第二十二話 遊



「わあ……」
 まず目に着いたのは巨大な鉄の輪だった。塔を中心に水車のように取り付けられた輪の端には、均等な感覚で箱がついており、その中には人間が乗っていた。
 見慣れないものばかりで圧倒されるナマエの足元を、小黒が駆けていく。
「あれなに!? 師匠! あれは!?」
「小黒、逸れるぞ」
 あっちに行っては口をぽかんと開けて、こっちに行っては凝視し、忙しない小黒の肩を無限が捕まえる。
「すごいなぁ〜」
 洛竹も小黒ほどではないとはいえ、きょろきょろと辺りを見渡している。ナマエも同じだ。見慣れないものばかりで、けれど周囲の人間を見ているとみなとても楽しそうで、胸がどきどきしてくる。
 ナマエたちは今日、遊園地に来ていた。無限が小黒を連れて行くという話が出たとき、洛竹が行ってみたいと言い出したのだ。今日のためにナマエは紫羅蘭と一緒に買い物に行き、洋服を買ってみた。まだ着なれないが、そう悪くないと感じている。洛竹や無限、小黒もカジュアルな服装をしていて、いつもと雰囲気が違うのも楽しさを増す要因だろう。
「無限、あれはどうやるんだ?」
「師匠、あれ気になる!」
 無限は洛竹と小黒に質問攻めにされているので、ナマエはそばで聞くだけにとどめることにした。無限の説明を聞いてもよくわからないので、二人とも実践だとばかりに次々といろいろな乗り物に乗って回った。高いところから下へ、ランダムに降下する乗り物は、自分で空を飛ぶのとは違い、どう動くかわからず少しはらはらした。
 人酔いしたのか、少し疲れてしまって、ナマエは小黒たちと別れて休憩することにした。
「ごめんなさいね」
「いいよ。ちょっとはしゃぎすぎたよな」
 洛竹は冷たい飲み物を買ってきてくれた。そして、ナマエの隣に座って肉包を食べる。洛竹はすっかり買い物に慣れていたが、ナマエはまだ少し戸惑ってしまう。特に細かい硬貨を数えるのが苦手だった。
「人間はこんな楽しいところを作ってたんだな」
「そうね」
 金属で土地を固め、色とりどりに着色されたこの場所に、享楽を求めてたくさんの人間が集まっている。どこを見ても人だらけだ。
 目立つのは親子連れの姿だ。小さな子供たちははしゃぎまわり、その後ろで親はカメラを構えたりして、楽しそうに遊ぶ子供たちの様子を眺めている。小黒と無限も、遠くから見ればそんな親子たちと変わりない。
 小黒と無限は手にアイスを持って戻ってきた。それを見て、肉包を食べ終えた洛竹はいいなと声を上げる。
「どこで売ってた?」
「あちらの売店だ」
「じゃあちょっと行ってくる! ナマエ姉のことよろしくな」
 洛竹はそう無限に言って小走りで駆けて行った。洛竹も背丈は大きくなったが、ナマエから見ればまだまだかわいい盛りだ。
「気分は?」
「だいぶよくなりました」
 無限に問われて、ナマエは正直に答える。
「あ」
 隣に座ってアイスを食べていた小黒が声を出すので見れば、ズボンにアイスが垂れてしまっていた。
「大丈夫よ」
 ナマエは手を翳してアイスを操作し、綺麗に取り除いてしまった。小黒はお礼を言う間もあればこそ、また新たに垂れようとしている溶けたアイスを舌を伸ばして掬った。
「あのね、鏡がいっぱいある部屋に入ったんだよ!」
 どうにか溶けたぶんを舐め終わると、今度はおしゃべりを始めた。どんなところを回ったのか、どんなに面白かったか、一生懸命身振り手振りでナマエに教えてくれる。ナマエはにこにこしながらそれを聞いていた。
「たくさん遊んできたのね。もう全部回ってしまったのじゃないかしら」
「ううん! まだあるよね!」
 そう言われて、無限は紙の地図を広げた。そこには簡略化された絵で園内の配置が描かれている。
「この辺りはまだだ」
「一日で回り切るのはむずかしそう……」
 その広さに、ナマエは驚く。遊びつくすのはたいへんそうだった。
「ナマエ姉!」
 そんな話をしているうちに洛竹が現れたが、小さな女の子の手を引いていた。女の子は泣いており、左足の膝小僧からは痛々しく血が流れていた。
「ころんじゃったんだ、この子」
「まあ、痛かったでしょう」
「わあああん」
 女の子は声を張り上げて泣き続ける。
「大丈夫よ。今痛くないようにしますからね」
 ナマエはすぐに彼女のそばへ行き、その怪我を治してやった。
 すると、女の子はぴたりと泣き止み、じっとナマエの手を見ていたが、みるみる目を丸くした。
「ほんとだ……! いたくなくなった!」
「よかったな」
 洛竹は買ってきたアイスを女の子に手渡す。女の子は満面の笑みでそれを受け取った。
「ご両親は」
 それを見ていた無限は周囲を見渡すが、彼女の家族らしき姿は見当たらない。洛竹も頭をかいた。
「それが、俺が見たときにはひとりだったんだよ。たぶん逸れたんだろうな。探してる途中にころんじゃったんだ」
「なら、センターに行こう。そこで探してくれる」
「ほんとか? よかった」
 じゃあ行こうか、と洛竹は女の子の手を引く。女の子はすっかり安心しきって、嬉しそうに歩き出した。センターに着くと、夫婦がスタッフと話しているところだった。そのうちの女性が女の子を見付けて、あ、というのと同時に、女の子は「お母さん!」と呼んで洛竹の手をほどき、駆け寄っていった。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんがたすけてくれたの」
「あら、そうだったの。ありがとうございます」
「いえ、すぐ見つかってよかったです」
 女の子は洛竹と離れるのを少し残念がっているようだったが、母親に手を引かれて、しぶしぶ歩いていく。ふと立ち止まって、ナマエたちを見上げた。
「ありがとう!」
 ばいばい、と手を振る女の子にナマエたちも手を振り返す。なんだかすっかり和んでしまった。いつもこんな風に終わることができればいいのに、とナマエはふと思う。
 この力は、傷ついたものを分け隔てなく救うための力だとナマエは考えている。動物も、人間も、妖精も、敵も味方も、関係ない。だが、ただ治すだけではよくない結果を生むこともあった。館の庇護があればこそ、ナマエは安心して力を使うことができる。だが、逆に言えば館が定めた相手しか癒せないということになる。もちろん、本当にすべてのものをナマエ一人で救えるわけはない。しかしどうしても考えてしまう。今私はここにいていいのか、どこかで誰かが助けを必要としているのではないか……。
 近くにいる人なら、霊質の働きでどこが悪いのか察することができる。だが、ナマエの目に入らないものは。ナマエの視野はそれほど広くはない。だからどうしても零れてしまうものがある。ときおり、その救えなかったものに対して、自責の念に駆られてしまう。
 どうしようもないことはわかっているが、どうにも拭えない気持ちだった。
 大勢の人間がいれば、たいてい誰もがそれぞれ多かれ少なかれ身体に悪いとこを持っていることを感知する。それらすべてを治療してはきりがないし、優先順位をつけることも心得ている。それでもふと考えてしまうのだ。私は十分に働いただろうか、と。
「ナマエ」
 無限に呼ばれて、ふと顔を上げた。洛竹と小黒の姿はない。
「二人で遊びに行ったよ」
 洛竹と無限で交代し、無限はこちらに残ったということらしい。
「何か、心配ごとが?」
 それまで立っていた無限は、そう訊ねながらナマエの隣に座った。
「……いえ……」
「さきほどの子のことか」
 思考の発端はそこだった。ナマエはどう言えばいいか、言葉を探す。
「そう……といえば、そうです」
「小さな怪我ではあったが、子供にとっては血が流れているだけで大騒ぎだろう」
「ええ……」
 だから、安心させてやろうと、治してやった。いや、それほど深く考えていたわけではない。ナマエは目の前に怪我人がいればそれを治す。その力を持っている。それだけのことだ。
「館の規則に反しているということもないだろう。妖精と知れることはない」
「ええ」
 妖精だとばれないこと。それが一番大事な規則だ。ナマエ自身も、この力が広く知られてしまえばどうなるかはわかっている。だから、誰でも彼でも使えるわけではない。
「それでも……足りない気がして」
 無限はナマエの言葉の続きを待つ。
「私は……行うべきを行えていないのではないかと」
 今はそれほどこの力を使う機会はない。大きな戦いがないということでもある。人が発展してよいところは、戦争がなくなったことだろう。少なくとも、ナマエの近くにおいては。
「もっとやるべきことがあるのでは……。その思いが……拭えません」
 館での暮らしに不満があるわけではない。ただ、小鳥の声を聴くと、またどこかで怪我をした人が、と伝えに来たのではないかと思ってしまうことがある。
「館に来る前。私が生まれたばかりのころ、人の中で暮らしたことがあります」
 ナマエは思い出を無限に語り始めた。老君以外には話したことがない、昔話だ。
「そのころは今ほど医療が進んでおらず、人々は病に、怪我に、苦しんでいました」
 だからナマエの力はとても貴重で、あのような混乱が起きてしまったのだと、後から理解した。ナマエは苦笑する。
「あの頃を、懐かしんでいるのかもしれません。あれほど、人に求められることは前にも先にも、あのときだけでしたから」
 混乱を起こさないよう、人から離れなければならないことは、ナマエに寂しさを募らせた。虚淮に出会えていなければ、ナマエはずっとひとりだったかもしれない。
「あの頃はもっと妖精と人間が近くにいました。どうして今はこれほど離れてしまったのでしょう……」
 無限は人間だ。だが、妖精に近い存在。その稀有な来歴が、ナマエにこんな話をさせたのかもしれない。
「寂しいことです」
 人間が妖精の存在を忘れてしまわなければ、あのような悲しい出来事は起きなかっただろうに。ナマエの心は龍遊での一件へと戻っていく。
「いけませんね。せっかく遊びに来ているのに、このような話を……」
 ナマエは背筋を正して、雰囲気を変えようと立ち上がった。
「無限様、私、あれが気になっているのです」
 そう言ってナマエが指さしたのは、回転木馬だ。
「あれならゆったりしていて、私にも楽しめそう」
「では、行くか」
 無限も立ち上がり、ナマエより一歩先を歩く。ナマエはその後ろに付き従った。
 無限はナマエに手を貸して青い木馬に乗せ、自分はその隣に立った。オルゴールの音に合わせて、ゆっくりと台が回転を始める。
 きらきらとライトアップされた舞台は幻想的で、音楽に合わせて上下する視界がゆらゆらと揺れる。変わらずまっすぐに向けられているのは無限の視線だった。
 ――また。
 また、私を見ている。
 その視線に今は安心感を覚えた。いつもの恥ずかしくて目を反らしたくなる気持ちは浮かんでこない。この雰囲気がナマエの心を弾ませていた。
「あなたは、優しすぎる」
 音楽と混じるほど微かな声で、無限がそう言った。
「そう背負わなくていい。あなたは必要なことを充分している」
 さきほどのナマエの悩みに対して、答えをずっと考えてくれていたのだ。ナマエは驚いてじっとその瞳を見つめ返す。無数の光が映り込んで、その中心にナマエがいる。
 ただ、心地よい時間だった。

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