第十五話 花



 虚淮たちと面会が叶ったのは、それから三日後だった。
 ナマエは監視の妖精に付き添われて、薄暗い牢を進んでいく。じっとりしているのに埃っぽく、こんな環境にいる弟たちを不憫に思った。
「虚淮」
 扉越しに声を掛けるが、虚淮は胡坐を掻いたまま答えようとはしなかった。ナマエはその姿を見ただけで涙があふれ出してしまい、扉に縋って声を殺して泣いた。
「家族がこのようにばらばらになってしまって、なんと悲しいことでしょう」
「姉様。ここに長居するのはよろしくない。私から申し上げることはありません。どうぞお帰りを」
「虚淮……!」
 いつも通り冷静な声音を聞いて、ナマエの胸は昂る。いますぐにもこの扉を開けて、その肩を抱きしめたかった。
「早く出られるよう、館長に掛け合うわ。だから、あなたも心を鎮めて、反抗の意志がないことを示しなさい。きっと……」
「お帰りください、姉様」
 それきり、虚淮は口を閉ざした。ナマエは心が落ち着くまでしばらくそこに佇んでいたが、やがて涙も止まり、もう一度虚淮の顔を見つめた。
「姉はいつまでも待っていますからね」
 そう告げて、牢を後にした。
 天虎は別の部屋に捕らえられていた。天虎の大きな身体には、独房は少々狭く見えた。
「ねえね。……ごめん」
「いいのよ。もう終わったことです。早くみんなが揃って過ごせる日を、姉は祈っていますからね」
「うん」
 扉の柵越しに手を伸ばそうとすると、監視員に止められた。天虎はナマエの指先を名残惜しそうに見つめる。天虎は目の前にいるのに、撫でてやることもできない。ナマエは引き裂かれるような思いを抱きながら、牢を出る他なかった。
 風息への面会は、残念ながらまだ叶わなかった。

 洛竹が街の様子が気になるというので、二人で外出することになった。念のため冠萱に確認を取ると、快く許可をくれた。それのみならず、道案内として同行を申し出てくれた。
「ありがたいことではございますが、お忙しいのでは?」
「いえ、今は手が空いておりますので」
 飛行妖精に乗って空から龍遊の中心部を見下ろすと、領界が広がった範囲がわかるようだった。その中心部は軒並みビルが破壊され、残っていたビルも破損個所が大きいために解体され、広場ができていた。その広場に生えている大樹の姿が、ひときわ目立っていた。
「ここは公園にできないかと、今掛け合っているところなんです」
「公園に?」
「ええ。妖精たちから強い要望があがっていて」
「それはいいな」
 洛竹は嬉しそうに笑って改めて大樹を見下ろした。
「あれ、風息の仕業だろ? それを人間に切り倒されるんじゃやりきれないよ」
「ええ。……そうね」
 風息が身を絶とうとしたことはごく一部のものにしか知らされていない。洛竹にはナマエから伝えることはなかった。
 ――戒めとして。
 あの日、無限はそう言ってナマエの願いに同調してくれた。
 妖精たちの思いを、人間に少しでも知ってもらえるなら、それ以上のことはないとナマエは思う。まだ妖精の存在を大々的に人間たちに知らせるという決定は出ていない。だから本当の顛末が語られることはないにせよ、この樹を人間も大切にしてくれたなら、未来はそう悲観するものでもなくなるのかもしれない。

 広場以外の場所では、人間たちが何ごともなかったかのように店を営み、買い物客で往来は埋まっていた。冠萱は二人を案内し、様々なことを教えてくれた。
 それから、休憩がてら一件の喫茶店に立ち寄ることになった。
 ナマエは冠萱に品書きに書かれた飲み物について教えてもらい、冷えたオレンジジュースを頼んでみた。果実の絞り汁なら間違いはないだろう。洛竹も同じものを頼み、冠萱は珈琲を選んだ。
「これからどうしましょうか」
 ナマエは洛竹に改めて訊ねた。
「俺もここに住むよ」
 運ばれてきた料理を食べながら、洛竹は答えた。
「ナマエ姉もそうだろ? ここには風息たちがいるんだし」
「ええ。そうね」
「小黒もまた戻ってくるんだろ? ちゃんと会って謝りたい」
 真摯な表情をする洛竹の腕をそっと撫でて、ナマエは慰めるように言う。
「あの子はきっと怒っていないわ」
「それでもさ。俺は……謝りたいよ。それで、改めて友達になりたい」
「そうね。あの子もきっと喜ぶわ」
「うん」
 洛竹はそのときを想像して、嬉しそうに笑って見せた。
 小黒が戻ってくるとき、無限も一緒だろうかとナマエは思う。
 あれから、ふとしたときに無限のことを思い出すことが増えていた。
 森を破壊したときの冷徹なまなざし、筏の上での笛の演奏、小黒に向ける師匠然とした視線、ナマエにもう一度会いたいと思っていたと言った時のうかがい知れない表情。
「ナマエ姉?」
「あ……なんでもないわ」
 洛竹と話している最中にぼんやりとしてしまっていたことを謝って、ナマエたちは店を出た。
「ナマエさーん! 冠萱さん!」
 館に戻るため道を歩いていると、一台のバイクが近づいてきた。
 荷台にたっぷりと乗せられた花の香りが、彼女がバイクを止めるとふわりとナマエの方に香ってきた。
「こんにちは! あ、お友達とご一緒だったんですね」
 女性はナマエの隣の洛竹を見て、笑みを浮かべた。洛竹も微笑み返し、自己紹介をする。
「どうも。俺は洛竹」
「私は紫羅蘭! 洛竹も龍遊に?」
「ああ。よろしくな」
「じゃあ、お近づきのしるしに!」
 紫羅蘭は荷台から二輪の花を抜き出すと、ナマエと洛竹に一本ずつ渡した。
「ナマエさん、いつか美味しいカフェ行きましょうね。よかったら洛竹も一緒に!」
 それじゃ、と紫羅蘭は慌ただしく行ってしまった。
「彼女は人間のように、仕事をしながら暮らしているの」
「へえ……花屋かぁ」
 洛竹はもらった花の茎をくるくると指で回しながら言った。
「俺もあんな風に暮らせるかなぁ」
「いいと思いますよ」
 冠萱はすぐに洛竹に仕事の斡旋についてざっと説明してくれる。それを聞いているうちに、ナマエもいい案だと思うようになった。
「冠萱さんの言う通りだわ。洛竹、あなたも花屋をやるといいわ」
「そうだなぁ……」
「どうしたの?」
 煮え切らない返事に、ナマエは首を傾げる。
「いや……。ナマエ姉、冠萱のこと、すごく信頼してるなあって思って」
「それは、お世話になっているもの」
 意図の読み取れない言い方だった。ナマエとしては特に変なことは言っていないつもりなのだが、洛竹はなんだか変な笑みを浮かべている。
「いやぁ、それだけならいいんだけど……。もしかして、いい人だとか思ってんじゃないよなぁって」
「ろ、洛竹さん」
 その言葉に、冠萱は冷や汗を掻いたが、ナマエは首を傾げる。
「どういう意味?」
「いや、いいんだけどさ、それでも」
 洛竹は頭の後ろで手を組み、ナマエと冠萱の顔を見比べた。冠萱は何を言い出すのやら、と苦笑するしかない。
「もう、なんの話をしているのかわからないわ」
 ナマエは笑いながら、青信号になった信号を渡る。洛竹はなおもぶつぶつと言っていたが、ナマエを追いかけて小走りになった。
「あのさ、ナマエ姉」
「なあに?」
「俺……ナマエ姉には幸せになってほしいからさ」
「どうしたの、急に……。私も、あなたの幸せをいつも願っているわ」
「うん。ありがとな」
 洛竹は鼻を擦って笑うばかりだった。へんな洛竹、と思いながらも、心が温かくなるのを感じた。

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