから、制服なんかも着たことがないんだろうな。学ランもブレザーも似合いそう。でも、学校に通うとなると髪を短くしないといけないから、それはだめだ。无限大人の長い髪が大好きだから。私の髪は、切っていないのでだいぶ伸びてきた。このまま伸ばそうかどうしようか、少し迷っている。 「无限大人は、髪が長い方が好きですか?」 「うん?」 「髪、切ろうか悩んでいて」 「そうか」 无限大人は私の毛先に触れて、考える。 「そうだな……。私はどちらでも似合うと思うが。長い姿も見てみたい」 「へへ、じゃあ伸ばそうかな……」 髪を洗うのが楽なのがボブのいいところ。でも、ちゃんと手入れして大事に伸ばしてみるのもいいかもしれない。 駅の近くにあるショッピングモールに入って、クレープを食べた。まだ私の中でいちごブームが続いているので、いちごとバニラアイスのクレープにした。无限大人はアーモンドチョコバナナを選んでいた。近くの椅子に座って堪能する。 「んん、美味しい」 甘いものを食べると頬が緩んでしまう。 「一口」 无限大人が顔を近づけてくるので、クレープを差し出す。无限大人、なんでも一口食べたがる。以前は間接キスを意識してしまっていたけれど、だいぶ慣れた。 「あっ」 最後の一口を食べようとして、下に溜まっていたチョコソースを零してしまった。白い服にチョコがべたりとついてしまう。 「やっちゃった……」 「近くに手洗いがあったな」 「落としてきます……」 无限大人に待っていてもらい、お手洗いに向かう。ハンカチを水で濡らしてぽんぽんと叩くと、だいぶ落ちたけれど少し色が残ってしまった。でも、よく見なければ気付かない程度だろう。 「お待たせしました」 「落ちた?」 「だいたい」 无限大人が手を翳すと、湿っていたシャツがすっと乾いた。无限大人はたまにこっそり能力を使ってくれる。それが見られると嬉しくなってしまう。やっぱり、魔法みたいで不思議。水も金属も操れるなんて、さすがは最強の執行人。私といるときは、静かで穏やかなのに、とても強いなんて。そんな人だから、どこまでも好きになってしまう。 「ありがとうございます」 落ち込んでいた気持ちがシャツと一緒にさっぱりした。気を取り直して、ショッピングをし、夕飯を食べる。 「何か食べたいものはある?」 「パスタが食べたいです! パスタ!」 「はは、わかった。そうしよう」 私の希望を聞いてもらい、お店を探す。見付けたお店で、レモンとサーモンのパスタと、レモネードを頼んだ。今日は暑かったから、さっぱりしたものが欲しかったのでどんぴしゃだ。无限大人はカレーを頼んでいた。こちらも、暑い日にはぴったりだ。 「ふう、レモネードがしみる……」 「もう夏かな」 「まだ春でいてほしいんですけど……」 でも、この陽気が続くと思っていたら急に冷え込む気がするから、油断はできない。 「いまから暑かったら、夏はどうすればいいかわからなくなります」 「そうだな」 「无限大人はいつも涼しそうでいいな……」 「私だって、暑さは感じるよ」 无限大人は肩を揺らして笑った。この朗らかな笑顔が好き。 「涼みに川や海に行くのもいいんじゃないか」 「いいですね。小黒も一緒に」 「うん。釣りなんかもいいな」 「やってみたいです」 无限大人と小黒が一緒なら、きっと何をしても楽しいだろう。 お会計を済ませて店を出る。別れ際、无限大人が私の顔を覗き込んで来た。 「なんですか?」 さすがに、こんな場所でキスはできないけれど、距離が近い。无限大人は目を細めて私を見つめる。 「外に出るのもいいが、涼しい家の中で過ごすのもいいなと思ってね」 「……っ、そう、ですね……」 不意打ちに甘い声で言われて、真っ赤になってしまう。身体の芯に響く声。无限大人はすと離れて、手を軽く振った。 「また連絡するよ」 「はい……また」 最後にこんな爆弾を置いて行くなんてずるい。熱くなった頬を手で押さえながら、その背中をうらめしく見送る。せっかくレモネードで涼しくなったのに。 この熱は、次に会える時まで冷めそうにない。 ← | → |