水族館に行く話 |
予報通り、その日は曇りときどき雨だった。少しでも晴れないかなあと期待していたけれど、雨は降ったり止んだりを繰り返してはいても、晴れる様子はなかった。それでももう春だから、寒くはないのがよかった。 「无限大人!」 途中の駅で无限大人と合流して、手を広げて駆け寄ると、彼も手を広げて受け止めてくれた。今日までずっと会いたい気持ちを持て余していて、いざ彼を目にしたら、止まらなくなってしまった。人前で抱き着くなんて、と理性が働く暇もない。 「えへ」 久しぶりの彼の腕の中で、へにゃりと笑う。彼はじっと私の顔を見てくる。 「なんですか?」 「会うたびに綺麗になるね」 「えっ」 突然そういうことを言うのはよくないと思う。そういう无限大人はいつもかっこよくて素敵だ。存分に抱き着けたので、ようやく離れて、手を繋いで歩き出す。 駅につくと、海沿いのせいか風が強く吹き付けていて、傘を差すのは危なそうだった。 「このまま行きましょう」 水族館まではすぐのようだったので、雨も小ぶりだし、傘は差さずに小走りで向かうことにした。雨の日でも、日曜日で、さらにはリニューアル後開園してまだ間がないころだというのもあるのか、客の姿は多かった。家族連れの楽しそうな様子を見ながら、水族館へ続く道を進む。思っていたより長くて、少し髪が濡れてしまった。水族館について、エスカレーターで下りると、さっそく大きな水槽が出迎えてくれた。中にはアカシュモクザメやウシバナトビエイが泳いでいる。マイワシの群れが光をきらきらと反射してきれいだ。フラッシュを焚かないように気を付けながら、写真を撮った。大きな魚ばかり泳いでいて、迫力がすごい。 「あ、特に大きいやつがいますよ」 「大きいな」 そのサメは常に白い腹をこちらに向けて泳いでいたので、顔がよく見えなかった。 順路に従って進んでいくと、次は世界の海にいる魚を集めたコーナーだった。カラフルだったり、形が特徴的だったり、いろいろな魚がいて目を楽しませてくれる。 「これかわいいですね」 「ネズミフグというらしい」 「フグでも棘があるんですね」 大きな丸い目に、ふっくらとした体で悠々と泳いでいる。その横を、小さな魚がすり抜けていった。 「あれ、きれい」 「ハワイアンクリーナーラスだな。他の魚の体を掃除するらしい」 説明を読まず水槽ばかり見ている私に、无限大人が該当箇所を読み上げてくれる。ハワイアンクリーナーラスは、前が黄色、後ろが青で、体の真ん中に黒い縞が入った鮮やかな魚だった。小さくて動きが速いので、写真を撮るのが難しい。 「ぼけちゃうなあ」 「バタフライフィッシュやエンゼルフィッシュもきれいだよ」 同じ種類でも、名前が違い、柄が違う。水槽の青い壁がより魚たちの色を引き立てていた。 「またフグがいる」 「サザングローブフィッシュだそうだ」 「こっちの方が小さいですね」 やっぱり目が大きくて、体がもっちりとしている。触れれば棘が立って痛いんだろうけど、とても柔らかそうに見えた。フグってこんなにかわいいんだ。正面から見ると、唇が分厚くて、なんだか笑っているようにも見える。 「タツノオトシゴだ」 「ウィーディーシードラゴンという名前らしい」 「シードラゴンってかっこいいなあ」 木の葉に擬態したような、ひらひらとしたひれがついていて、細い体でゆらゆらと漂っている。 「あ! ヒラメが泳いでますよ! 平べったいなあ」 「プレイスという名前のカレイだよ」 「カレイかあ。どうやって見分けるんでしたっけ」 「ヒラメは刺身、カレイは煮つけが美味いな」 「あはは」 地面の上で休んでいる魚がいると思ったら、ひれの付け根から生えた虫の足のような器官を動かし歩き始めた。そして大きなひれを広げて泳ぎだす。そのひれがまた綺麗な色をしていた。 「面白い魚ですね」 「フライングガーナードというそうだ。確かに飛んでいるようだな」 ルックダウンという魚は、顔がすぱっと切られてしまったような形をしていて、ユニークだった。 一際大きな水槽には、19種類もの色とりどりの魚が泳いでいて目を奪われた。 その次は深海ゾーンだ。とても暗いので、デジカメでは何も映らなかった。試しにスマートフォンで撮ってみたら、意外と綺麗に撮れてしまった。 「うーん、最近のスマートフォン、さすが……」 考えてみれば、このデジカメも買ってから結構経っている。それにしても、複雑な気持ちになった。 深海コーナーを抜けると、いよいよ目玉の巨大水槽に到着した。 「わあ」 ドーナツ型の水槽に三百六十度囲まれて圧倒される。中で泳いでいるマグロもかなり大きい。ぎらぎらとした体をきらめかせながら、水槽を横切っていく。 「大きいですねえ」 「身が詰まっているな」 「もう、また食べる話してる」 无限大人はお肉が好きだと思っていたけれど、魚も好きらしい階段にベンチが設置されているので、そこで一休みがてら水槽をゆっくり眺めることにした。 「魚って、いくらでも眺めていられます。きれいで、きらきらしてて、気持ちよさそうで」 「海の暮らしも、悪くなさそうだな」 「楽しそうですよね」 特に、この水族館の魚たちはみんな活き活きとしている気がする。 活発に泳いでいる様子を眺めていると、自分も水の中に入ってしまったような気がした。こんなふうにふわふわとした浮遊感に包まれる瞬間があるから、水族館が好きなのかもしれない。 巨大水槽を出ると、順路は外へ続いていた。浅瀬が再現されていて、人工の波が作られていた。 「フグがいるみたいですけど、見えませんね」 「隠れているのかな」 目をこらしてみたけれど、あまり魚の姿が見えなかった。浅瀬を抜けると、ペンギンコーナーに来た。たくさんのペンギンたちが、水面に浮かんで思い思いに毛づくろいをしたり泳いだりしている。 「毛づくろいしたあとしっぽを振るの、かわいい」 短い尻尾がふるふると振られる動作が面白くて、動画に残しておくことにした。 「下で水面の様子が見えるよ」 无限大人がそういって階段を下りていくのでついていく。その位置からだと、水槽を横から見られるようになっていた。 「お腹まんまるだなあ」 あれだけ丸ければ浮きのようにふわふわ水の上に浮かべるのも頷ける。けれど、ひとたび潜ると矢のようにすいっと水の中を泳いでいく。岩の上にいる様子を見ると、短い足でぺたぺたと歩き、よっこいしょとジャンプをするので、別の生き物みたいだ。これはこれで、ずっと見ていたくなる。 次のコーナーは東京の海がテーマだった。 「フグがいるよ」 无限大人が真っ先に見つけて、水槽を指さした。私がフグばかり撮ってたからだろう。 「なんて名前なんですかね」 「ヒトヅラハリセンボン、かな」 「なんだかすごい名前ですね」 こっちはハリセンボンなんだ。針がついていてもフグという名前だったり、名づけのルールはよくわからない。 「あ、クラゲ!」 壁際にクラゲの展示があったので駆け寄る。四種類のクラゲがいた。ふわふわと伸び縮みしながら浮かんでいるのや、細長い触手を揺蕩わせながら上下しているの、様々だ。最後は、海鳥のコーナーだった。水槽の奥にある岩の上で休んでいるのが大半の中、一羽が水に浮かんだまま激しく水浴びをしていた。羽をばたつかせ、水に首をくぐらせて、何度も何度も繰り返している。よほど綺麗好きなんだろうか。 外に出ると、ちょうど雨が止んでいるタイミングだった。 「楽しかったなあ。もう終わりか……」 「もう一周する?」 名残惜しく入口の方を見る私に、冗談でもなさそうな口調でそう言う。无限大人も楽しかったのかな。私は首を振って、出口の方へ歩き出す。 駅までの道の途中で、桜が咲いていた。まだ咲き始めといったところだ。 「来週には、だいぶ咲いてそうですね」 「そうだね」 電車に乗って、駅について、別れ際、无限大人は両手を広げた。ぽかんとする私に、ちょっと小首を傾げる。 「いらない?」 「い、いえ!」 今朝合流したときのことを思い出し、慌てて抱き着く。また、しばらく会えないのだから、今のうちだ。ぎゅ、とくっついて、頬を胸に押し付けて、身体中で彼を吸収した。 「大好きです……」 彼は背中をぽんぽんと叩いてくれる。そっと離れて、でも離れがたくて、見つめ合う。 「それじゃ」 「また……」 後ろ髪を引かれながらお別れをした。空はまだ曇っている。でも、寒くはない。来週は、晴れるといいな。 ← | → |