第三十三話 合



 紅泉と外を眺めながらお茶をしていると、慌ただしく駆け回る足音が響いた。
「あ、ナマエさん! 紅泉も! 早く来て!」
「どうしたの? 若水」
「無限様と瑞英が手合わせするの!」
 足は止めずそう言い残して、若水は広場の方へ消えた。紅泉とナマエは顔を見合わせる。
「瑞英さんって?」
「執行人だよ。帰ってきてたんだ。私たちも行こ!」
 紅泉は茶器もそのままに立ち上がる。ナマエはその後を追いかけた。
 広場にはすでに多数の妖精たちが集まっていた。群衆が取り囲む中央の空間には、二人が対峙していた。一人は無限だ。もう一人は、女性の妖精。ナマエは初めて見る。背が高く、手足が長くしなやかで、目を引く容姿をしている。その表情は強気で、無限を前にまったく気後れしていない。
 身長ほどもある木棍を構え、無限をひたと見据えている。無限も腕に巻いていた金属を棒に変え、後ろに構えた。
「無限様に真向から挑むなんて、瑞英ぐらいなものね」
 紅泉は無限の方を見つめながら、軽い調子で言う。
 ナマエは向かい合う二人に視線を戻す。
 先に動いたのは瑞英だ。
 裸足で軽やかに地面を蹴り、まっすぐに無限に木棍を伸ばす。速い。無限はその場から動かず、金属棒を突き出し瑞英の木根を先端で受け止めると、切っ先を受け流し外へと弾く。瑞英は無限の後ろへ回り込むように飛び、木棍を下から振り上げる。無限は半歩左足を前へ出し、身体を少し捻ってそれを交わし、接近してきた瑞英の手元を金属棒で狙う。瑞英は左手首を叩かれたがなんとか堪え、木棍を握りなおし、横へと凪払う。無限は手首を返してそれを受け止め、滑るように上へと押し跳ね上げた。
 瞬きをする暇もないほど激しい攻防。ナマエは息をするのも忘れて見入っていた。瑞英の動きは洗練されていて、無駄がない。ひとつの行動が防がれても、すでに次の行動に移っている。無限は最小限の動きでそれをいなす。ナマエからすれば、攻めようのない鉄壁の防御だ。それでも、瑞英は鋭い瞳で防御の隙を突くことを諦めない。
 木棍ごと吹き飛ばされ、瑞英は体勢を崩す。砂利に爪を立て、人垣にぶつかるすれすれのところで止まると、体勢を低くしたまま前方に飛び出す。無限の足元を狙った払いは軽い跳躍で交わされたが、木根を振り回した勢いで一回転し、無限のこめかみに叩きつけた。ナマエは思わず声を上げそうになる。しかしこれも身体をわずかに後ろに下げただけで交わされ、木根を金属棒で地面に縫いつけられてしまった。引いても押しても動かない。
 瑞英は木棍を握り締めたまま無限を睨みつける。無限は額に汗ひとつ掻いていない。
 ぴり、と空気が張り詰めた。
 ナマエは息をつめて行方を見守る。
「……はぁ。やめだ」
 瑞英はふいに構えを崩すと、木根を持つ手から力を抜いた。無限はそれを見て取って、金属棒の形を変えると腕に巻きなおした。
「腕を上げたな」
「嫌味か。相変わらず憎たらしい顔だ」
 涼しいままの無限の表情に、瑞英は口角を上げて皮肉って見せる。
「次は勝つ」
 そう言い放つと、瑞英は広場を去っていった。
 ナマエはその後ろ姿を見送る。無限には敵わなかったが、腕の立つ人だと感じられた。攻め手が豊富で瞬時の判断に優れている。冷静だが豪胆で、引くより攻めるのを選ぶ性格のようだった。紅泉の口ぶりからすると、無限に手合わせを申し込む妖精は滅多にいない様子だった。その中で真向から無限に挑む女妖精は、自信に漲っていて、好感を抱いた。
 ふと、視線を感じて顔を正面に戻すと、無限がこちらを見ていた。
「ナマエ」
 その表情は手合わせのときよりも柔らかくなっている。ナマエも微笑み返した。そしてほっと息を吐く。先ほどまで、二人の気迫に飲み込まれて身体が固くなっていたようだ。
「無限様! すごかったです!」
 ナマエの横にいる若水と紅泉が、二人とも頬を上気させて興奮気味に無限を称賛した。周囲の妖精たちもさすが無限様だ、圧倒的だ、と褒め称える。雪梅も胸に手を当て、少し脈拍が速くなっているのを感じた。
「お疲れ様です、無限様」
「うん」
 人垣は次第に崩れ、広場に残るのはナマエたちだけになっていた。紅泉は手をぱんと合わせて、ナマエに目配せすると、無限と若水に言った。
「今、ちょうどお茶をしていたところなんです! 無限様もいかがですか? 若水も」
「わあ! 行く!」
「では、ご相伴にあずかろう」
 ナマエと紅泉は二人を連れて、元居た卓子に戻った。紅泉はお湯を沸かしに行き、ナマエはお菓子を若水と一緒に取りに行った。戻ってみると、紅泉が先に戻っていて、お茶を淹れているところだった。
「お待たせいたしました」
「いや」
「無限様、はいどうぞ!」
 若水は無限の前に持ってきたお菓子を置いて、その隣に椅子を引っ張り、座る。ふさふさの尻尾が背もたれの隙間からはみ出した。
 無限の反対側に紅泉が座ったので、ナマエは無限の正面に座ることになった。
「無限様の手合わせ、久しぶりに見ました」
「めったにしないですもんね。かっこよかったー!」
 紅泉と若水はさっそく先ほどの仕合について話し始める。無限はお菓子を頬張りながら聞いていた。
「仕合とはいえ、迫力がすごかったですわ」
 ナマエは手を合わせて、ほうと息を吐く。
「たくさんの方がお二人のお手合わせに息をつめて見入っておりました」
「うん」
 無限は興奮冷めやらぬ様子で喋るナマエに、頬を弛め、お茶を一口すすった。若水は腕を組み、首を傾げる。
「でも瑞英も諦めないですよねえ」
「そうそう、何回も挑んでるのに」
「そうなんですの?」
 ナマエが訊ねると、紅泉がそうなのよ、と教えてくれた。
「あの人、無限様に対抗心があるみたい。事あるごとに突っかかるのよね」
「そうそう。確かに瑞英も強いけど」
 無限様には敵いませんよね! と若水は無限にすり寄った。ぐいと押されて、無限は反対側によろめく。
「他の妖精たちも、無限様に文句があるならそれくらいすればいいのに」
 紅泉は唇を尖らせる。
「そんな度胸のある妖精はいないわよ」
 若水はけらけらと笑ってみせた。
 無限はお茶を飲み干し、では、と立ち上がった。
「邪魔をした」
「またお話しましょうね、無限様!」
「ああ」
 無限は若水の頭を撫でてやり、紅泉に会釈をして、ナマエに
「では、あとで」
 と言って去っていった。ナマエはその背中に頭を下げ、見送る。
「はあ〜緊張した」
 その姿が見えなくなってから、紅泉は胸を押さえて深々と息を吐いた。それを見て若水がころころと笑い声を立てる。
「全然そう見えなかったわよ! ちゃんと話せてたじゃない」
 紅泉は頬に手を当て、うふふと笑う。
「まあねえ。だいぶ慣れたとは思う……でもやっぱり若水みたいに親しくはできないわ」
「そう?」
 若水も紅泉も楽しそうだ。無限はほとんど言葉を返していなかったが、話を聞いてもらえるだけで充分という様子である。
「二人とも、無限様のことが好きね」
 暖かい思いに満たされながらナマエがそう言うと、紅泉と若水は目を丸くしてナマエを見た。そして、二人は両手をぶんぶんと振る。
「あ、違うの。私が好きっていうのはそういうのじゃないから。気にしないでね」
「ナマエさんが特別親しいって知ってますから。勘違いしないでくださいね!」
「え?」
 思ってもいなかった反応をされて、ナマエは目をぱちぱちとさせる。
「知ってるわよ。毎日ご飯作りにいってるんでしょう?」
「そうそう、もう家族みたいなものでしょう」
「家族? 確かに……」
 言われてみればそうなのかもしれない。
 ナマエは頬に手を当てて考え込んだ。
 小黒はもちろん大事な弟であり、家族だ。
 しかし、無限についてはどうだろう。
 家族、という風には見ていなかった。
 無限は、無限だ。小黒の師匠で、ナマエの恩人。
 もう、身内と言ってもいいのかもしれない。
 だが、なぜだか他の兄弟たちと同じように弟、として見るのはへんな気がした。弟、でなければなんだろう。友人? それも違うような。
「そうかもしれません」
 そう答えながらも、ナマエの中には釈然としない謎が残った。

「ナマエさん」
 ナマエの部屋を訊ねたのは、冠萱だった。ナマエは仕事かといそいそと戸を開ける。冠萱は真面目な表情で話し始めた。
「実は、執行人の一人が怪我をしまして。その治療をお願いしたいのです」
「はい」
 すぐに医務室に向かおうとするナマエに、それが、と冠萱は続ける。
「すぐには動かせない容体なので、申し訳ないのですがナマエさんには直接現場に向かっていただければと」
「わかりました。どちらでしょう」
「転送門で近くまではいけます。そこからの案内は瑞英という執行人がいたします」
「瑞英さん……」
 無限との手合わせを見たのはつい最近のことだった。まさかこんな形で関わり合いになるとは思わなかった。ナマエは冠萱について転送門まで移動し、その先で待つ瑞英と引き合わせられた。
 瑞英の凛々しい瞳がナマエを見つめた。
「瑞英、彼女がナマエさんです。回復の術が使えます」
 館内では、治癒系とは言わず、逸風と同じ回復と説明している。瑞英は頷いて、ナマエに向き直った。
「私は瑞英。よろしく」
「ナマエと申します」
 瑞英は軽く頭を下げると、すぐに移動しようと向きを変えた。
「あんた、空は飛べる?」
「はい」
「じゃ、急ごう」
 冠萱と別れ、ナマエは瑞英について飛び上がった。基本的には、飛行は禁止されている。どこで誰が見ているかわからないからだ。しかし、今回はそれだけ一刻を争う事態だということらしい。眼下に広がるのは森ばかりで、ここなら人目につくことはないだろう。瑞英はナマエがついて来れる速度を調節しながらも、できるだけ速く飛んだ。昔、こうして空を飛んで怪我人の元へ向かうとき、先導してくれるのはいつも小鳥だった。ナマエは少し懐かしい気持ちになった。
 一時間ほど飛んだあと、瑞英は速度を落とし、木々の間に降りていく。木立の間に、一件の家が見えて来た。
「ここだよ」
 瑞英はナマエに伝えながら、戸に手を掛ける。
「お待たせ。回復連れて来たよ」
 出迎えたのは眼鏡を掛けた妖精だった。彼はこの家の持ち主らしい。ナマエは挨拶もそこそこに中へ通された。
「応急措置はしたんですが。傷が深くて……」
「すぐに手当いたします。外で待っていてくださいますか?」
「わかりました」
 眼鏡の妖精は頷いて外に出ようとしたが、瑞英は従わなかった。
「傍についていてもいいか」
「……ええ」
 ナマエは無理には出てもらわず、瑞英に枕元にいることを許可した。回復と偽っても、治療の様子を見られれば不審がられるかもしれない。しかし、そうも言っていられない。ナマエはすぐに包帯を解き、怪我の具合を確かめる。背中側に、肩から背骨寸前まで裂けてしまっている。これでは自己治癒しようとすればかなり霊質を要するだろう。動けるようになるまで数か月かかる。ナマエが治療すれば、その期間を一か月まで縮められる。
「うう、痛い……」
「頑張れよ。今治してくれるから」
 涙を零す妖精に、瑞英は喝を入れ、慰める。
「それでは、始めます」
 ナマエは傷口に手を翳し、霊質を送り始めた。
 霊域に貯めこんでいた霊質を注ぎ込み、少しずつ傷口を埋めていく。眉間に皺をよせ、唇を噛みしめていた妖精の表情が少しずつ和らいでいく。青白い光を発するナマエの手を、瑞英は食い入るように見つめていた。
 ある程度傷口を塞いで、ナマエは手を離し、ふうと息を吐いた。
「……どうでしょう」
「ああ、だいぶ楽になりました! ありがとうございます……」
 妖精は瑞英に支えられながら身体を起こすと、ナマエに頭を下げた。
「一月は安静になさってください。傷口が塞がったら、動いて大丈夫ですわ」
「わかりました。本当にありがとうございます」
 眼鏡の妖精を呼び戻すと、妖精はその間はうちで休んでもらいますと答えた。
「館にも執行人にも、世話になっていますからね」
「助かるよ」
 瑞英は怪我人を彼に託し、館に戻ることになった。
「あんた、すごいね」
 家を出て、坂道を降りながら、振り返らずに瑞英は声を掛けてきた。
「見事だよ。あれだけの傷を埋めるなんて」
「これが、私の仕事ですから」
 瑞英はふと足を止める。
 そしてナマエを見上げた。
「逸風の力とは違った。それ、治癒系か?」
 ナマエも思わず足を止める。やはり、見る人が見ればわかるものなのだろう。ナマエは頷いた。
「はい。ただ、このことはご内密に」
 それが館長と決めたことだった。無用な諍いに繋がる可能性がある。だが、瑞英なら大丈夫だろう、と信用して打ち明けることに決めた。見られたからには、隠しようもない。
「……わかった」
 瑞英は頷くと、歩き始めた。
 しばらくは黙って歩いていたが、また瑞英が口を開いた。
「あんただろ、この前の事件に関わってたって」
 この前の、といえば龍遊の事件に他ならない。ナマエははい、と肯定した。
「驚いたよ。妖精にも、まだそんな骨のあるやつがいるとはね。ひるがえって私は何してんだろって思った」
 さくさくと草を踏みながら、瑞英は話し続ける。
「私を拾ってくれた人は、人食いだった。たくさんの人間を食っていた。それで館の目について、捕まっちまった」
 ナマエははっとして瑞英の背中を見つめる。妖精の中には、人間を食べるものがいる。そうすることでたくさんの霊質を取り込んで、修行を短縮し、強くなれる。
「捕まえたのは無限だ。無限は、最強の人間。だから」
 瑞英は足を止め、ナマエを振り返る。

「私は無限を殺す」

 ナマエは息を飲んだ。

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