膝枕

「おひざ、貸してください」
 本を読んでいた无限大人の傍に正座をして、お願いをする。彼は本から顔を上げて、朗らかに笑って、膝をぽんと叩いた。
「どうぞ」
「えへへ」
 本を持っている手を少しずらしてくれるので、私は喜んでそこに頭を置く。
「眠いの?」
「少し。でも寝たいわけじゃないです」
「甘えたいのか」
「はい」
「いいよ。甘やかそう」
 よしよし、と言うように頭を撫でてくれる。心がふわふわとして、蕩けてしまう。大きくて、がっしりとした太腿に頬を押し付ける。服一枚を隔てて、筋肉の動きを感じる。安定していて、頼もしい脚。
 彼は私の頭をゆるりと撫でながら、本の続きを読む。時折、ページをめくる乾いた音がする以外は、静かだ。本当に静か。このまま寝てしまえたら、とても気持ちよさそうだ。どれくらいそうしていただろうか、彼の手が頭から離れたと思うと、本を閉じて床に置く気配がして、彼は私の肩をぽんぽんと叩いた。そろそろ終わりか、としぶしぶ頭を上げると、彼は私の隣にごろんと寝転んで腕を伸ばした。
「今度はこっちに」
「はーい」
 言われるまま、腕の上に頭を置く。すると彼は腕を曲げて、私をすっぽりと抱きしめた。彼の腕の中に閉じ込められて、服が肌に触れている部分がくすぐったくて、身じろぎする。するとますます抱きしめる腕に力がこもった。私も彼の背に手を回して、ぎゅっと抱き着く。
「なんの本を読んでいたんですか?」
「推理小説」
「面白いですか?」
「うん」
「最近本読んでないな……」
 今度、何かよさそうな本を見繕って、无限大人と一緒に読もうかな。
「こうして何もしない時間があってもいいよ」
「そうですね」
「ただ君だけを感じられる」
「……はい」
 彼は腕を緩めると、少し間を開けるように身体をずらして、私の頬を撫でた。
「顔を見せて」
 言われるまま、顎を上向かせる。彼の手が、私の顎に添えられる。至近距離すぎて、うまく焦点が合わない。
「近すぎませんか」
「そうだね」
 もっと近づいたら触れてしまうね、と彼は笑う。触れたい、と思った。彼も同じ思いで、顎をくい、と上げられ、彼が目を閉じるのを見て私も閉じて触れる瞬間を待った。ちゅ、と一回柔らかく触れた唇がそっと離れていく。それだけで、頬が赤く染まってしまう。
「かわいいね」
「うう……どうしても慣れません……」
「そのままでいいよ」
「うーん……いつまでも心臓がどきどきして大変なんですから……」
「ははは。それは嬉しいな」
「笑い事じゃないです」
「かわいくてつい」
「无限大人はずるいです。いつも余裕なんだから」
「私だって、君を想うときいつも胸が高鳴っているよ」
「ほんとかなあ」
「確かめてみる?」
 彼は私の手を取って、左胸に押し当てる。とくとく、と微かに鼓動の音が感じられた。
「……平常心じゃないですか」
「ははは。まあ、今はくつろいでいるからね」
 むくれる私の頬を、彼は面白そうに撫でる。
「すごくリラックスしている」
「……それなら、いいです」
 私の隣で安らげるなら、それ以上のことはない。私も、彼の傍にいるととても落ち着ける。乱されることも、多いけれど。
 彼は私の顔をじっと見つめる。私はそれを見つめ返す。
 優しい微笑みを浮かべて、すべてを包み込むように、受け入れてくれる。心から愛しいと、その視線に込められた愛情に、吸い込まれる。
「どうしてそんな風に、見つめてくれるんですか?」
「少し目を離すと、君はすぐに変わってしまうから。この一瞬が愛しいんだ」
「小黒ほどは成長しないですよ」
「私からすれば大きな変化があるよ。日々美しくなるようだ。だから、見逃したくない」
「……口説かれてる?」
「うん。口説いてる」
「照れます……」
「かわいいね」
 額に口付けられて、ひゃあ、となって肩を縮める。くすくす笑ったら、彼もつられて笑った。
「无限大人の方が、美しいです」
「口説いている?」
「そのつもりですけど、難しいですね……」
「はは。悪い気はしないが、もっと違う言葉がいいかな」
「えーと。かっこいいとか?」
「そうだな」
「无限大人は、とても素敵で、誰よりもかっこよくて、そんなに見つめられると、私どうにかなっちゃいそうです……」
「どうなってしまうんだろうな」
 无限大人は面白そうに言って、さらにじーっと見つめてくる。私は手で顔を覆い隠していやいやと首を振った。
「あんまり見ないでください」
「隠すことはないだろう」
「恥ずかしいです」
「そういうところもかわいいよ」
「もう、かわいいって言えばいいと思ってませんか……」
「そんなことはないが……。思ったままを言ってるまでなのに」
 彼は心外だ、と眉を寄せる。だって、いつもそんなに言わないのに。
「今日は甘やかすと言っただろう?」
「う……そうですけど」
「素直に甘やかされなさい」
「はい……」
 確かに私からお願いしたのだから、恥ずかしがってばかりではいられない。でも、私ばっかり照れてるのは悔しい。どうにかして、彼をときめかせたい。どうすればいいか全然わからないけれど。
 彼の腰に腕を回す。がっしりとしていて、逞しい。彼の揺るぎない姿勢を支える柱。
「どうにかなっちゃってもいいくらい、好きです」
 上目に彼を見上げながらそう言うと、彼は悩まし気な表情になった。
「……それは、口説くというより、煽る、だな」
「えっ?! そ、そういうつもりはないです……!!」
 今はただごろごろしていたいので、そういう展開は想定していなかった。彼はおかしそうに相好を崩す。
「その台詞はまた今度、そういうときにお願いしよう」
「もう言いません……!」
「どうして」
「もう……いじわる」
「いじわるはしてないよ」
「おもしろがってるじゃないですか」
「それは、そうだな」
 そう言って、二人で笑い合った。夕飯時まで、そうやって他愛もない話をしながら、寝転がったまま、穏やかな時間を過ごした。
 好きの気持ちが溢れて、暖かな湖に舟を浮かべて漂っているみたい。ゆらゆら、心地よく揺られて、言葉が尽きたら見つめ合って。
 暖かだった西日は、もうすぐ沈む。月が昇ったら、今度はもっと別の場所で、指を絡め合おう。

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