第十三話 生



 幾本もの樹はひとつに捻じれて大樹となり、ビルを突き破って早朝の空へと伸びていった。
 その中心には、氷が張られていた。丸く、卵のように、そっと中身を壊さないよう、大切に包み込んでいる。
「……ナマエ」
 風息は掠れた声でナマエの名前を力なく呼んで、俯いた。
 項垂れ、硬く口を結ぶ風息に、ナマエはそっと寄り添った。
「風息。もういいのよ」
 もういいの、と繰り返しながら、傷ついたその肌を撫でる。ナマエの手や顔にも、風息の樹によってついた切り傷があった。伸びた枝は風息を貫く前に、氷に押し止められていた。しかし何本かは間に合わず、風息の右足にも、ナマエの左足にも突き刺さっている。ナマエが飛び込んできた時点で、風息は樹に己を貫かせることを諦め、彼女の命を優先せざるを得なかった。
 敗戦し、悲願を遂げられなかった将である風息は、始末をつけることも許されず、ただ重く息を吐いた。
 そんな風息を、ナマエは目に涙を溜めて見つめる。
「故郷のために戦ってくれて、ありがとう」
 風息は目を閉じる。
「でもね、いいのよ。家族みんなで一緒にいられれば、私はどこだっていいの」
 ずっと一緒にいてちょうだい、唇を震わせながらナマエはそう言い、風息の首に腕を回した。
 風息は身体を固くしていたが、細く息を吐いて、そっとナマエのうなじに口を寄せた。
「……そうだったな……」
 ナマエの願いはずっとひとつだった。それは風息たちと少しずれてしまったけれど、完全に分かたれてしまったわけではない。まだやり直せるはずだ。
「帰りましょうね。みんなのところに」
 ナマエは労うように、褒めるように、そっと風息の背中を撫でてやる。少しずつ、風息の身体に入っていた力が抜けていく。
 妖精であることを隠し、人間に諂う生き方は、風息の矜持を捻じ曲げるだろう。そんなことをするくらいならと武力を選んだのが彼だ。その志に殉じることも厭わない。それがよくわかっていた。
 今、ナマエが風息に縋りついて引き留めるのは、ひとえにナマエの願いの押し付けだ。みんなで生きて、どこか穏やかなところで暮らす。そんなささやかな願望を満たすため、彼の生き方を曲げようとしている。それでも、どうしても彼にそばにいてほしい。偏狭にならず、もっと大きな世界を見てほしい。
 妖精たちの居場所は、これからますますなくなるだろう。
 ナマエも風息も、きっとたくさん、辛い思い、やりきれない思いを抱くだろう。
 それでも、生きることだけは。
 それだけは、放り投げてしまわないでと、ナマエは強く思う。
「姉さん。……いやだよ、人間なんかに故郷を明け渡さなきゃならないなんて」
 風息は幼いころのように額をナマエの肩に押し付けて、静かに涙をこぼした。ナマエは優しくその背を撫で続けた。

 風息に肩を貸し、樹の外へ出ると、執行人たちが集まっていた。二人の無事に驚愕し、安否を確かめるため近づいてきた。風息は執行人たちの手に渡された。ナマエは名残惜しくその指を掴んだが、風息の方が力を抜いて、するりと解けてしまった。風息は抵抗せず、執行人たちに連れられて行った。
 ナマエは無限たちと共に樹のそばに残った。ナマエはその大きな枝ぶりを見上げる。
「……この樹を、このままにはできないのでしょうか」
「……戒めとして」
 無限が答えるので、ナマエは振り返った。無限はまっすぐにナマエを見つめ、ふと目元を和らげた。
「……無事で、よかった」
「ナマエ!」
 我慢しきれない、というように小黒が飛び出してきて、ナマエの足に抱き着いた。
「ぼく、ナマエまで一緒に死んじゃったかと思ってっ……!」
「心配させてごめんなさいね」
 泣きじゃくる小黒を撫でてやる。どうやらナマエたちが出てくる前から泣いていたらしい。服を握る小さな手には傷がたくさんついていた。樹を掻き分けてナマエたちを探そうとしたのかもしれない。ナマエはしゃがむと、小黒を優しく抱きしめ、その手の傷を癒した。
「よく頑張ったわね。ありがとう、小黒」
「ナマエ……っ」
 小黒はぎゅう、と服を掴む手に力を込め、声を上げて泣いた。
 この小さな子が生きていてくれて、本当によかった。風息は許されないことをしたが、それでもこれは救いになる。ナマエたちは起こした騒ぎの責任を負い、償っていかなければならない。けれど、だからといって不幸ではない。みんながいる。それだけで幸せを感じられる。これからは小黒も一緒だ。それ以上に、何を望むことがあるだろう。
 ナマエは小黒と手を繋ぎ、無限と並んで、館へ向かった。

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