第二十三話 紅



「ええと、どこを押すんだったかしら……」
 手の中の機械をひっくり返したりさかさまにしたりするナマエを見かねて、若水が駆け寄ってきた。
「ここだよ! シャッターボタン!」
「ああ、ここを押すのね」
 ナマエは改めてカメラを構えなおし、背面の液晶に表示された景色を写す。
「ボタンを……ああ」
 カメラを持つ手が揺れてしまい、画像がブレた。若水はカメラを受け取ると失敗した画像を消し、ここ? とナマエに写したい構図を確認してシャッターを切った。
「はい! どうぞ」
「ありがとう。若水は上手ね」
 ナマエが写したかった紅葉の木の形が、よく撮れている。
「ナマエさんもすぐ慣れるよ! いっぱい撮ろう!」
 若水はナマエの手を掴むと、小黒たちの方へ駆け出した。
「ほら、小黒撮るよー」
「わーい!」
 若水に言われると、小黒はさっそくポーズを撮る。よし、練習だとナマエは気合を入れてカメラを構えた。
「無限様、ちょっとよけてください!」
「ああ」
 小黒を撮ろうと頑張っているナマエを見ていた無限は、足が見切れて写ってしまうという理由で若水に離れるよう注意された。無限は大人しく下がり、ナマエの後ろ側へ移動する。
 小黒はじっとしているのに飽きて歩き出す。右を見ても、左を見ても、上を見上げても、下を見下ろしても、一面の赤だった。
 ナマエたちは、紅葉を見に遠出していた。
 季節はちょうど秋も深まったころで、緑の葉はほとんど残っていない。どの木も赤や橙や黄色の葉を身にまとっていた。
 デジタルカメラは洛竹が持たせてくれたものだ。せっかくだから撮ってきたら、と言われたが、初めて使うものなので一度簡単に使い方を教わっただけではどうもうまく行かなかった。
 小黒は動き回るので、どうしてもブレてしまう。風に舞って降る落ち葉を目で追いかけて立ち止まったかと思うと、突然前に駆け出したりする。練習には難しい、と思ってナマエは若水を見た。
「若水」
「えっ、私撮るの?」
 そう言いながらも、若水はすぐにかわいらしくポーズを作る。
「かわいく撮ってね!」
「その表情、とてもかわいいわ」
「やーん」
 若水はしっかりポーズを取って、ナマエがちゃんと撮影できるまでじっとしていてくれるので、思った通り撮りやすかった。
「ねえ、無限様! ツーショット撮りませんか!」
 ひととおりポーズを作り終わった若水は、最後尾を歩く無限の元に駆け寄ってその腕をひっぱり、自分の腕を絡ませた。無限は引っ張られるまま、視線をレンズに向ける。
 ナマエは二人をうまく収められるように立ち位置を変え、カメラの高さを変え、四苦八苦しながら撮影した。
「どうかしら」
「わあ! いいかんじ! ……この写真、あとでちょうだい」
 最後の台詞はナマエの耳に口を寄せてこそこそと言うので、こそばゆさに笑いながら、ナマエは頷いた。帰ったら洛竹に方法を聞こう。
「今度は小黒と三人で!」
 若水ははしゃぎながら無限の腕を掴みなおしてナマエの横を通り抜け、小黒の元へ向かう。小黒は後ろを振り向いて若水と無限を待ち、二人に両側から挟まれて笑い声をあげた。
「見て見て、きれいな落ち葉見つけたんだ!」
 小黒が掲げた紅葉の葉が中央に来るように、ナマエは注意深く構図を決める。少し寄りすぎて無限が入らなくなってしまった。後ろに下がり、しゃがみ込んで、三人を写真に収める。
「ナマエ、これあげる!」
 撮影が終わると小黒が駆け寄ってきて、紅葉をナマエの髪に刺してくれた。
「あら、嬉しいわ」
「あ! すごい似合う! ナマエさん、カメラ貸して」
 若水にカメラを渡すと、若水はナマエにレンズを向けて、何枚かぱぱぱと撮影する。さすが、慣れていて仕事が早いとナマエは関心した。
「ほら、こんな感じだよ」
 そして撮った写真を見せてもらうと、とてもよく撮れていて、まるで自分ではないようだった。鏡に映る以外で自分の姿を見るというのは新鮮で不思議な感じだ。
「今度は私が撮るね!」
 そこで若水と交代することにして、ナマエは肉眼で紅葉を楽しむことにした。カメラで撮ろうとしているときは全体に目が言ったが、今は葉の一枚一枚の形に見惚れる。色合いも一定ではなく、太陽の当たり具合によって濃淡がある。少し、龍遊での秋が恋しくなった。
 この時期は、天虎が張り切っていた。美味しい食べ物がたくさん採れる時期だからだ。洛竹とナマエで手分けして、栗の毬を避けながら集めたり、風息とかぼちゃをくりぬいたり、虚淮と葡萄の房をねじ切ったり。その豊かさも、人間が増えるのに反して痩せていってしまった。だが、人の市場を見ると、龍遊で採れる以上の様々な種類の食べ物が並んでいる。人は妖精より食べ物を収穫し、それを集め、再分配する方法に長けている。やり方が違うのだ。それを、近頃ひしひしと感じている。
 ナマエは洛竹ほど都会に出る機会がないので、まだそこまで人の暮らしに慣れてはいない。だが、少しずつそうする必要があるだろう。ナマエにはまだまだ知らなければならないことがたくさんある。
 ふと、小黒たちの笑い声が遠いことに気が付いた。子供たちは、ずいぶん先に行ってしまっている。無限は、と思えば少し後ろにいた。
「あ、少々ゆっくりしすぎましたわね」
「あなたのペースでいいかと」
 無限はちょっと笑みを浮かべてそう答えてくれた。
 もしかして、またぼんやりしているところを見られていただろうか、と思うと顔を隠したくなるが、あいにく、今日は洋服を着ている。クリームイエローのハイネックセーターに明るいグレーのショールを肩にかけ、足元まであるたっぷりとした布のオリエンタルブルーのロングスカート。いつもの癖でショールをつまみ、口元へ持ち上げた。一度意識すると、やはり無限の視線が気になる。
「……あの」
「ん」
「どこか、へんでしょうか」
 どうしても落ち着かないので、聞いてみることにした。いつもと違う恰好をしているので、どう見えているのかが気になった。無限も、いつもとは違い、パーカーにジーパン、スニーカーとラフな恰好だ。長い髪は頭の高いところでひとつにまとめられている。
 見慣れないその姿に、よけいに落ち着かない気分になった。
「へんとは」
 無限は質問の意図が掴みかねたようで、聞き返されてしまった。
「ええと、その、服装とか……」
 先ほど小黒に刺してもらった紅葉がずれているとか、と思い当ってナマエはそのあたりを指で触れる。かさりという乾いた感触があった。
「いや」
「そうですか?」
「ああ」
 無限が短くそう答えるので、困ってナマエはとりあえず歩き出した。無限もナマエの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩く。
 しかし視線が前には向かず、こちらに向けられていた。紅葉を見ているのかと思ったが、少し下がると視線が追いかけて来た。
「……あの」
 ナマエが立ち止まると、無限も立ち止まった。顔を上げると、視線がぶつかってすぐに恥ずかしくなり逸らしてしまった。
「あの、……どうして」
 ナマエの言葉を、無限はじっと待っている。
「どうして……そのようにご覧になるのでしょう」
 ナマエは自意識過剰かもしれないと思いながら、続ける。
「私のことを……」
 沈黙が下りた。
 無限はナマエの表情を見ているようだったが、気が付いたように目を反らした。
「……すまない。また」
 見てしまっていた。洛竹がそのことについて指摘したのはずいぶん前だ。確かに、それからは無限と会っても前ほど視線を感じることはなくなった。それでも、ふと気付いた時、やはり彼の視線が自分に注がれている気がしてならない。
「なぜでしょう」
 どうしても理由が気になった。何か言いかねていることがあるのなら、ちゃんと教えてほしいと思う。ただ見つめられているだけだと、何か間違ったことをしているのではないかと不安になるし、とにかく落ち着かない。
「……なぜだろう」
 無限は見ていることを否定するでもなく、理由を答えるでもなく、自分でも不思議だというようにそう呟いた。パーカーのポケットに入れていた手を後ろに回し、腰のところで組むいつもの姿勢をとって、ぼんやりと歩き出す。考え事を始めたためか、ようやくナマエから視線は外された。それはよかったが、無限の煮え切らない答えに困ってしまった。なぜなのかすぐに答えがなかったということは、意識的に行っていることではなかったのだろうか。気のせい、ということではないようだったが、ではどうして。
 それ以上追及することもできず、ナマエは無限の後ろをそっとついていく。無限が歩くたび、ポニーテールの先が左右に揺れる。大きな樹から垂れる蔦のようで、朱の背景にくっきりと黒く浮かぶ髪が美しかった。
 ――いけない。
 人にはなぜ見るのか問いながら、自分も同じことをしてしまった。ナマエは慌てて紅葉に目を戻した。
 ――同じ?
 同じ、なのだろうか。いや、理由は違うだろう。違うだろうけれど。
 もし本当にそういう理由だったとしたら……。「花じゃないんだから」と言っていた洛竹の言葉まで思い出してしまった。違う、と思いながらも、その想像は止まらなかった。
 もし、ナマエが無限を見るのと同じ気持ちで、無限もナマエのことを見ていてくれているとしたら。
 だとしたら――どうだというのだろう。
 やめよう、とナマエは思考を中断した。よくない方向に向かっている気がする。ナマエは背筋を伸ばして、その後は強いて紅葉ばかり見るようにした。


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