第三十八話 橇
見渡す限りの銀景色だった。
黒々とした樹の枝が、真っ白な綿のような粉雪を纏っている。
ナマエが足元を踏みしめると、逃げるようにふわりとスターダストが舞い上がった。
ひんやりとした風が吹いて、その粉をさらに高く舞い上がらせる。ナマエは髪を手で押さえながら、舞い散る雪を目で追いかけた。
「ナマエー! はやくー!」
ずいぶん先まで駆けて行った小黒が、立ち止まっているナマエを振り返って呼ばわる。ナマエは雪に足跡を付けるのが惜しくて、少し飛び上がってその後を追いかけた。ここには他に人間の姿もない。誰かに見つかる心配はないだろう。
ナマエの通ったあとを、銀の粉がひらひらと渦を巻いた。
「いっぱい積もってるねえ!」
雪は小黒の足をすっぽり飲み込んでしまうほど厚さがあった。小黒は長靴を履いた足を高く持ち上げて、一歩一歩苦労しながら進む。無限は少し離れた場所からふたりをゆっくり追いかけてきていた。
「ナマエと温泉、一緒に入れないから、雪遊びなら一緒にできると思ったんだ!」
「誘ってくれてありがとう、小黒。たくさん遊びましょうね」
「うん!!!」
小黒はさらさらの雪を掴んで、ぎゅ、ぎゅ、と固め始める。それを丸く球にすると、雪の上に置いてころころと転がし始めた。
「こうやってね、雪玉を大きくするんだ」
ナマエも真似して、手のひらの上に雪を集める。丸く固めたそれを、雪の上に転がし、力で操作する。転がるたびに雪を巻き込んで、玉は少しずつ大きくなっていった。
小黒は玉を転がすのに夢中で、ぐねぐねと軌道をくねらせながらばたばたと走り回っている。
「一個できた!」
そうして肩で息をしながら、自分の肩あたりまである大きな雪玉を作り上げた。
「もう一個作るんだよ」
しかしそれで終わりではないらしい。小黒は同じ手順で、もう一つ、一回り小さい雪玉を作った。
ナマエも真似をして、同じようにする。
「できたら、最初に作ったやつの上に乗っけるんだ」
今日の先生は小黒だった。いつもは小黒が学ぶ側なので、反対になった分、やる気をみなぎらせている。ナマエは小黒の教えに素直に従いながら、雪玉を乗せた。小黒の雪玉は、無限が手伝って乗せてやった。
「あとは顔を作って完成! 師匠、石と枝ちょうだい」
「ここから選んで」
無限はふたりが雪玉を作っている間にそれらを用意してくれていた。小黒は職人さながらに石をひとつひとつ手に取って眺め、一番いいものを選んで雪玉に埋め込んだ。
ナマエはそれを見て、どのように顔を作るのか知ると、小さめの同じくらいの大きさの石を二個探した。一個はちょうどいい丸っこい石があったが、もう一つが見つからない。
妥協しようか、と考えていると、すっと無限が小石を差し出してくれた。
「これはどうだろう」
「まあ、ぴったりですわ」
それこそナマエが探していた小石だった。手に持ったもうひとつと並べてみても、ほとんど形に違いがない。
ナマエはさっそくそれを雪玉にはめて見た。思った通り、小さくてかわいいつぶらな瞳になった。
あとは枝を折って口にし、手の位置に左右それぞれ枝を刺せば完成だ。
「ナマエの雪だるま、かわいいね!」
「雪だるまというのね。かわいい名前だわ」
ナマエと小黒は出来上がった雪だるまを互いに見せ合った。
「ねえ、この雪だるまナマエに似てない?」
「そうだな」
小黒はじっと雪だるまを眺める無限にそう訊ねる。無限はうんと頷いた。ナマエは持ってきていた端末を取り出して、雪だるまを撮影する。帰ったら洛竹に見せてやろう。
「っくしゅん」
くしゃみをした小黒の鼻の頭はすっかり赤くなっていた。
ナマエは思い出して、雪を操り、山を形作る。
山の中を空洞にして、雪でできたかまくらができた。
「この中に入ってみて、小黒」
「わあ、雪の家だ!」
小黒にちょうどいいくらいの大きさに作ってある。小黒は身をちょっとかがめて中に入ると、目を輝かせて内側から外へ顔を出した。
「すごい! ちょっとあったかいよ師匠!」
師匠も入って、と手招きするので、無限は腰を屈めて中へ入ってみる。ナマエはふたりがかまくらから顔を出すと、端末を構えて写真を撮った。
「ナマエも入れるよ!」
「少し狭いんじゃないか?」
「だいじょうぶ!」
無限が入れ替わりに出ようとするのを小黒が止める。ナマエも狭いだろうと思ったが、小黒が早く早くと急かすので、できるだけ身体を縮めて中に入った。
中は、雪に光を遮られ、薄暗い。しかし風が入らないことと、ふたりの体温のおかげでほんのりと暖かい。小黒は無限の身体にぴったりくっついて、さらに暖をとっていた。
「ここあったかいねえ! 雪でできてるのに不思議だなあ」
ナマエは無限と顔を合わせて微笑む。思ったより顔が近くにあって、少しどきりとした。
「暖かいお茶でもあればさらにいいな」
無限は小黒の頬を手で挟んで暖めてやりながら、そう言った。
小黒の方は長い間じっとしてはいられないようで、もうかまくらから外に出たがった。ナマエは雪を操ってかまくらを開き、平らに戻した。
「あっという間になくなっちゃった」
小黒はそれを見て、少し名残惜しそうにする。
「また作ってあげるわ」
そうナマエが約束すると、にこっと笑って駆け出した。
「あはははっ」
雪を蹴り飛ばし、ぶわっと舞い上がった粉雪に突っ込んでくるくると周る。ナマエはさらに雪を舞い上げてやり、小黒の周囲にきらきらと散らせた。
「橇は作れる?」
無限がナマエにそう訊ねた。ナマエはすぐに思い出す。幼いころの無限のために作った橇のこと。
「もちろんですわ」
ナマエはにこりと笑って、そのときよりも大きな橇を造った。無限が乗り、ナマエが乗って、橇は動き出す。
「小黒」
「わあ、それなに!?」
橇を小黒の傍へ近づけると、無限が小黒を膝の上に掬い上げた。橇はそのまま、空へと滑りだす。
「うわあー、飛んでる!」
小黒は無限に支えられながら、顔を突き出して下を見下ろす。
「あ! 雪だるま!」
ふたつ並んだ雪だるまがどんどん小さくなっていった。
橇がぐんぐん高度を上げると、空に雲が集まってきて、ちらちらと雪を散らし始めた。
降り積もる雪の中、ナマエは空の旅を終わらせることにし、そっと橇を地上に下ろす。小黒は転ぶように飛び降りて、その場でくるくると回った。
「楽しかったー!」
空が暗いのは曇っているからだけではないだろう。そろそろ帰る時間だ。小黒は無限とナマエと手を繋ぎ、上機嫌で帰路についた。
館に戻ると、小黒と無限は冷えた身体を温めるため先に風呂へ向かった。ナマエはその間に湯を沸かす。もうすぐ夕飯なので、お菓子はなしだ。
「ナマエ姉、おかえりー」
「ただいま、洛竹」
顔を出したのは洛竹だった。洛竹は用事があるとのことで雪遊びには参加しなかった。
「無限たちも夕飯食べるかな」
「ええ。ふたりの分もお願いできるかしら」
「オッケー」
洛竹は力こぶを作ってみせると、厨に向かった。夕飯の仕度は洛竹の当番だ。
お湯が沸くころ、小黒と無限が戻ってきた。ナマエは三人とお茶を飲みながら夕飯ができるのを待つことにした。
お菓子作りはだいぶ慣れてきたが、ちゃんとした食事の準備となるとナマエには難しい。火を使わなければならないからだ。
火のそばにいることに慣れたのは天虎のお陰だった。その天虎が傍にいない今、火を使うのは怖い。天虎が火を操り、絶対にナマエに火の粉がかからないようにしてくれていればこそ、安心して座っていられたのだ。
だが、料理をしたい思いは日に日に強くなる。
無限も小黒も、食事をとても楽しんでいるし、よく食べる。
面と向かって言われたことはないが、ナマエの作るお菓子では足りないだろうと思う。
私にも、料理ができるようになれば。
たいへんな任務をこなした後のふたりに、振る舞うことができれば。洛竹の負担を、軽くすることができれば。
ついそう考えてしまう。
火を使わない料理もあるとは聞いたことがある。だが、それも限界があるだろう。料理をするなら、いつかは向き合わなければならないときがきっとくる。
せめて火属性の妖精がそばで見ていてくれたら。
そう考えて、ナマエの頭にある人物が浮かんだ。
「ナマエ姉?」
洛竹に名前を呼ばれて、考え事に没頭してしまっていたことに気付いた。
「どうかしたか?」
「ちょっとね。やりたいことがあるの」
ナマエはにこにこしながら三人の顔を眺めた。
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