ソファでくつろぐ話

 リビングに行って彼女の姿を探すと、ソファから頭が見えた。今日は髪を下ろしている。テレビはついていないから、スマートフォンを触っているんだろう。静かに傍に行って、隣に座る。彼女はやはりスマートフォンを見ていたが、私が隣に来ると顔を上げて、へにゃりと笑った。
「書類、書き終わったんですか?」
「うん」
 手を伸ばすと、彼女はスマートフォンから左手を離し、応えてくれる。その手を掴み、指に指を絡めて、ふと違和感に気付いた。
「あ」
 薬指に触れる私の指の感触に、彼女もそれにすぐ気付いたようだ。私からぱ、と手を離し、スマートフォンをソファに投げ出し立ち上がった。
「洗い物したときに外したままだった!」
 ぱたぱた、とキッチンに向かう彼女を見送る。慌てていたから、スマートフォンをロックし忘れている。ホーム画面が表示されているようだが、私と小黒と彼女の三人で撮った写真が使われていた。つい、笑みがこぼれる。自分のスマートフォンも、場所は違うけれど三人で撮ったものを壁紙にしている。すぐにぱたぱたと小走りする足音が戻ってきた。
「ちゃんとありました!」
 彼女はそう言って、左手の薬指を見せてくれる。私が贈った翡翠の石が、そこにちゃんと嵌っていることを確認して、満たされた気持ちになる。スマートフォンを脇に避けて、ぽすんと私の隣に座り、身を寄せてくる彼女に腕を伸ばし、肩を抱き寄せた。こつん、と額がぶつかる。これは彼女が私の気持ちを受け入れ、応えてくれた証だ。指輪を、夫婦の絆として扱う習慣については知識として持っていたが、まさか自分がそれに踏襲することがあるとは思わなかった。
 長い間生きてきて、もう家族を持つことはないだろうと思っていた。諦めというわけではないが、積極的に求めてもいなかった。小黒が、私を求めてくれ、共に過ごすことの暖かさを思い出させてくれた。だから、ごく自然と彼女ともそうして過ごせたらいいという願いが生まれたのだと思う。しかし、私では彼女に常人の齎す幸せを与えられないこともまた事実だ。彼女はそれを承知の上で、私に応えてくれた。だからこそ、できる限りのことをしてやりたいと思う。
「お茶淹れましょうか?」
「いや、後にしよう」
 また立ち上がろうとする彼女の腰を捕まえて、引き寄せる。ソファの上でぴったりと密着して、彼女の指に改めて指を絡める。指輪同士が触れて鈍い音を立てた。こうして触れ合いたいと思う気持ちもまた、彼女が呼び起こしてくれたもの。一度触れてしまうと、もっと触れていたいという欲求が強くなり、離したくなくなってしまう。肩にかかる髪に唇で触れ、うなじを鼻先で探ると、彼女はくすぐったがるように身体を震わせた。首筋にあるほくろがかわいらしくて、いつも口付けをしたくなる。顔を見合わせると、恥ずかしがるように、だが期待を隠せずに瞳を煌めかせて、私を見上げている。さくらんぼのような唇が僅かに開き、私を待っている。彼女が先に目を閉じる。口付けをしているとき、彼女はどんな表情をしているのだろう。目を閉じるのを惜しく感じながら、顔を近づけていく。
 ピンポン、と呼び鈴が鳴って、ぱっと彼女が目を開いた。
「あ、小黒帰ってくる時間!」
 そう叫ぶとぱっと離れて、玄関に向かってしまった。掴むもののなくなってしまった手を虚しく握る。あの子は私たちの関係を理解してくれているが、こういうところを見せるのは目の毒だ。だから、貴重な時間だったのに。書類に時間をかけすぎてしまった。
 玄関から、小黒の元気な声と、それに答えながらまずは手を洗ってと洗面所に向かわせる小香の声が聞こえてきて、微笑ましい。
「師父、ただいま!」
「おかえり、小黒」
 小黒がいて、小香がいて、二人と暮らす家がある。そんな幸福に恵まれたことを、嬉しく思う。二人のお陰だ。そして、新たな家族を迎えたいと思うが、それは恐らく、そう遠くない未来だろうという予感がする。

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