第六話 脅



「洛竹! 早く来いよ!」
「まってよ、風息!」
 青い草がさわさわと揺れる中駆け出した風息の後ろ姿を見上げながら洛竹は答え、ナマエを振り返る。
「じゃあ、行ってくるねナマエ姉!」
「行ってらっしゃい、暗くなる前に帰ってくるのよ」
「はーい!」
 洛竹は軽やかに下草を飛び越えて、風息と並んで森の奥へと遊びに行った。その様子を見送って、ナマエは満ち足りた溜息を吐く。
 ナマエたちに新たな家族が増えたのは、風息と出会って数十年経ったころだ。
 その子供は洛竹といい、風息と同じ木属性だった。洛竹は懐っこく、朗らかで、よく喋りよく笑うので、一家はいっそうにぎやかになった。
「ナマエ姉! あっちに綺麗な花が咲いてたんだ。見に行こうよ!」
 森の中で素敵なものを見付けると、洛竹はすぐにナマエを呼びに来て、その手をぐいぐい引っ張って思いを共有したがった。
 洛竹に引かれて訪れた先でナマエを待っていたのは、一面の花畑だった。
「この薄い青がナマエ姉の瞳みたいできれいだろ?」
「うれしいわ、洛竹。こんな素敵な景色が見られるなんて」
 洛竹は素晴らしいものを見付けることに長けていた。どこかに出かけては帰ってくるたびにみんなにお土産を持ってくる。虚淮には透き通った小石、風息には珍しい植物の種、ナマエには地面に落ちる前に拾い集めた花びら。またけものたちともすぐに仲良くなった。野兎の子供や小鹿たちと出会ってはそこら中駆け回る。
「最近、鳥の巣や鼠を食い荒らしてる大きい蛇がいるらしい」
 あるとき、風息がけものたちの訴えを聞いてきたとみんなに話した。
「手あたり次第に食うからみんな怖がって巣穴から出てこれないんだ。俺たちで懲らしめてやろう」
「でも、その蛇も好きで暴れてるんじゃなくてさ。大きくなりすぎた身体を持て余してるのかもしれない」
 それを聞いて、洛竹は蛇側の事情を推量した。虚淮は表情を動かすことなく答えた。
「そうだとしても、やりすぎはだめだ」
 好戦的なところがある虚淮や風息に対して、洛竹は穏当にすませることを好んだ。
 ナマエは彼らがあれこれと論議するのを、口は挟まず少し離れたところで見守り、出かけていく彼らの無事を祈るのが毎度のことだった。

「姉様」
 朝、ナマエを起こしに来た虚淮の様子はいつもと違っていた。ナマエは身を起こして髪を整えながら、何ごとかと弟の表情を見つめる。彼を知らない人が見れば、なんの表情も浮かんでいない、氷のような面だと思うだろう。しかし、ずっと彼と過ごしてきているナマエには、何かに興奮して喜びを浮かべていることが見て取れた。
「気が集まっています。大きな気が」
「まあ……妖精が生まれるの?」
 それでナマエにも虚淮が何を期待しているのかすぐにわかった。虚淮は洛竹にも声を掛け、途中、気が集まっていることに気付いた他の妖精たちと合流し、その場所に向かった。
「わあ……」
 妖精が生まれるところに立ち会うのは久しぶりだった。ナマエは、眩く光る光球を見上げ、感嘆の声を上げる。たくさんの妖精たちがその光を囲み、誕生の瞬間を今か今かと待ちわびていた。
「風息は?」
 彼なら真っ先に駆けつけているだろうに、その姿がなく、ナマエは集まった妖精たちの顔を眺める。
「あっ、街に行ってるはずだよ。呼んでくる!」
 若い妖精がはっと気付いて、駆け出していった。
「間に合うかしら……」
 あの子は足が速いが、光がどんどん集まっていく速度も速い。もし間に合わなかったら、きっと悔しがるだろう。ナマエははらはらしながら、霊質の塊が少しずつ膨らんでいくのを見守る。どんな妖精が生まれるだろう。弟だろうか、妹だろうか。
「はやく一緒に遊びたいなあ!」
 洛竹はわくわくした笑顔を浮かべて、待ちきれないように目を輝かせて光球を見上げている。隣の虚淮も表情は変わらないが、楽しみにしていることが伝わってきた。
「はははは! お前ら、早いな!」
 大きな笑い声が聞こえてきて、風息が駆け付けた。その声の大きさに、虚淮はしーと指を口元に立てるが、風息は意に介さず愉快そうに笑う。
「あ……」
 ナマエが気付くと同時に、虚淮も気付いた。
「あちらから、誰か近づいてくる」
 人間の気配だ。複数いる。妖精の誕生に立ち会わせるのは無粋だ。
「俺が行く。ここは任せた」
 風息がすぐに動いた。飛び上がって樹を伝い、人間が侵入しないよう止めに向かった。その間にも、霊質は順調に集まっていく。
 すぐに風息が戻ってきて、みんなで固唾をのんでその時を待った。もう十分霊質は集まった。そうナマエが感じたとき、光球はぽんっと形を変えて、虎のような姿をした丸っこい妖精が誕生した。ナマエは腕を広げて、その小さな身体を受け止めた。ふわふわの毛を持つその妖精は、まだすやすやと眠っていた。
「まあ、かわいい」
「かわいいな!」
 洛竹は背伸びをしてナマエの腕の中で眠る妖精を覗き込む。手を伸ばして、その毛並みをふわふわと撫でた。
「普通だな。小さい」
 虚淮はつまらなそうに呟いた。
「はははは! 地虎と呼ぶか!」
 風息が名前をつける。それに虚淮は眉を寄せた。
「アホっぽい」
「じゃあ、天虎は?」
 洛竹が案を出す。ナマエにはどちらも変わりないように思えた。アホっぽくはないと思う。
「ははは! いいな!」
 風息はこだわらず、洛竹の案を採用した。
「天虎。可愛い子。私たちの新しい弟」
 ナマエは天虎の頬をそっと撫でる。
「俺にも抱かせて!」
 他の妖精たちも集まってきて、天虎の小さな身体は順番にいろいろな腕を経由していく。最後に風息の腕に収まった。その間、ずっと心地よさそうに眠っていた。どうやら大物になりそうだ。

 子虎は口数が虚淮よりも少なかった。兄たちにくっついて、小さな足を懸命に動かし走り回った。
 火を操ることを得意とする彼のお陰で、これまで果物中心だったナマエたちの食卓は彩を増した。
「ねえね、これ、身が詰まっていて甘い」
 天虎は美味しい果物を見分けるのが特にうまく、よくナマエにいいものを選り取っては両手いっぱいに抱えてきてくれた。ナマエは差し出されたうちからひとつ受け取り、口に含む。途端によく熟れた甘い汁が口内に満ち溢れ、頬を蕩けそうに緩めた。
「本当ね。ありがとう、天虎」
「うん」
 天虎はナマエに頭を撫でられると、ナマエの顔を嬉しそうに見上げてにこにこと笑った。

 氷と親しいナマエにとって、火自体は苦手なものだったが、天虎が熾してくれる焚火を家族で囲む夜の時間は大切に思っていた。
 昼間は思い思いの場所で過ごしている弟たちが帰ってきて、夕飯を食べながら、その日あったことを話し合う。一番心和む時間だった。
「去年は寒かったから少なかった鳥が、今年はたくさん卵を産んでたんだ。きっともうすぐ賑やかになるよ」
 そのときを想像したのか、楽しそうな表情で洛竹は言った。
「今年は妖精もたくさん生まれたな。騒がしいくらいだ」
 肉を飲み込んで、風息が言うと、ナマエはくすくすと笑い声を零した。
「風息は忙しくなるわね」
「面倒ごとが起きなければいいが」
 風息はナマエにやれやれといった表情をしてみせたが、その実洛竹と同じくらい楽しみにしていることを感じてナマエは微笑む。賢く、力もある風息は、何かと妖精たちに頼られがちだ。新しく生まれた妖精たちは皆風息に挨拶し、何か困ったことがあれば相談に来る。妖精同士の諍いを諫めるのも風息の仕事だった。
「台風の目がよく言う」
「どういう意味だ」
 涼しい顔を崩さずおちょくる虚淮に、風息は口を尖らせる。血気に逸るところがある彼を諫めるのは虚淮の役割だ。
「果物も美味くなる。お肉も」
 天虎が楽しみにしているのは収穫の方のようだ。今年は昨年に比べて全体的にいい雰囲気が漂っている。昨年は少し寒すぎたし、雨も多かった。雨自体はナマエにとってはなんでもないが、森全体にはあまりいい影響を与えたとは言えない。洪水が起きないよう川の水位を調整するのは難しいことだったし、すべてを思い通りに操ることはできない。
 その分、皆今年に期待を膨らませていた。


 
 朝日を浴びた瑞々しい木々の中を歩いていると、静寂を破るように激しくぶつかり合う音が聞こえ、ナマエは訝しんで空へ飛びあがった。
 北の方角で、土煙が上がっているのが見えた。どうやら複数の妖精たちが飛び回っている。一方は逃げ、一方が追いかけているようだ。ナマエは逃げている妖精の方へ向かって降りて行った。
 逃げる妖精の一番後ろにいるのは七尺ほどもある大型の妖精で、太い腕には小柄な妖精を抱えていた。彼らを追いかける妖精たちが、木の蔦でその足を止めようと地面を抉る。ナマエは氷の壁を張り、その侵攻を阻んだ。
「おやめなさい。それ以上の狼藉は見過ごせません」
 木の蔦を阻まれた妖精はナマエを睨み上げる。
「邪魔すんじゃねえ!」
「なにゆえ彼らを追うのです」
「磊塊様に反抗するからよ!」
「この地で乱暴を働くのは許しません」
 ナマエが氷の柱を何本も地面から生やすと妖精たちは驚き、後ろへ飛び下がった。
「てめえも磊塊様に逆らうなら覚悟しろ! ここもいずれ磊塊様のものになる!」
 前歯を剥き出し、そう言い捨てて、妖精たちは北へ引き上げていった。ナマエは彼らが戻ってこないことを確かめてから、氷の壁の影で休んでいた追われていたものたちの元へ降り立った。
「助けられたな」
 小柄な妖精を抱えている角を持った妖精が彼らのまとめ役のようで、彼がナマエに頭を下げると、十数人の妖精たちもそれに倣った。
 ナマエは彼らが傷ついていることを知ると、とにかく休ませなければと考えた。
「この先に私たちの拠点にしている洞窟があります。そこでお休みなさい」
「ありがてえ」
 角の妖精が仲間にナマエに従うように伝えると、彼らは一様にほっとした表情をして、ナマエについて洞窟へ向かった。
 洞窟について、ナマエはひとりひとり怪我の様子を見て、手当をした。
「やつらを追い払ってくれた上、怪我まで治してもらうたぁ、すっかり世話になっちまったな」
 最後に角の妖精を治すと、彼は大きな体を丸めてナマエに礼を言った。
「おれは豪雷。こいつらと、北の森で暮らしている」
「私はナマエと言います。ずいぶん遠くからいらっしゃったのね」
 ああ、と豪雷は疲れた顔を、毛深い熊のような手で撫でた。
「いままでは平和なもんだったんだ。こいつらとは顔見知りだが、別に一緒に暮らしていたわけじゃねえ。それぞれ好きなように気ままにやってたんだ。あいつらが来るまでは……」
「いったい、誰に追われていたの?」
 ナマエは捨て台詞を吐いていった鼠のような顔をした妖精を思い出し、眉を顰める。
「磊塊と、その一派さ」
 豪雷も腕を組んで唾棄するようにその名を口にした。
「やつらはおれたちを力づくで従えようとした。おれたちは反発した。誰かに従う必要なんてなかったし、まっぴらごめんだったからな。磊塊は怒り、おれたちを痛めつけようとした。あいつはおれよりでかい。力じゃかなわねえ。おれたちはなんとか助け合って、ここまで逃げ延びて来たんだ」
 疲れ切って、足に寄りかかって眠っている小さな兎に似た妖精の頭を、豪雷は大きな手を細心の注意を払いながら動かし、撫でてやる。ナマエから見れば豪雷の爪に敵うものなどそうそういそうに見えなかったが、彼より大きな身体をしているとなれば、簡単な相手ではないことが伺えた。
「奥に食べ物があります。疲れが癒えるまで、好きなだけここにいてくださいな。私はこのことを弟たちに伝えてきます」
 ナマエは彼らにゆっくり休むように伝えると、洞窟を飛び出した。
 虚淮はいつもの場所で霊質を集めていた。まず彼に声を掛け、風息を探すように伝えた。洛竹と天虎はそう遠くないところにいた。ナマエは洞窟に匿った豪雷たちのことを話し、弟たちを豪雷に紹介した。
「磊塊。俺たちの縄張りを脅かそうとはな」
 風息は腕を組み、静かに闘気を放つ。罪のない妖精を傷つけ、従えようとするなど、言語道断な振る舞いだ。
「あいつは領土を拡大しようとしている。いずれここにも来るだろう」
 豪雷が言うまでもなく、その危険性を風息たちは見越していた。
「手をこまねいている理由はないな。こちらから打って出る」
 迷いなく言い切る風息に、ナマエは不安を抱く。相手は豪雷よりも強大だという。だが、虚淮も風息の意見に賛同した。
「いずれ私たちの脅威になる。それなら先手を打つべきだ。不意を突けば楽に叩ける」
「風息。磊塊のところに捕まっちまったやつらがいるんだ。おれも加えてくれ」
 頼もしい仲間を得て豪雷の瞳に力が宿っていた。すでに疲れも取れ、やる気が漲っている。磊塊の仕打ちに怒り、反撃に燃えていた。
「ああ。磊塊たちの情報をくれ。作戦を練ろう」
「姉様。私たちで行ってきます。あなたは彼らの世話を」
 風息たちについていくと言ったのは豪雷ひとりだった。虚淮に残ったものたちを頼まれ、ナマエはもちろんと頷いた。だが、戦いに赴く弟たちのことも心配だった。
「無理はしないで」
「大丈夫だよ、ナマエ姉!」
 洛竹も天虎も義侠心に満ちた目で、そう胸を張って見せた。その姿は頼もしかったが、それでもナマエにとってはまだ幼い子供たちだ。ナマエは洛竹の頬を両手で挟み、天虎の頭を撫で、怪我をしないように、と再三注意をした。

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