第十五話 奪



 風息たちは、小黒が館に連れて行かれる前に取り戻すつもりだ。無限たちは地下鉄に乗り、館のある龍遊に向かう様子だった。それを確認した風息たちは、逃げ場のない電車内で事を起こすことに決めた。
「阿赫、頼んだ」
「任せてくれ」
 計画の要の術を使うのは阿赫だ。今回協力を頼んだのは都会に紛れて暮らしている阿赫と葉子の二人だった。二人は風息に以前から力を貸してくれていた。本格的に計画を起こす段になり、二人も覚悟を決めてくれた。
 風息は気合が入って硬くなっている二人の表情を横目に、僅かに俯いている虚淮に目を向けた。やはりなにがしかの感情を表面に浮かべるようなことはないが、長年の付き合いだから、今何を考えているかくらいは想像がつく。
「ナマエのことか」
 風息は声を低くして訊ねた。虚淮は目を背けた。
「……まさか、館に行けなんて……」
 洛竹はまだその言葉が信じられていないような力ない声で呟いた。
 故郷を取りもどそうというときに、一番信じてほしい人の信頼を失ってしまった。そのまま突っ走ってしまっていいのか、どうしても迷いが生じる。
「どちらにしろ、小黒は返してもらわなくちゃならない。いつまでも無限の手元に置かせるわけにはいかない、そうだろう」
 そんな二人に、風息は語気を強くする。小黒の名を出されて、洛竹ははっとした。
「もちろんだよ!」
 今だって寂しい思いをしているに違いないのだ。一刻も早く迎えに行ってやりたい。それが今洛竹にとって一番の原動力だった。
 だが、虚淮は沈黙したままだ。
 ナマエと過ごした時間は、虚淮が一番長い。今回のことが一番堪えているのも彼だろうと風息は思う。
 だが、情に流されるような覚悟でもない。龍遊を出て以来、必ず故郷に戻ることをお互いに誓いあった仲だ。それを反故にすることは絶対にない。ただ、どうしても迷いは出るだろう。
「すべてが終われば、ナマエだって喜んでくれるさ。今は理解してもらえないとしても」
 風息に言えることはそれだけだった。虚淮はようやく「……そうだな」と押し殺した声を発した。
 これから行うことは、風息の家族全員にとって必要なことだと、風息は強く思っている。だから迷わない。すでに立ち止まれないところまで計画は進行している。もう引き返せないのだ。たとえ、姉の理解を得られないとしても。それでも、風息は前に進む。

 計画はこうだ。まず、阿赫と葉子が無限たちの乗る電車と反対方面の電車に乗り、阿赫が操る人間で攪乱し隙をついて小黒を電車内に転送する。恐らく無限は小黒を取り戻すため追いかけてくるだろう。そこで予め線路の近くで待機していた風息たちが電車に向かい、無限を無力化し小黒を取り戻す。初めから風息たちが電車に乗っていると気配で気付かれる可能性がある。少しでも危険があるなら避けるべきだ。そのため風息たちは外で阿赫たちからの連絡を待った。
 空はそろそろ茜色に染まり始めている。
「風息」
 風息のPHSに阿赫から連絡が入る。
「小黒を確保した。先頭車両にいる。無限は葉子が抑えているが――」
 そこで通話が途切れた。葉子にはやはり抑えきれなかったのだろう。風息はすぐに判断する。電車の車輪が音を立てて近づいてきた。
「行くぞ」
 風息の合図で皆が動き出す。森の中を、木々よりも高く造られた高架橋の上に敷かれた線路に沿って、電車がやってくる。それに乗り込もうと飛び上がったとき、風息の視界に小鳥が映った。
「……鳥霊?」
 はっとしたとき、後ろから氷が迫ってきた。
「虚淮!」
 風息が叫ぶと一歩遅れて虚淮が飛び出していく。ナマエの相手をできるのは同じ氷使いである虚淮しかいない。天虎は炎を扱えるが、ナマエに向かって吐けるはずもなかった。
「風息!」
 ナマエの呼び声を振り切って風息は電車の上に着地する。すでに無限には襲撃を察知されている。隣にいた小黒に手を伸ばすが、無限に蹴り上げられ掴んだ襟を離さざるを得なかった。
「小黒! 助けに来たぞ!」
「風息!」
 小黒が嬉しそうな声を上げる。だが事はそう簡単には運ばないことが、無限の鋭い眼光で思い知らされる。
「小黒、やつらはグルだ」
 阿赫たちと組んでいることを無限は即座に見抜いた。その阿赫たちは気絶して電車の上に並べられている。天虎が彼らを絵に描いた龍に乗せてくれた。画虎という妖精の持つ力、画霊で風息が出現させた龍だ。風息が無限への対策のために行っていた準備は、有用な術を妖精たちから“強奪”することだった。
 電車の細長い屋上で、七人が入り乱れる。洛竹が小黒を抱え、無限がそれを細く伸ばした金属のワイヤで阻止し、天虎が火を吐き、ナマエの氷を虚淮が割り、虚淮の氷を無限が己界で飲み込む。
「やめて!」
 小黒の声が乱戦の間に空しく響く。
 ナマエの氷が風息の足元を凍らせようとした。それを奪った術霊爆で爆破する。龍が小黒の傍へ近づき、その上に乗った天虎が小黒を捕まえる。今だ、と風息は霊音を使う。音による攻撃なら物理的に防御されることはない。思った通り、無限は一瞬足を止める。その隙に風息は龍に飛び乗る。
「お待ちなさい!」
 ナマエの声が聞こえるが振り返る余裕はない。無限がもう追いかけてこようとしている。しかし風息は冷静に霊爆を用い、電車の走る先を爆破し破壊した。
「クソッ」
 これを見過ごせるはずはなく、無限は踝を返して電車に向かう。
「小黒! 必ず助けに行く!」
 そうしながら、小黒に心を残した。
 無限の力ならあるいは走る電車すらも止めることができるのかもしれない。だが、どうなろうとどちらでもいい。目的は達成できたのだから。ナマエも無限のあとを追ったようだった。
 子供のころ、人と近づきすぎないよう、と言っていたナマエの言葉を思い出す。だが、ナマエは人間を疎んじていたわけではなかった。決して自ら寄ろうとはしないが、遠目で彼らのすることを眺めている目には慈愛とでも呼べる色が浮かんでいた。洛竹たちが祭りに行きたいと言うのを止めることもなかった。いつかナマエと天虎とで見た舞を思い出す。
 ――俺だって、好んで人を傷つけたいわけじゃない。ただ……。
 龍の速度を上げ、少しでも早く故郷に向かおうと、風息は急いだ。

「無限様」
 無限は電車を操作し可能な限り被害を抑え、崩れた高架橋の上に戻った。ナマエがその傍に着地すると時を同じくして、三人の妖精が現れた。
「無限様」
「救助を」
 無限は小黒が攫われた方角を注視しながら妖精たちに指示を出した。すぐに飛んでいった二人について、ナマエも飛ぶ。
「私も治癒術が使えます」
「助かります」
 声を掛けた妖精は逸風と名乗り、ナマエと手分けして車内に残された人間の救助に当たった。幸い、死者はおらず、ナマエはほっと息を吐く。
「たすけて……」
 瓦礫の下から声がして、ナマエはすぐに状況を確かめた。その下に足を挟まれてしまっているようだ。まず氷で瓦礫を押し上げ、逸風と一緒に男性をその下から引っ張り出した。そして怪我の具合を見て、治癒術を掛ける。
 すべてが終わった後、もう一人の妖精、冠萱が人間たちに術を施し、彼らの記憶を消してしまった。妖精に関する情報が人間界に残らないよう、そうするのが彼の仕事だった。
 ナマエは無限の元に戻る。無限は三人のうち残った一人、龍遊の館の館長である潘靖と話をしていたところだった。
「無限様、風息を」
「わかっている」
 風息がなぜ小黒を狙っているのか、無限もすでに気付いていた。小黒が持つ領界を、風息が隠していた術、強奪で奪う。
「龍遊を閉ざしました。出られません」
「よし。何かあったら知らせろ」
「もしや、助けに?」
「あの子には、私しかいない」
 飛び上がろうとする無限に、ナマエは乱された心を落ち着かせることもできないまま訴える。
「風息を、止めてください」
 無限はナマエを見て、頷いた。そして藍色が差しはじめた空の向こうへと飛んでいった。
 ナマエはその場にへたり込みそうになる。風息は小黒を連れて、龍遊のどこかへ向かい、領界を展開するはずだ。まだ何も終わっていない。むしろこれから始まるところだ。へこたれている時間はない。
「私達も戻ろう。あなたはどうなさいますか、ナマエ」
 館にいたとき、潘靖とは顔を合わせたことがあった。潘靖の方も、ナマエのことを覚えていてくれたようだ。
「ご一緒してもよろしいでしょうか。お役に立てることもあるかと」
「わかりました」
 ナマエは潘靖たちと共に龍遊に戻ることになった。
 懐かしい故郷、と感慨に浸る余裕はない。こんな気持ちでまた戻ってくることになるとは思いもしなかった。
 眼下に広がる森は記憶にあるものより小さく、その木々よりも高い高架線が森を分断するように伸びている。その先には、明かりがつき始めた街が見えた。木々の緑はすっかり途切れ、灰色ばかりが味気なく夕日を反射している。
 ――これが、龍遊。
 ナマエの胸が切なく締め付けられる。
 これを取り戻すために、風息は妖精から術と霊力を奪った。ナマエは虚淮と戦うことになった。戦いなど慣れていないナマエには、虚淮の足止めをすることすら叶わなかった。虚淮の瞳に戸惑いはなく、風息の邪魔をするならあなたでも、という意志が感じられた。こんな風に弟と向き合うことがあったなど今も信じられず、心は千々に乱れる。だがそれでも、小黒を奪おうなどという浅ましい計画を遂げさせるわけにはいかなかったのだ。これから、彼らがすることを思えば、勇気を奮って彼らの前に立ち塞がる以外にはなかった。風息の計画は思っていたよりも周到で、あの無限すら一歩遅れをとった。ナマエにできたことはほとんどない。
 ――無限様。
 ナマエには到底追いつけない速度で飛行していった彼を胸に思う。
 ――どうか、風息を。
 これ以上、間違いを犯さないよう、止めてほしい。その思いを託すのに、彼以外には適任はいない。ナマエは歯がゆい思いを抱きながら、ただ祈ることしかできなかった。

[*前] | [次#]
[Main]