第二十二話 菓



「ナマエ、今度無限様はいつくるの!?」
 館の廊下を歩いていると、突然紅泉を筆頭にした女性妖精たちに囲まれて、ナマエは面食らった。
「明日?」
「ずっと先かな」
「この前来たばかりだもんね」
「どうなの?」
 妖精たちは口々に何かを訴えかけてくるが、いっぺんに言われるので聞き取れない。紅泉が落ち着いて、と大きく手を振って、ようやく女性たちは口をつぐみ、期待に満ちた目でナマエを見た。ナマエは助けを求めるように紅泉を見る。紅泉はナマエを安心させるように笑ってみせたが、何か企みがあるように見える笑顔だ。
「ほら、最近無限様よくこの館に来るようになったでしょ?」
 紅泉は女性たちを代表して話し始めた。
「いままではこんなに頻繁にうちの館に来てくれることってなかったのよ」
「そうなのですか?」
 ナマエが小首を傾げると、女性たちはうんうんと何度も頷いた。
「それで、ナマエはよく無限様と話してるみたいだから、知らないかなって」
「ええと……私も詳しくは聞いていないけれど……」
 確か、今度の任務は一週間ほどで帰れると言っていたと思う。
 それを聞くと、女性たちは頬を上気させてざわめいた。
「一週間後なら間に合うわね」
「楽しみね!」
「何かなさるの?」
 どうやら何か考えていることがあるらしい。ナマエの疑問に紅泉が答えた。
「無限様をお茶会に誘おうと思うの。どう思う?」
「お茶会に? まあ、それはいい考えだと思うわ」
 ナマエは両手を合わせて笑みを浮かべた。ようやく女性たちが何を求めてナマエに声をかけたのかもわかって少しほっとした。
「でしょう!?」
「無限様、どんなお茶がお好きかしら」
「食べ物は何を用意しようか」
 すると、女性たちがまたわっと話し出す。それでこんなに楽しそうにしていたのか、と合点がいき、ナマエは暖かい気持ちになる。
 無限は館の人に疎まれていると言っていたが、やはりそれは一部のことなのだろう。無限を慕う妖精たちと直に触れ合えてそれを確信できたことが嬉しかった。無限は人間の身ながら、妖精のために身を粉にして働いてくれている。そんな無限を労うために、お茶会というのはとてもいい考えかもしれない。
「無限様も小黒も、食べるのが好きだから、たくさん食べ物を用意するといいと思うわ」
「どんなお菓子が好きなのかな」
「そうね……なんでもお好きそうだけれど」
 直接聞いたことはないので改めて問われてもナマエは答えを持たなかった。ふと、筏の旅の終着点で寄ったお店での二人の食べっぷりを思い出す。
「お肉はお好きかもしれないわ」
「お肉ね」
「何肉がいいかしら」
「いろいろ用意して選んでもらう?」
 ナマエがひとつ喋ると、女性たちはそれぞれに口を動かす。
「やっぱりナマエに聞いてよかったわ」
「どうして?」
 紅泉に改めてそう言われて、ナマエは瞬きをする。紅泉はなんともいえない笑みを浮かべてナマエを見た。
「そりゃあ……無限様とよく一緒にいるから」
 ねえ、と女性たちに水を向けると、女性たちも互いに顔を見合わせながらねえ、と言う。ねえ、と言われてもナマエにはよくわからない。無限たちは確かに館に戻るたびにナマエの元に顔を出してくれるが、それほど長く話をしているわけでもない。せいぜいお茶を飲む間くらいだ。前回は、放河灯をしに連れて行ってもらったけれど。
「他の方のところにも顔を出しているのじゃないかしら」
 ナマエのように無限に助けられた妖精はこの館に何人もいるだろう。ナマエは無限が気に掛けるそれらの妖精たちのうちのひとりに過ぎないと思っている。
「他ってだれ?」
「誰か見たことある?」
「さあ……」
 そう思ったのだが、返ってきた答えは煮え切らないものばかりだった。
「まあ、そういうことよ。だからさ、ナマエ、無限様が帰ってきたら、お茶会に誘ってもらえない?」
「わかったわ」
 何がそういうことなのかはわからないまま、ナマエは紅泉の頼みを快く引き受けた。


「無限様だわ!」
 ナマエはどこかからそんな声が聞こえてきたことで、無限が館にやってきたことを知った。女性たちに囲まれてから八日経っていた。女性たちがそろそろ来るかもとそわそわしているのを見て、ナマエまでもつい空を見上げることが多くなっていた。昨日は飛行妖精の姿が現れることがなかったので、少し残念に思ったくらいだ。
 無限がこの館に寄ってくれて、ナマエの存在を忘れないでいてくれるのはありがたいことだ。放河灯を経て、より心は安定したと思う。けれど、やはり弟たちと離れている寂しさはどうしても埋まらない。小黒の笑顔を見ると、ともすれば沈んでしまう心がすうと引き上げられる。
 無限の到来を聞いてから少し経った後、戸を叩く音がした。ナマエはいそいそと立ち上がると、そっと戸を開く。そこには思った通り、無限と小黒がいた。二人の姿を見て、ナマエはしらず笑みを浮かべる。
「小黒。無限様」
「ナマエ、元気だった?」
「ええ。小黒も元気そうね」
 両手を上げる小黒を抱き上げてやりながら、後ろに佇む無限に顔を向ける。
「無限様も」
「ああ。あなたも息災で」
 ナマエは二人を室内に招き、さっそくお茶を淹れる。電気ポットで湯を沸かし、暖かい茶壺に気を付けながら茶杯に注ぐ。茶葉が開き、いい香りが湯気と共に立ち上った。
 お茶に焼餅を添えて出すと、小黒は大きな口で焼餅にかぶりついた。もぐもぐと咀嚼しながら、無限と何をしたのかを上機嫌でナマエに話してくれる。その口ぶりから無限に対する信頼を感じるのが、ナマエも嬉しい。
「途中で通った川の周りはもう真っ赤でね。すごくきれいだったからナマエにも見せてあげたかったな」
「そうね、もう外は秋なのね……」
 館は人間界からその姿を隠すため、周囲を雲に覆われており、外の景色に疎くなる。確かに少しずつ気温が穏やかになってきているとは思っていた。暑い盛りは遠のいていき、植物たちが枯れていく時期が来る。風息の樹はどうなるだろう、とナマエは思う。
 自然と、その姿を見たい、と思えた。
 そんな自分にはっとして、ナマエは目を伏せる。
「ナマエ?」
 無限はそんなナマエの様子に気付いて、心配げに声を掛けてきた。ナマエはゆるく首を振る。
「いえ……。あの大樹は今どうなっているかと、思いまして」
「……聞いたところでは、今後、公園にできないかと調整しているところだそうだ」
「そうなのですか?」
 それは初耳だった。ナマエは無限の顔をまじまじと見つめ、ほう、と目元を潤ませる。
「人も、妖精も、憩える公園になるといいな」
「……はい……」
 優しくそう言ってくれることに余計ほろりときて、ナマエは目元を人差し指で拭った。小黒が心配そうに見上げてくるので、大丈夫、と微笑んで見せる。もう、無理に作った笑みではない。
「一度、会いに行きたいですわ」
 ごく自然にその言葉を言えて、ナマエは胸元に手を添える。今、ようやく、あの子に向き合ってやることができそうだった。
「私も一緒に」
「ぼくも行く!」
 小黒と無限はほぼ同時に口を開き、お互いの顔を見合わせた。
 ナマエは思わずくすりと笑ってしまう。
「ありがとうございます。ぜひ、共に参ってほしいですわ」
 ナマエは心からそう伝えた。そして、その前に言うべきことがあったことを思い出した。
「そうですわ、無限様」
 ナマエが切り替えて声音を明るくしたことに、無限も気付いて表情を改める。
「しばらくはこちらにいらっしゃるのでしょうか」
「ああ、次の任務が入るまでは」
 無限は間を置かずに答えた。
「よかった。実は、お二人をお茶会にお誘いしたいんですの」
「お菓子も出る?」
「ええ、たくさん」
「やったー!」
 小黒は無邪気に喜んで両手を上げた。無限はどうかと見ると、微かに笑みを浮かべてナマエを見つめ返していた。
「無限様?」
「ああ。嬉しい誘いだ」
 ナマエに再度問われて、無限はナマエを見つめたまま続けた。
「ぜひ、行こう」
「よかったですわ」
 翌日の昼に時間を決めて、少し雑談をしてから、無限たちは部屋を辞していった。ナマエはさっそく紅泉に日取りを伝え、紅泉から他の妖精たちに伝えられ、お茶会の仕度が始まった。


「無限様がいるの!?」
 ぱあっと表情を明るくさせて、若水は尻尾を左右に大きく振った。
「ええ。このあとお茶会をするのよ!」
 紅泉も頬を染めてそわそわしながらそう答えてやる。ちょうど用事があって寄った館だったが、奇遇にも無限も同じ時期に滞在しているとは。
「いいな! お茶会! ねえ、私も行ってもいい?」
 若水は紅泉にお願いするように両手を握って顎の下に揃え、紅泉を見上げる。紅泉はもちろんよ、と答えた。やったー! と飛び跳ねる若水の後ろで、鳩老は苦笑いをする。こちらにお伺いは立てないのか、と言いたくなるが、どちらにしろ答えは決まっている。
「行っておいで、若水ちゃん」
「うん! じゃあ、あとでね!」
 鳩老に見送られ、若水と紅泉は小走りで部屋を出ていった。
 会場はナマエの部屋だった。今は、十数人の妖精たちが集まり、仕度にてんやわんやしている。
「みんな、若水も参加するって」
 紅泉は若水の肩を押すようにして皆に紹介する。
「いらっしゃい若水!」
「ちょうどいいところにいたわね」
「えへへ。ねえ、私も手伝うことある?」
 若水は動き回る女性たちを目で追ってきょろきょろしていたが、紅泉に椅子を勧められてしまった。
「若水はいいのよ。無限様たちと同じお客様だから」
「そう?」
 そう言われれば若水はありがたくその好意を受け取り、椅子にぽんと座った。
 他の部屋から卓子が二つ運び込まれており、椅子も人数分そろえてある。その分かなり狭くなっており、すれ違うので精いっぱいだ。両手に皿や茶器を抱えた女性たちが、絶えずあちらこちらでぶつかりそうになることもなく、すいすいと細い道を通り抜けていく。
 ナマエは厨の奥でそんな彼女たちの働きを見ながら、不足がないか確認していた。茶杯は足りているし、お湯もたっぷり沸かしてある。食べ物は卓子に乗り切らないくらい用意された。
 あとは無限と小黒の到着を待つばかりだ。
「そろそろ時間よね」
 声を掛けてきたのは紅泉だ。ナマエは部屋に掛かった時計を確認する。そのとき、戸が叩かれる音がして、ナマエは急いで出迎えに行った。
「いらっしゃいまし」
「こんにちは、ナマエ! ぼくもうお腹ぺこぺこ!」
「馳走になる」
 戸の外には、わくわくした顔の小黒と無限がいた。無限の方も、読みにくいが心なしか期待が滲んでいるような気がする。
 ナマエは二人を中へ招き入れる。
「どうぞ」
 ナマエの物腰を眺めつつ入ってきた無限は部屋の中を見て、ぴたりと足を止めた。
「……え」
「無限様! 小黒ー!」
 その姿を見て飛び出してきたのは若水だった。若水はそのまま無限に飛びつく。無限は少しよろけてその身体を受け止めてから、ぎこちなく顔をナマエの方に向けてくる。何を訴えているのだろう、とナマエはその顔を見つめ返したが、無限は何かを言おうと小さく口を開けてはいるものの、言葉は発せられなかった。
「あれ、みんなもいるんだね」
 小黒も足を止めて、犇めき合っている女性たちを見回した。何度か見たことがある顔もあるが、知らない人も多かった。
「このお茶会は、皆さんが企画してくださったの」
 ナマエは小黒の肩に手を添えて、椅子に案内してやりながら答えた。
「……そうだったか」
 背後でぽつりと無限が呟くのが聞こえた。あまり嬉しそうな様子ではないので、ナマエは不安になって無限を振り返る。無限は若水に手を引かれるまま、小黒の隣に座った。若水はその反対側にぴょんと座り、椅子からはみ出した尻尾で喜びを現わした。
「その、私たち、えっと……」
 紅泉は女性たちに押されて無限たちに向き直り、話しかけようとしたが、まごまごとして口ごもる。
「無限様にいつもお世話になってるから」
「感謝の気持ちを伝えたくて」
「たくさん食べて、体力をつけてほしくて」
「ね」
「そうよね」
「その……いつもありがとうございます!」
 紅泉を助けるように、互いの顔を見ながら、女性たちは口々に無限に感謝を伝えた。
 無限はあっけにとられたようにしていたが、ふと目を伏せて、それを受け止めた。
「ありがたい」
「たっ、たいしたことはできないですけど!」
 無限が軽くとはいえ頭を下げたことで、女性たちはおろおろとどよめいた。お礼を言うのはこちらの方なのに。
「さっそく、お茶にいたしましょう」
 ナマエの一言で、女性たちは何をするべきかを思い出したかのようにきびきびと動き出した。三人にお茶を淹れ、自分たちも席に座り、食卓を囲む。
 ナマエはほとんど座らず、空になった皿を片付けたり、空いた茶壷にお湯を足したりと動き回っていた。そうしながら、無限が女性たちと会話をしている様子を伺う。女性たちはだんだん遠慮がなくなってきて、ずいぶん饒舌に話しかけているようだ。それを無限は黙って聞きながら、肘子を黙々と食べている。ときどき相槌のようにうん、と言うくらいだったが、それでも女性たちは嬉しいようだった。小黒もあっという間に女性たちの人気をかっさらっていった。何人かの女性たちは小黒につきっきりで、「これも美味しいわよ」「こっちはまだ食べてないでしょう」「まあ、いい食べっぷり」「さすが無限様のお弟子さん」とあれこれ世話を焼いている。小黒はその甲斐甲斐しい給仕にすこぶる機嫌よく、常に何かを頬張っていた。
 若水は食べるよりももっぱら無限の様子を眺めているようだった。にこにことして、女性たちの話を聞いている無限の横顔をじっと見上げ、尻尾は常にゆらゆらと揺れていた。
 誰もが笑顔で、ナマエはうまくいってよかった、と胸を撫でおろす。たくさん用意した食べ物は、弾む会話の拍子に合わせてどんどん減っていく。
「ナマエ、あなたもそろそろ座ったら。全然食べてないんじゃない」
 厨で一息ついていたナマエに気付いて、紅泉がそう言ってくれる。
「ありがとう。でも、みんなの様子を見ているだけでなんだか胸がいっぱいになるの」
「そうねえ。余るかもと思ったけど、この調子ならきれいに食べきってくれそうだわ」
「ふふ。嬉しいわね」
 みんなで相談しながら作った料理だ。それを、美味しそうに食べてもらえることが何よりだった。
「またやりたいわね」
「そうね。ぜひ」
 ほろりと零した紅泉に、ナマエは語気に力を込めて頷いた。
「ナマエ」
 そこに顔を出したのは無限だった。ナマエは慌てて立ち上がり、どうしたのか訊ねる。
「いや、肘子はもう残っていないかと思って」
 無限は空の皿を見せる。ナマエはそれを受け取って、流しに片付けた。
「申し訳ありません。気付かなくて」
「いや、休んでいるところすまない」
 無限はナマエに再度座っているように促して、自分で台の上を見た。もう三品ほどが残っているだけで、その中に目当てのものはなかった。
「もっと用意すればよかったですわね」
「ないならいいんだ」
 無限はそう答えながら椅子に座りなおしたナマエに向き直る。ナマエはそんな無限を見上げた。二人の視線が合い、そのまま動かなくなる。
「私、片付けに行ってくるわねー……」
 紅泉は二人の様子を伺いつつ、そっと厨を出ていった。
 口を開いたのは無限の方だった。
「ずっと働いていなかったか」
「そんなことありませんわ。みんな、よく気の付く方たちですから」
「あまり食べていないだろう」
「もともと食が細いので……。みんながたくさん食べているのを見る方が好きですわ」
「こんなに集まっているとは思わなかった」
「私、お伝えし忘れていましたわね。驚かれたでしょう」
「……ああ。まあ……。だが、こういうのも悪くない」
「ふふ。喜んでいただけたならなによりですわ。でも、小黒、あんなに食べて大丈夫でしょうか」
「ちやほやされて調子に乗っているんだ。あれくらいなら大丈夫だろう」
「いい子ですから……。みんな面白がって勧めるでしょう。無理して食べてないといいのだけれど」
「そうだな……。そろそろ止めてやった方がいいか」
「ええ。まだ自分の限界はわかっていないでしょうから」
「うん。……肘子を作ったのは?」
「みんなで作りましたから……私も、少しお手伝いしました」
「……そうか」
「お気に召しまして?」
「うまかった」
「よかったですわ」
「そろそろ小黒を止めにいってやろう。あなたも」
「はい」
 ナマエは無限に促されて立ち上がった。
 無限が座っていた席には別の妖精が座っていたので、無限たちは空いている二つの席に座った。無限がお茶を注ぎ、ナマエを労うようにそれを手渡した。ナマエはありがたくそれを受け取った。
 二人で座っていると、不思議と周りの喧騒が遠くに聞こえた。
 小黒が歌う声も、それに合わせた手拍子も、若水の笑い声も。
 ナマエの耳にはただ無限の声が聞こえ、無限の耳にはナマエの声しか入らなかった。

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