第二十一話 茶



 白地に桃が描かれた茶壷から、揃いの茶杯に淡い色が注がれると、卓子の上を満たすほど香りが膨らんだ。
「安吉白茶です」
 ナマエはひとりひとりに茶杯を配ると、自分の席に着いた。隣の小黒はお茶よりも甜点心の方に関心が強く、卓子の上に所狭しと並べられたお菓子に今にも手を伸ばそうとしていた。
「どうぞ」
 ナマエの声がかかると、さっそく芝麻球と寿桃を両手にとって頬張った。
 無限は味わうように一口お茶を含んだあと、粽子に手を伸ばした。
 洛竹は芝麻湯圓を啜り、乾燥無花果を齧った。
 ナマエはそうやって皆が食べる様子を眺めながら、お茶を楽しむ。皿の上からみるみるお菓子がなくなっていく様子は作った甲斐があるというものだ。
「ほへ、ほいひい!」
「飲み込んでから喋りなさい」
 口から物をあふれんばかりにしてもごもごしている小黒を無限が諭す。小黒はお茶で流し込んでナマエに笑顔を見せた。
「ぜんぶ美味しいね!」
「よかったわ」
 小黒はすぐに口の中を食べ物でいっぱいにして、無限にも差し出した。
「ししょ、ほへはへは?」
「まだだ。いただこう」
 無限はもう叱らず、小黒から蓮蓉包を受け取った。その様子を、洛竹がじっと見ていたと思ったら、感慨深そうに腕を組んだ。
「まさか、二人が師弟になるなんてなあ」
 小黒と無限の出会い――洛竹と無限との出会いは、最悪と言ってよかった。敵対している人間に、やっと見付けた安住の地を破壊され、仲間から引き離されたのだ。以前に小黒やナマエから、その後の旅の道中を聞かされてはいたが、やはりいざ目の前にするとこの二人が和やかに並んでいるのが不思議な感じがした。
「御霊系が同じっていうのも驚いたし。そういう巡り合わせだったのかな」
 洛竹に、小黒は満面の笑みで頷く。
「ほく、ししょおにあへへよふぁっふぁよ!」
「あはは、何言ってるかわかんないけどわかった」
 小黒の笑顔を見ていると、もしあのまま島で一緒に暮らせていたら――と、つい考えてしまうのは仕方がないと思う。新しい弟ができたと思って、とても嬉しかったのだから。――いや。
「今でも俺はお前のこと弟だと思ってるからな」
「うん!」
 満面の笑みで答えてくれる小黒が隣に座っていれば頭を撫でてやっていたところだった。あいにく向かい側まで手を伸ばすのは少々難しい。ナマエも無限も、両隣からそんな小黒を微笑ましく見つめている。こんな景色が見られる今も、もちろん最高だ、と思った。
 今なら無限がどうして風息を追わねばならなかったか、ナマエが館に行くよう言った意味がわかる。館を通じて人間たちと同じ場所で過ごすようになった今なら。龍遊が様変わりしてしまって、元々一緒に住んでいた妖精たちがいなくなってしまったのが寂しいのは当然だ。だが、風息の取り戻した龍遊が、今の龍遊よりよかったかと言えば、きっとどこかで人間を追い出した苦しさに押しつぶされてしまっていたかもしれない。妖精、人間、どちらかが我慢しなければならない現実もやるせないものではあるが、館はそこに折り合いをつけて、うまくやっていると思えた。
 それはいいとして。今、洛竹にはひとつ気になっていることがある。左隣に座っている無限だ。無限は小黒を挟んで向かい側に座っているナマエのことを、じっと見ている。見つめていると言ってもいい。その視線にナマエも気が付いているようで、お茶を飲む以外は袖で顔を隠し、目を伏せている。無限自身がお茶を飲んだりお菓子を食べたりするときにはさすがに外れるが、それ以外のときはほぼずっと見ていると言っても過言ではない。間に挟まれている小黒はまるで気にしていない様子だ。ある意味この状態に慣れているようにも見える。つまり、三人が一緒のときは常にこの状態ということなのかもしれない。どんな状態だよと洛竹は自分で突っ込んだ。
「なあ、無限」
「ん」
 名前を呼ばれて洛竹を見た無限の視線はそっけない。ナマエに向けていた熱視線との落差はどうだ。
「ナマエ姉、困ってるから」
「洛竹」
 袖で隠したナマエの頬がわずかに赤くなる。何を言うの、と咎めるように目を向けられたが、さすがにこうも堂々とされると一言言いたくもなる。
「だって、見すぎでしょ」
「ほうなんだよ」
 小黒は相変わらずむぐむぐしながら洛竹に同調した。
「師匠はね、ずっとこう」
「ずっとか」
「ずっと」
 やはり小黒の平然とした態度は慣れからくるものらしい。だがしかしずっとって。
「いつから……」
「最初から」
 答えるのは小黒で、無限はさすがに気まずそうに目を反らしている。ナマエはますます顔を覆った。
「最初って。あの島から?」
「……違う」
 ぼそりと否定が入ったが、洛竹は小黒の方に身を乗り出す。
「旅の間中ずっと?」
 小黒は重々しく頷いた。
「ええ……」
 無限はなんだその目はとでも言いたげな不服そうな顔をしたが、反論はしなかった。それがまた「ええ……」である。
「ナマエは花じゃないんだからさ、そんなに見てたら窮屈だよ」
「……そうか」
 無限は視線を彷徨わせる。頑張って目を反らそうとしているらしい。頑張らなきゃ逸らせないのかよ。
「洛竹、やめて」
 ナマエはそんな洛竹の態度を諫めようとするが、真っ赤なのであまり説得力がない。こんなナマエの表情を見るのは初めてかもしれない。冠萱とは、あんなに自然に微笑みあっていたのに。
「そりゃナマエ姉に見惚れる気持ちもわかるけど」
「洛竹」
「ちょっと無遠慮だと思う」
「洛竹」
 ナマエの静止を振り切って、洛竹はずばっと言う。すると意外にも無限は素直に聞き入れた。
「……そうか。……すまない」
 無限に丁重に頭を下げられて、ナマエは慌てふためく。
「いえ、気にしておりませんので、そんな……、頭をお上げください」
「これからは気を付ける」
「そんな……」
「そうしてくれ」
 洛竹はきっぱりと言って芝麻湯圓の残りを飲み込んだ。

 食べ終わったあと、洛竹は食器洗いを申し出た。
「全部作ってくれたのナマエ姉だし。片付けは任せて座っててくれよ」
「そう?」
 ナマエはそう言いながらも卓子の上を片付け、洛竹の元に食器を運ぶ。
「つい作りすぎちゃったわ」
 流しの横に積み上げられた食器を見て、ナマエは内省する。
「小黒も無限もいっぱい食べるもんな。あれでようやく足りるって感じだった」
 ナマエはほとんど手をつけておらず、洛竹もそれほど食べていないのに、きれいに平らげられている。よく食べる師弟だ。
「でも洛竹、無限様に変なことを言うのはやめて。失礼だわ」
 ナマエは弱り切ってそう付け加えた。洛竹としては、あれは言わなければならないことだったので強気に出る。
「だめだよ、ナマエ姉。ちゃんと言うべきは言わないと。ナマエ姉だって困ってただろ?」
「困っていたというか……。確かに、何かおかしなことをしていないか心配にはなるけれど……でも、その……悪気があったわけではないと思うし」
 そんな洛竹に対して、ナマエはしどろもどろと歯切れ悪く続ける。
「悪気がないからこそだよ。しっかりしてよ、ナマエ姉」
 なんだか今のナマエは、ちょっと突いただけで倒れてしまいそうなくらい頼りなく見えた。
「でも、どうして無限はあんなにナマエ姉のことばっかり見るんだろうな?」
 途端、皿が手に凍り付いた。気が付けば冷気が部屋全体を覆っていた。
「ナマエ姉っ!?」
「あっごめんなさい!」
 ナマエは慌てて氷を解いて、洛竹の手が解放される。
「ごめんなさいね、やっぱり最近、おかしいんだわ」
 ナマエは自分の手を胸元に寄せて、項垂れる。
「体調、よくないのか?」
「そうじゃないの。そうじゃないのだけれど……」
 ほう、と物憂げに溜息を吐くので、洛竹はやはり心配になる。
「あとはやるから、ナマエ姉は休んでなよ」
「私は大丈夫よ。だけど、また凍らせては困るものね……。甘えさせてもらうわね」
 そう言って、ナマエは寝室へ引っ込んでしまった。
 身体が毒に侵されていたとき、ナマエは自分の冷気を抑えきれずにいたことがあった。だが、今の環境ではそれは考えにくい。心因的なものだろうか。何か気になることがあって……。それはもちろん、あるだろう。風息たちのことは、洛竹もずっと気にかけている。
 また館長に訴えに行こう。そう心の内で決めて、洛竹は積みあがった食器たちに向き直った。

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