第二十八話 牢



 風息との面会が叶ったのはあの事件から数か月経ってからだった。
 ナマエは逸る気持ちを抑えながら潘靖についていく。洛竹も緊張した面持ちをしていた。
 風息は牢の一番奥まったところに収容されていた。
 日の差さない、薄暗く黴臭いこの場所に、ナマエは僅かに眉をひそめた。こんなところに閉じ込められているなんて。
「館長」
 見張りの妖精が潘靖に頭を下げる。潘靖は彼らに少し離れるよう伝えて、ナマエと洛竹を奥へ誘った。
 隔てる鉄格子は分厚く、冷たい色を放っている。
 その隙間の奥の方に、風息が座っていた。ナマエは息を飲んで、鉄格子に近づく。
「風息」
 風息は僅かに顔を上げた。ナマエは痛む胸を押さえて、風息を見つめる。少しやつれていた。
「……ようやく、会えた」
「……ナマエ」
 風息はその場を動かないまま、ナマエと洛竹の顔を順に見て、目を細めた。
「何か、不自由していることはない?」
 つい案じる言葉が出てしまう。解放することはできないが、少しでも快適に過ごしてほしかった。風息は無言を返した。
「私たちは今、館で暮らしています。洛竹は花屋で働いているの。人の中に混じって。私もたまに、街へ行くわ。壊れた街は、少しずつ復興しています」
「…………」
 風息は黙したままだ。ナマエはそのまま、近況を伝える。
「……小黒は、無限様の弟子になりました」
「……そうか」
 風息は初めて頷き、細く息を吐いた。床に向けられた目の奥で、何を考えているのだろうと、ナマエはその思考を追いかける。
「虚淮たちにも会ったけど、みんな元気そうだったよ」
 洛竹も風息に声を掛けた。小さな声が、分厚い牢の壁に吸収されてしまう。
「風息。また、みんなで暮らそうな」
 洛竹はなんとか笑みを作る。本当は今にも泣きたい気持ちでいっぱいだった。どうしてみんな、ばらばらになってしまったんだろう。彼らを家族と思う気持ちは変わらないのに。
「それは、……すぐには、叶わないな」
 風息は乾いた笑みを浮かべた。彼らに下された処罰は重い。それでも寛大な方ではあった。元通りになるまで、長い年月が掛かるだろう。それでも、ナマエも洛竹も、その日を待ち続けるのだ。兄弟が捕らえられたこの場所の近くで。
「ナマエ。洛竹」
 動かないまま、風息の方から語り掛けてきて、ナマエは耳をそばだてる。
「俺たちのことはいい。二人は幸せに過ごしてくれ。洛竹、姉さんを頼んだ」
「風息」
「……うん。わかった」
 ナマエは思わず牢に縋る。そう言って微笑む彼の表情は、昔よりもずっと大人びている。どこか諦観が含まれた、慈愛。洛竹は風息に頷いて見せ、ナマエの肩に手をそっとかけた。
「風息。弟たちの幸せなくして、姉の幸せなどあるものですか」
 耐えられず、頬を涙が伝う。無限や小黒たちと出かけていても、友たちと語り合っていても、どこかでずっと、心に掛けていた。風息は静かに首を振った。
「それは違う。俺たちはあなたを悲しませたくない。俺たちは受けるべき罰を引き受けているだけだ。あなたが心を痛めることはない」
「けれど……」
「今の俺にできることは、あなたたちが今楽しく過ごせるようにと願う、それだけだ。俺の手は、今あなたに触れられない。だから、心だけは添わせてくれ」
「風息……」
 風息と鉄格子越しに目を合わせる。風息の紫の瞳が柔らかく弧を描いた。
「あなたの涙を拭うのが俺でないのは悔しいが、俺が自分からその資格を投げ出したんだ。……ごめん、ナマエ」
「違うわ。風息。今でもあなたは私の大切な家族よ。それを忘れないで」
「うん。……ありがとう」
 鉄格子から離れるよう、潘靖に促され、ナマエは名残惜しくも目元を拭う。ナマエたちに許された時間はもう尽きてしまった。
 牢から外に出ると、眩しさに目が眩んだ。
「彼の心は、近頃落ち着いてきています」
 潘靖がそう教えてくれた。
「初めは、もっと荒々しかった。だから、あなたたちを会わせるのも、難しかったのですが……」
「ありがとうございました、館長」
 ナマエは丁寧に潘靖に頭を下げる。風息に会えるよう、心を砕いてくれたことには感謝してもし足りない。そして、あのとき風息を失うことがなくて本当によかったと、改めて心から思った。そして、風息を止めてくれた無限に、深い感謝の念を抱く。彼がいなければ、風息は、ナマエたちはどうなっていたことか。妖精と人間の溝も、もっと深くなっていたかもしれない。
 無限は人間だ。妖精の反乱を、人間が鎮めた。片方から見ればそういうことになる。だが、彼が属しているのは妖精会館だ。妖精たちが今の人間との関係を守るため、事を治めた。これをきっかけに、人間たちとの関係が悪化するばかりだとは、ナマエは思いたくない。
 風息の願いは、風息だけのものではなかった。心の底で、同じ思いを抱く妖精がいないはずはない。ただ、手段は慎重に選ばなければならない。とても複雑で、繊細な問題だ。
 だから風息たちは罰を受ける。それを彼らも甘んじている。
 ナマエは牢を振り返る。あの中で、風息はじっくり考えるだろう。これから、どうするべきか。ナマエも考え続けなければならない。
 私たちはどうあるべきか。
「ナマエ姉」
 洛竹が案じてナマエの肩を撫でてくれる。ナマエは洛竹にそっと寄り添った。

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