桜2022

 今日は曇り気味だけれど、晴れ間も出るという予報だったから、それに期待することにして電車に乗った。気温は高いから気持ちいい。駅で无限大人と合流して、桜の咲く川沿いへ向かう。道を歩いていると、同じ方向へ向かう人がたくさんいた。途中で見かけた桜の木は満開だ。
「ちょっと晴れ間、でてきましたね」
「そうだな」
 雲の切れ間から青空が見える。このままの状態でもってくれたら。
 そう願いながら川に着くと、川沿いにずらりと植えられた桜の木から、桜が零れそうなほど咲き誇っていた。
「わあ……! 満開!」
 その光景に、自分の頬もほころんでしまう。薄紅色が緑の堤に覆いかぶさるように広がっている。
「橋から見てみよう」
 无限大人は私の手を引いて、橋の真ん中へ行く。橋の上にはたくさん人が集まっていた。真ん中から見ると、川の両側に咲いている桜が川の方へ枝を伸ばしていて、包み込まれるようだ。みんながこの光景を見たくなる気持ちもよくわかる。
「写真、撮ろう」
「はい!」
 桜を背景に、二人で肩を寄せて、写真を撮った。いい写真が撮れたな。橋を下りて、川沿いの道を歩く。桜の木が道の両側に植えられていて、花のトンネルができていた。
「わあ。きれい〜!」
 いい香りが漂ってきて、とても気持ちがいい。无限大人と繋いだ手を軽く振りながら、歩いて行く。犬の散歩をしている人や、家族連れ、いろんな人とすれ違っていく。
「風も柔らかいし、いい日ですね」
「うん。心地いいな」
 无限大人も目を細めて桜を見上げている。艶やかな髪に、薄紅色の花霞が映える。優しい風にふわふわと花びらが揺れて、无限大人の髪もさらさらと流れる。その光景が美しすぎて、目が離せなくなる。じっと見つめていたら、視線に気づいて、无限大人がこちらを見てくるので、見つめ合う形になってしまった。でも、今日は恥ずかしいという気持ちより、美しいものを見ていたいという気持ちの方が強かった。
「……写真を、撮ってもいいか」
「あ、はい。じゃあ……」
「君だけで撮りたい。そこに立ってくれるか」
「え? ここですか?」
 桜の前に立たされて、写真を撮られる。无限大人は何枚か撮って、満足そうに写真を確認していた。
「私も! 私も无限大人撮りたいです!」
「じゃあ、交代だな」
 无限大人は笑いながら桜の前に立ってくれる。全身のショットと、顔をアップで撮る。目に映る光景には及ばないけれど、これはこれで綺麗。これも思い出の一枚になる。
「无限大人、きれいです」
「はは。それは君の方だろう」
「私はいいんです!」
「よくない」
「だって、无限大人は深い髪の色と桜の淡い色のコントラストがすごく映えてとっても美しいんですよ」
 思わず力説すると、无限大人もむっとして言い返してきた。
「君は、薄紅色の頬と唇を桜の色が引き立たせていて、愛らしさがいつも以上に溢れていて困る」
「困るんですか!?」
 思わず繰り返してしまった。何が困るんだろう……。
「花を見に来たのに、つい君ばかり見てしまうからな」
「私は花と无限大人、両方見てますよ」
「む……」
 何か、負けたみたいな表情をする无限大人。なんの勝負だっけこれ。なんだか嬉しくなってきたので、繋いでいた手を解いて、腕に自分の腕を絡めてくっついた。
「えへへ」
 无限大人は微笑んで、くっついている私を連れて歩き出す。
「あ、出店が出てますよ」
 鮮やかな看板が花の中に表れて、お祭りのようなわくわく感が出てくる。
「本当だ。いろんな店があるな」
「反対側にいっぱいありそうですから、帰りに食べて帰りましょう」
 どうしてか、川のこちら側よりあちら側の方が店が多い。その分、人も集まっている。こちらの方が、ゆっくり歩けてそれはそれでいい。无限大人とこうして手を繋いで、桜の季節を一緒に過ごせるなんて夢みたいだ。遠くから眺めていたときには、こんなに近づける日が来るなんて思ってもみなかった。世の中には本当にたくさんの人がいるのに、无限大人が私を選んでくれたことが、やっぱり奇跡に思える。
「こんなにたくさんいる人の中で、思う人に、思われることって、この花びらの中からたった一枚を見つけ出すような、途方もないことに感じます」
 无限大人は、空中で何かを掴む仕草をした。その手には、花びらが一枚収められていた。
「私は、見付けたよ」
 そう言って微笑んでくれる。无限大人が私を見つけ出してくれた。それがとても嬉しい。
「大好きです。无限大人……」
「好きだよ。小香」
 无限大人は誤魔化すでもなく、笑うでもなく、素直に心を返してくれる。その一言と、その眼差しに、胸がきゅんと熱くなる。好きという気持ちが、どんどん溢れだしてしまう。
 絡めた腕に頭を押し付けて、想いを噛みしめる。
「今日は特に、気持ちが強くなっちゃうかも……」
「花に酔ったかな」
「ふふふ、どうでしょう」
 桜に包まれたこの雰囲気が余計にそういう気分にさせているのは確かにある。しばらく進むと、橋があったので渡って反対側に移動した。こちら側には出店が並んでいる。
「何か食べたいものありました?」
「君は?」
「私はいちご飴を食べたいです」
「私はからあげにしようかな」
 桜の香りに混じって、いろいろな食べ物の匂いが漂ってきた。たこ焼きにかりかりチーズ、お好み焼き、イカ焼き、フランクフルト。フルーツ飴屋さんを見つけ、いちご飴を買う。川に向かうように座って、買ったものを食べた。いちご飴は飴がぱりぱりで、中のいちごの酸味と飴の甘さのバランスがちょうどいい。
「砂糖、ついてる」
「ん」
 无限大人がふと手を伸ばしてきて、口元を拭ってくれた。ゴミを捨てて、また桜の中を歩く。風で花びらがひらひらと飛んでいく。
「きれいですね。また散るころに見に来たいな」
「桜吹雪か、それもいいな」
 舞い散る花びらの中に立つ无限大人も、それはそれは綺麗だろう。
 想像するだけで溜息が出てしまう。あ、また花だけじゃなくて无限大人を見つめてしまった。无限大人の方はちゃんと花を見上げている。そんな横顔を見るのも楽しい。ふと、无限大人がこちらを見て、微笑んだ。
「また見てる」
「いくら見ても飽きないんですもん」
「花が?」
「无限大人も!」
 そう言って笑い合う。もうすぐ桜並木も終わりだ。このままずっと歩き続けていたいのに、そういうわけにはいかない。
「はぁ、夢みたいでしたね」
「綺麗だったな、とても」
「いちご飴も美味しかったし、楽しかったです」
「うん。晴れ間もあったし、今日来れてよかったな」
「はい!」
 お腹が空いたので、駅の近くのカフェに寄ることにした。无限大人はステーキ、私はパスタを食べた。デザートのショートケーキタルトはとても美味しくて、満足して店を出る。まだ桜の余韻が残っていた。景色が淡くぼやけていて、非日常の空気に浸った心がまだ現実に帰ってこない。
「ぼんやりしていると危ないよ」
「あ、はーい」
 さすがにぽけっとしすぎていたみたい。无限大人に注意されてしまった。
「今は私がいるからいいけれどね」
 そう言って、きゅ、と繋いだ手に力を込めてくれる。少し无限大人に甘えていたかも。でも、今日くらいなら、許されるかな。
「私も少し酔ってしまったかな」
 私の頭を軽く撫でて、无限大人は私の顔を覗き込む。
「桜を映す君の瞳が甘すぎて」
「なんです、それ」
 おかしなことを言うので笑ってしまう。彼も笑った。
「君の眼差しが情熱的すぎた、ということだよ」
「えっ、そうでしたか……?」
 直接そう言われてしまうと恥ずかしくなる。そんなに見つめてしまっていたかな……。でも、しょうがない。だって片時も目を離したくなかったから。
「かわいいね」
「う……。すみません」
「謝ることはないよ。君の気持ちをずっと感じていた」
「それなら……よかったのかな……?」
 好き、という気持ちを隠さずに、まっすぐ无限大人を見つめることが許されていることが本当に嬉しい。それを受け止めてくれることが、これ以上ない喜びだ。そして、彼の方からも、同じくらい、もしかしたら、もっと大きな愛情を感じることができる。すごく幸せ。
「嬉しいよ」
「はい……大好きですから……」
「うん」
 彼の指先が名残を惜しみながら髪を梳き、離れていく。お別れの時間だ。最後のときまで、愛情を込めた視線を彼に向け続ける。彼も、同じ色を映した瞳で見つめ返してくれた。大好き。その言葉が何度も心の中で木霊する。声に出さなくても、伝わっていることが感じられる。とても満ち足りた一日になった。

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